ケイケイの映画日記
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実は4/28に観ていて、もう二週間近く過ぎてしまいました。とても感銘を受けたのですが、所々疑問があり、それが日が経つに連れ増大。考えがまとまらないまま、日が過ぎて行きました。良い作品でしたが、「私の映画」ではなかったみたい。監督はリー・ダニエルズ。母親役のモニークが、アカデミー賞最優秀助演女優賞を受賞しています。
1987年のNYのハーレム・16才のプレシャス(ガボレイ・ジディベ)は、極度の肥満体の上、読み書きもままならないほどの学習能力です。彼女の家庭環境は悲惨で、義父にレイプされ最初の子はダウン症で生まれ、今また妊娠中。母(モニーク)と生活保護を受けて生活していますが、母はプレシャスに容赦なく手をあげ、虐待の限りを尽くし、国からの保護費も独り占めです。二度目の妊娠で退学を余儀なくされたプレシャスは、校長の勧めでフリースクールに通うことに。そこで教鞭を取るレイン先生(ポーラ・パットン)との出会いが、彼女の人生を変えて行きます。
まずプレシャス役のガボレイの存在感が圧巻。アメリカは肥満の人が多いですが、彼女は150キロぐらいでしょうか?色も本当に黒いです。黒人は少しでも色が薄い方が美しいとされると読んだことがあり、自分の容姿・家庭環境・学習能力のレベルなど、彼女が人生に絶望してもおかしくないのに、それを救うのが、豊かな想像力です。夢想して現実逃避するのです。
こんな逃避方法、本来ならやり切れないシロモノなのに、そのシーンがティーンらしい楽しさとユーモアに溢れているのが、とても利いています。
子供たちの父親は義父。若い子らしいロマンチックな思い出もなく、セックスの相手をさせられたあげくの妊娠かと思うと、それだけで涙が出ました。フリースクールでレイン先生と出会い、文字を習い。「愛する」という本来の意味も学ぶプレシャス。そのスクールは訳ありの子ばかりが通っているのですが、二番目の子の誕生を病室で、ティーンらいし弾けるような笑顔で祝う同級生の女の子たちとプレシャス。例えフリースクールでも、「学校」なのです。この屈託ない明るい笑顔は、学び舎を共有する者同士の笑顔です。この共有感こそ、私は学校の大きな値打ちだと思います。
読み書きが出来るようになると、日記を書かせるレイン先生。今まで自己表現の術を知らなかった彼女ですが、初めてその術を知ります。そうすると己を見つめる事ができ、自我が芽生えます。自我の目覚めは、眠っていた上の子への愛情も呼び覚まします。教育ってすごいなぁ。東大やハーバードを舞台にするより、ずっと根源的な「何のために学ぶのか」という意味が描かれます。
教育により変貌する少女というのが、この作品の一番のテーマですが、もうひとつのテーマは、ネグレクトの親でしょう。プレシャスとラスト近く対峙する母の思いの丈を聞き、私はずっと謎だった事が理解できたのです。
新聞を連日賑わす児童虐待ですが、無職の内縁の夫に我が子が虐待されて、どうして母親たちは逃げ出さないのか?という事です。プレシャスの母は、セックス=愛されていると大きな勘違いをしています。いやこれは勘違いではなく、肉体の快感しか、己を癒すことが出来ないのでしょう。私がぞっとしたのは、実は義父のレイプシーンより、母親が実の娘をマスターベーションの手伝いに呼ぶシーンでした。母にとって肉体の快感というのは、赤ちゃんがお腹が空いて乳房を吸うのといっしょなのです。
でもそれって人間以前でしょう?ここまで描いておきながら、母親の背景が見えづらいのです。彼女も母の愛の薄かった人だとは想像出来ます。しかしどこにも光明の見えないはずのプレシャスが、最後に見せる豊かな母性も、祖母から母に受け継がれたものへと変化しないと言えるでしょうか?人は親を手本にしたり反面教師にしたして成長するものですが、「ああはなりたくない」と思っていた、親の嫌な部分に似ている自分にハッとする、そんな経験は誰にでもあるはずです。
なので私はもう少し母の背景を深く描いて欲しかったと感じました。そして母にも、救済が欲しかった。如何にも日本的な考え方かも知れませんが、それがプレシャス自身の、未来へも繋がる気がするのです。
モニークはコメディアンですが、そのせいか、鬼母なのに笑いを取るシーンが上手く、激情に駆られるシーンとの落差が、よりこの母の無知の哀しさを浮かぶ上がらせていました。ただの演技派が演じても、悲惨さだけが浮かび上がり、やり切れなかったと思います。
生活保護が増大し、児童虐待が世間を騒がせる毎日、ドロップアウトした子供たちが通うフリースクールなど、私はとても20数年前のアメリカの話だとは思えませんでした。プレシャスは生きている。でも彼女の年まで生きられなかった子供も、たくさんいるのです。「魂萌え!」の敏子が、虐待される子供のニュースを観て泣くシーンがありましたが、同じ経験があるのは私だけではないでしょう。そういう気持ちが、この作品を少し物足らなくさせましたが、力のある良質の作品であるとは、感じています。
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