ケイケイの映画日記
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一週間前に観て、忙しくて書くのが遅くなった作品です。主演のリチャード・ジェンキンスが、本年度オスカー主演男優賞にノミネートされた作品。本国アメリカでも、たった4館からの公開が、最終的には270館まで広がったそうな。とても地味で厳しい内容なのですが、ほろ苦さや温かさ、ユーモアの表現が絶妙で、苦しい現実を見つめながら、大人の寓話的な素敵な仕上がりになっています。監督は俳優でもあるトム・マッカーシー。
五年前に妻を亡くした後、心を閉ざして生きる初老の大学教授ウォルター(リチャード・ジェンキンス)。息子とは疎遠で、ピアノ教師であった亡き妻を偲ぶ為、ピアノを習うのですが、上達が遅いのを教師のせいにしてばかりいるので、何人も先生が変わっています。住まいのコネティカットから、学会出席のため、ニューヨークにもある自宅に着くと、そこにはシリアからの移民タレク(ハーズ・スレイマン)と、セネガルから来たゼイナブ(ダナイ・グリラ)のカップルが住んでいました。彼らは詐欺にあったようです。素直に詫びて部屋を出て行く彼らを気の毒に思ったウォルターの申し出から、しばらく三人で住むことになります。タレクはジャンべという打楽器の奏者で、そのリズム感と音色に魅入られたウォルターは、タレクから手ほどきを受けます。人柄の良いタレクとの友情と育む楽しい日々。しかしふとしたことから、タレクは警察に捕らわれます。タレクはグリーンカードを持たない、不法滞在の移民だったのです。
原題は「THE VISITOR」。ウォルターから観たタレクたち、タレクたちから観たウォルター。両方なのでしょう。このタイトルも素敵ですが、孤独で頑なインテリの初老の老人の、心の扉をたたいたのが、心優しき善良な不法入国者たちだった、というのは、とても素敵な邦題だと思います。
妻が生きていた時は、単調でも心に潤いのあった生活だったのでしょう。だからウォルターは妻の面影を追いかけて、ピアノを習う。しかしそれは返って独りぼっちの彼の孤独感を深めるだけでした。そこへ現れたのがタレク。ジャンベの響き、リズム感は、力強く生命力に溢れています。一番ウォルターに必要なものだったのでしょうね。
ウォルターを観ていると、孤独から脱するには、刺激ではなく変化することが必要なのだとわかります。タレクたちを見捨てなかったのも、心のどこかに人恋しい思いがあったからだと思います。これが妻がいれば、きっとその場限りであったはずですから、人生の「扉」とは、本当に「どこでもドア」なのかもわかりません。
タレクが収容された移民局には、移民を歓迎するポスターが。アメリカとは元々多民族が集まって成り立っていた国のはず。それが9・11以降規定が厳しくなり、なかなかグリーンカードが下りないのでしょう。「俺はテロリストか?」善良で性格の良さが滲み出るタレクが振り絞るこの言葉は、本国のアメリカの観客は、感慨深く聞いたと思います。
移民の問題はとても難しいです。この作品に現れる不法滞在者は、皆きちんと自活していて、教養も常識もある人たちばかり。自分たちのアイデンティティーを大切にしながら、アメリカと共生していきたい人たちばかりが描かれていますが、そうでない人も実際はいるはずで、とてもデリケートな問題です。
しかし、ここで重要なのが初老であるウォルターの存在。彼に殻を破らせたのは、タレクたちです。そうやってあるゆる血を受け入れて、混濁した中から取捨選択して、アメリカは成長してきたのではないか?一握りの危険分子のため、多くの善良な移民まで巻き添えにして良いのか?私は作り手が問うているように感じました。
オスカーノミニーのジェンキンスが素晴らしいかったです。監督は彼を念頭に置いて脚本を書いたそうですが、それに応える好演で、ジャンベを習ってからは若々しさを取り戻し、無邪気なくらいな熱中ぶりです。前半の寂しげで偏屈は様子からは一転、顔まで若々しくハンサムに見えてきました。タレクの母親役のヒアム・アッバスの凛とした美しさも印象的です。年齢より深い皺は、彼女の人生の風雪というより、生きて来た年輪を感じさせ、エレガントさと知性を感じさせました。ジャンベのリズムが渦巻く作品中、彼女がかける亡き妻のクラシックCDは、ウォルターに妻を寂しく忍ばせるのではなく、新たな感謝の気持ちを呼び起こしたことだと思います。スレイマン&グリラのカップルも、気持ちの良い恋人同士でした。
ラスト、現実の無理解に怒りを込めて、地下鉄でジャンベを一心にたたくウォルター。その姿は、初老の人の嘆きではなく、青年の社会に対する怒りのようでした。ふとした出来事から、ハートウォーミングな展開になり、その後苦い現実で着地する作品です。しかし辛さも怒りも充分に感じるのに、それ以上の希望や勇気を感じさせる、若々しく、かつ成熟した作品でした。
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