ケイケイの映画日記
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2011年10月16日(日) |
「ツレがうつになりまして。」 |
細川貂々の原作コミックを、宮崎あおい&堺雅人の「篤姫」コンビで映画化です。苦手な佐々部清監督なので、パスしようと思っていましたが、各方面から評判良いので観ることにしました。主役二人の相性はやはり良いようで、7割方は二人の御陰で好感の持てる作品に仕上がっています。後の3割は私の笹部監督の苦手な部分が鼻につきました。その部分は作り手に敬意を払う意味で、ちゃんと書きたいので、今回ややネタバレです。
売れない漫画家の春子(通称ハルさん)は、外資系IT関係のサポートセンターに勤務する夫の幹男(通称ツレ)とふたり暮らし。リストラで人員不足の職場のストレスで、次第に体調を崩したツレは心療内科でうつ病と診断されます。消耗しきった夫を心配したハルは、夫の退職を勧めます。
冒頭、夫がお弁当を作っているのに、まだ妻は寝床。起きてくるのはいいけども、家にいるのに夫に生ゴミを出させているのに、私はカチン。いやいいんですよ、夫がゴミ出ししたって。私もやってもらっています。でも仕事休みや午後から出勤の時は、必ず私が出してます。それと同時に、常軌を逸するギリギリの線で、ツレの几帳面さを描き、鬱になりやすい性格をさりげなく描写しています。
夫の余兆にも、全く気づかないハルにまた苦笑い。ちょっと鈍感すぎるでしょ?夫の甲斐性で養ってもらいながら、収入を気にせず漫画を書いてるわけですよ。しかしこの几帳面な夫には、ハルくらい鈍感で大雑把な嫁の方が合うわなぁとも思う私。やがてハルの独白で、「君の漫画はとてもいいよ。僕が養うから、好きなだけ漫画を書きなさい」と言うプロポーズの言葉で、やっとこの夫婦が理解出来ました。ハルにとって愛する夫と同時に、幹男は保護者の役割も担っていたのでしょう。夫に対する子供のような甘えなのですね。対する幹男は、ハル曰く自分の性格は「後ろ向きで怠け者」が、「自分に正直で大らか」だと感じたのでしょう。。几帳面で堅苦しい自分にはないものですね。ハルの才能を認めており、それが妻への敬意にも繋がっているのだと思います。
堺雅人の鬱のお芝居が絶妙です。特に表情がすごく上手い。笑顔で喜怒哀楽を表現する男と言われますが、そのどれにも当てはまらない鬱の表情まで、笑顔でやってのけていました。時折感情が爆発するのですが、えっ?こんな事や場所をわきまえず、そうなりますか?と思いますが、感情が敏感になっているので、まるで子供のようになってしまい、周囲が戸惑う様子も描かれています。他にも鬱の人特有の生態も描いており、観客が鬱に関して理解できるようにしてあります。
ハルは「何故夫が鬱になったのかではなく、鬱になった意味を考えるようになった」と語ります。人生には否応なく転機が訪れるもの。その時々でどう対処するか?意味を考えるのはとても大事な事だと、私もこの年になって山あり谷ありのそれなりの人生を送り、実感しています。その後に違う自分が待っているのですから。
自然体で頑張らずを念頭に置き、しかし幹男に知られぬように繊細に気配りするハル。理想的な接し方です。意味を深く考えたハルは、夫の子供ではなく立派な妻となったのですね。劇中不容易な「頑張れ」の言葉が、痛く幹男を傷つける場面が出てきます。確かに鬱の人には「頑張れ」は禁句です。そして介護する人も、頑張りすぎない事は大事です。共倒れになっては大変ですものね。しかし昨今、鬱になったら大変と、最初から「頑張る」「我慢する」と言う事が軽視されている風潮が気になります。生来「頑張る」事は、尊いもの。ハルの一皮むけた成長は、彼女が頑張った結果だと思います。いけないのは「過ぎる」と言う事ですね。
ここからは苦言です。良い味を出していたハルの両親ですが、何故幹男の親族は登場しないのでしょう?私の見落としがなければ、仏壇らしきものがちらっと写っただけ。あれでは見落とすでしょう。家は味のある古い家でしたが、これも幹男の正家なのでしょうか?「家族なんだから」とハルの母の言葉が出てきましたが、幹雄の実家は彼に取ってもっと家族でしょう。母の描写は、幹男を支えるハルにも支える人が必要だと言っているはず。ならば幹男の親族がいないのなら、ちゃんと明言すべきです。
講演場面での「出来ないさん」と「元上司」の描き方も謎。どうして強引に和解のような美談に持っていくの?人生には反発したまま、確執を持ったままということは、御万とあります。上記の事など、正直長い人生では苦味のあるスパイス程度の事で、大した事ではありません。私は原作は未読ですが、このエピソードはあったのでしょうか?あってももっと納得出来る描き方であった気がします。私が佐々部監督を苦手に感じる部分は、演出の引き算が下手なところで、過剰な美談に仕立てたい部分です。
このシーンはカットして、話が出来なかった犬塚弘と、寛解後には会話するシーンを入れるほうが、よっぽどインパクトがあります。その他、本当にうちのクリニックの患者じゃん!とびっくりの吹越満が、絶妙にやさぐれた鬱患者を演じていたのに、彼を生かしきっていません。対比の意味がわからない。その他は鬱の兆候を感じたら、医療機関に早く診察に行くことを、もっと強調して欲しかったですね。田山涼成の医師が、誠実で頼り甲斐のある良い医師を好演していただけに、もったいなかったです。
最近精神疾患が五大疾病に加わりました。鬱、その他の精神疾患は決して恥ずかしい病ではありません。信頼できる医師の元、必要な服薬とカウンセリングで、就業可能な患者さんもいらっしゃいます。この作品でも恥ずかしいことではないと認識する事、病識をしっかり持つことから、展開が変わって行った事を、是非見逃さないで欲しいのです。これから精神科を標榜するクリニックも増えていくでしょうから、おかしいかな?と思うときは、是非受診していただきたいです。まだまだ未熟な精神科勤務の私からのお願いです。
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