ケイケイの映画日記
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2009年04月19日(日) |
「ある公爵夫人の生涯」 |
18日からの期待の作品ラッシュですが、まずは17日に観たこの作品の感想から。ヒロインのジョージアナ(キーラ・ナイトレイ)は、かのダイアナ元妃のご先祖に当たる人で、その生き方もダイアナ妃を彷彿させるものですが、意外や物語に奥行を与えたのは、チャールズ皇太子に当たるデヴォンジャー公爵でした。演じるレイフ・ファインズのお陰かな?濃くもなく薄くもなく、ほどほどに感情が刺激される作品でしたが、豪華な調度品や建造物の再現が秀逸。オスカーで衣装部門を受賞した、当時のクラシカルでエレガントなファッションも見どころとなり、作品の付加価値を上げています。実話を元にしています。
18世紀後半のイギリス。スペンサー家令嬢のジョージアナは、世界有数の名家であるデヴォンジャー公爵の目にとまり、若くして嫁ぐ事になります。美しく聡明な彼女は、たちまち社交界の華として頭角を現し、国民からも愛されるようになります。しかし私生活では夫の浮気に悩み会話の少ない夫婦関係は、決して上手く行っているとは言えず、また男子が生まれない事で、辛い立場にありました。舞踏会で出会ったエリザベス(ヘイリー・アトウェル)は、ジョージアナを理解し親友となりますが、あろうことか、夫は彼女を愛人にしてしまいます。三人一緒に暮らす地獄のような日々。そんな時ジョージアナは、結婚前に憎からず思っていたグレイ(ドミニク・クーパー)と再会し、たちまち恋に落ちてしまいます。
どうしたって、ダイアナ妃を思い浮かべますよね?チャールズ皇太子の現夫人カミラ妃の存在は、二人が夫婦の時から公然の事実だったし、中年にさしかかる年齢の夫と、まだ少女の良家の令嬢が妻に選ばれたのもいっしょ。ただダイアナ妃(ちなみに私と同い年)にしても、同情は出来るものの、夫婦関係が破たんする前の、自分も浮気してという彼女の行動には、個人的には疑問がありました。御先祖のジョージアナには、その回答をもらった気分です。
華やかな名家へ嫁ぐこと、夫との幸せな夫婦生活へ、期待と夢を膨らませる幼い花嫁。しかし彼女が一番期待されたのは、良妻であることより、あと次の男子を産むことでした。「夫はベッドでは何も話してくれないの」と母(シャーロット・ランプリング)に悩みを打ち明けるジョージアナに絶句。そんなこと、母親に相談するか?「何か話すことでもあるの?」という母の返事にも苦笑してしまいます。この会話にジョージアナの妻としての未熟さが表れています。
その後、経済的に恵まれた環境から社交界の華として、今でいうところのファッションリーダーめいた存在になり、少女から大人の女性として成長したジョージアナは、政治にも興味を示し賭けごともたしなむようになります。今風にいうと、マルチなセレブでしょうね。夫と上手くいかない空虚な心を、外堀から一生懸命埋めようとしていたのでしょう。夫は浮気に明け暮れ、結婚前に生まれた女子を育てるように命じ、彼女の産んだ女子には一瞥もしないなど、表側が華やかさとは裏腹、彼女の苦悩は激しくなるばかりです。
そんな時にエリザベスとのことが起こります。しかしこの事で、公爵への同情も湧いてしまうような作りなのです。代々続く名家を絶やさないため、公爵にはどうしても男子が必要なわけです。そこに自分の存在意義も価値も凝縮される人生と言うのは、男の人生として、非常な悲哀があると思いません?この時代女が子供を産む機械なら、男は種馬なんですね。それも種蒔きごんべいさんよろしく、あちこちの畑に種を蒔いても、生まれてくるのは女子ばかり。
三人の男子を産んだエリザベスには、他の女性とは違った包容力を感じたのではないかと思います。私も息子が三人ですが、不思議なもので男の子を育てる過程で、これが男というものかと、夫への謎や不満が解消されたものです。単に割り切れば済むことなのです。割り切ると受け入れることができ、その後に理解が生まれる。
ジョージアナは世間的には良妻であれと頑張ったことでしょうし、夫の浮気も苦々しく思いつつ全て受け入れていました。しかし常に「私はこんなに頑張っているのに、何故あなたは・・・」という不満の思いが渦巻いていたのではないか?それが公爵の苦悩を理解し受け入れたエリザベスとの違いでしょう。子供たちと暮らすため、愛人と言う辛い立場に甘んじたことも、ジョージアナより、世間に長けた女性だと思いました。
一方のジョージアナの行動は、気持ちはわかるけど、男に走っちゃだめでしょう。しかし相手が、若かりし頃からの友人であったグレイだと言うのが、私には同情の余地ありでした。人生とは「あの時こうしていなかったら、いやこうしていたら・・・」という、「IF」が付きものです。ジョージアナは若い頃の夢がいっぱいであった自分を、グレイによって取り戻せる気がしたのではないかと思います。
二人の関係を知った公爵の態度は、現代の価値観からみれば批難されるものですが、当時としては当然でしょう。むしろ私はすごく寛大でびっくり。特にこのままなら、子供には会わせないといい、子供達が書いた手紙を置いて帰る公爵の姿には、哀愁がたっぷり。
昔、杉田久女の伝記「花衣ぬぐやまつわる」のドラマ化で、俳句のため家庭を捨てようとする久女(樹木希林)に、「子供はどうするんだ!」と迎えに来たのに威嚇する夫(高橋幸治)。妻は「何故子供ではなく、『俺』とは、仰いませんの?」と、真剣な顔で詰め寄ります。でも夫は砂を食み(海岸でのシーン)「子供」と言い続け、「俺」とは言いません。言えないのです。久女はそんな姿に夫の本心を見出し、家庭に戻ります。それは「子供」だけではなかったと思います。
公爵とジョージアナにも、同じ思いがあったように感じました。家庭に戻った彼女には、それ以降も問題がありました。あの当時、お手打ちまでは行かなくても、身ぐるみ剥いで追い出されても仕方ない様な出来事です。しかし公爵の決断は、一見非情に見えて、ジョージアナへの侘びと愛が入り混じったものです。ラスト、おずおずと妻の手を取る公爵には、自分に課せられた宿命からようやく解放され、不器用ながら妻への愛を示す姿は、とても温かいものでした。夫にしても、いつも純粋に自分の正直に突き進む妻はまぶしくて、自分は置き去りにされた気がしていたのかも。
その後の二人の様子がテロップに流れます。少々不可思議な関係ですが、後味は良いです。皆が皆、紆余曲折を経て、相手の立場や感情を思いやる、成熟した大人になったということでしょう。
コスプレ女優の冠がついても良さそうなくらい、歴史ものの出演が多いキーラ。今回も年齢より上の役柄ですが、当時としては新しい女性だったであろうジョージアナを、上手くこなしていました。でも何と言っても、この作品を支えたのは、貴族に生まれた憂鬱と屈折した妻への愛情を、繊細にペーソスたっぷり演じた、レイフ・ファインズに尽きると思います。下手な人に演じられたら、ただの我がままエロ親父ですよ。彼のお陰で、数段格調高い作品になったと思います。お行儀良すぎて、もうちょっと毒があった方がコクが増したでしょうが、これくらいにした方が、観客の間口が広がっていいかも。なかなか素敵な作品でした。
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