ケイケイの映画日記
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2011年03月04日(金) 「英国王のスピーチ」




本年度アカデミー賞、作品・監督・主演男優賞受賞作。私は時代を斬新に切り取って描いていた「ソーシャル・ネットワーク」の方が、作品賞にはふさわしいと感じました。けれど王室を通して、普遍的な人としての生まれ出づる苦悩を描いたこの作品も、なかなかの味わい深さを感じさせてくれます。

英国王(マイケル・ガンホン)の次男ジョージ6世(コリン・ファース)は、幼い時からの吃音に悩み、対外的な公務を嫌っていました。そんな夫を心配するエリザベス妃(ヘレナ・ボナム・カーター)は、何人も治療家を見つけては、夫に紹介していました。風変わりなオーストラリア人のライオネル・ローグ(ジェフリー・ラッシュ)もその一人。誰もジョージ6世の吃音を治せない中、少しづつ成果を見せ始めた頃、兄のエドワード8世(ガイ・ピアース)がアメリカ人女性で離婚歴のあるシンプソン夫人との結婚のため、退位。ジョージ6世が国王となります。

風変わりな方法でジョージにアプローチするローグ。この様子がユーモアたっぷりで、笑いを誘います。やんごとなき身分のお方でも、口汚い言葉を言い募ってストレス発散させたいのかと、親近感が湧きます。そして吃音の原因を探っていくと、そこには平民と同じ苦悩を託つジョージ6世の姿があるのでした。

冒頭、苦手な演説に波立つ気持ちを静めるよう、妻にすがるジョージ。励ます妻。以降この関係はずっと続きます。夫に知られぬよう、あれこれ治療の方法を探す妻。本当は必至だったはずですが、決して夫には押し付けず控えめ、彼の心のままに任せます。この匙加減が絶妙で、押し付けないところに、夫への信頼と愛が偲ばれます。ジョージ6世は吃音で癇癪持ち。しかし気は小さいですが、決して卑小ではなく、誠実で心から妻と二人の娘を愛する良き夫です。妻はきっと、この良き夫に、人としての自信を持って欲しかったのですね。

「あなたの2回のプロポーズを断ったのは、あなたが嫌いじゃなくて、王室に入るのがいやだったのよ」と語るエリザベス。そうだろうなぁ、国王が亡くなった直後の王妃の一番最初の言葉は、次期国王の長男のエドワード8世に向かって「国王万歳」だもの。それがしきたりなのでしょう。夫の死に泣けない妻なんて、私もいやです。エリザベスの言葉は、そんな窮屈な王室も、あなたがいるから飛び込んだのよ、と言う意味でしょう。

タイトルのスピーチは、実際は朴訥に一生懸命語るだけ。決して見事なスピーチではありません。しかしイギリス人でもなく、当時の事も全くわからない私も感動させるスピーチでした。何故なら観客も、吃音に悩み引っ込み思案、急な兄の退位で、なりたくもない王位についた彼の苦労を知っているわけです。同じ内容でも誰が話したかによって、人の受ける印象は違います。国の一大事に国民に語りかけた国王のスピーチは、正に言霊が宿っていたのでしょう。

英語の吃音とはどういう風なのか、私にはわからないけど、ファースの演技が完璧だというのはわかりました。バートンと一緒になってから、ビッチな役ばかり続くカーターですが、今回は久々に「コルセット映画の女王」と謳われた当時を思い出させるエレガントさで、良かったです。ラッシュも実際にオーストラリア人ですが、吃音を治したのが、位の高いイギリスの名医ではなく、実践に長けた訛りのあるオーストラリア人であったというのも、ちょっといいお話です。

当時のスキャンダラスな英王室の様子も描いています。英王室と言うのは昔から、よく言えば開かれた、悪く言えばふしだらな王室のようです。次期国王たる者が、人妻にちょっかいを出したり、また離婚させて自分の妻にしようなどとは、江戸時代の上様みたい。エドワード8世の件は、大昔は「王冠を捨てた恋」として、日本ではロマンチックに語られていましたが、無責任極まりなく不実な事だと、実際はこの作品に描かれているようだったのでしょうね。本当は王妃になる気満々だったシンプソン夫人は、ただの公爵になった夫にがっかりだったかも。

それにしてもチャールズ皇太子は、実直な自分の祖父ではなく、大叔父のエドワード8世に似たんだわと、クスリとしました。エリザベス女王の苦労やいかばかりかと思いますが、女王の芯の強さは、父親譲りなのでしょう。「貧しくとも満足していれば幸せだ」。ローグによると、シェークスピアの言葉だそうですが、恥ずかしながら初めて知りました。でも私がいつも思っていることよ。「豊かでも自分に自信が持てず不幸せ」だったジョージ6世。彼が満足できる人生を掴んだ姿は、市井の人々にも、きっと共感を呼ぶことと思います。


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