ケイケイの映画日記
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スティーブン・キング原作、フランク・ダラボン監督の作品です。キングの映画化は、多分今回も毎度お馴染み、クリーチャーが襲うお話だろうとは予想がついていました。でも今回監督がダラボンということで、少し毛色が違うだろうと予想を立てていましたが、少しどころか、私は傑作だと思います。驚愕のラストと言われて、そうだった試しは少ないですが、今回は本当にそう。後味最悪ですが、すごく深い意味があると思います。アプローチも鑑賞後の感想も全然異なりますが、「エミリー・ローズ」のように、神の存在を身近に感じる作品です(私はね)。
田舎町に住む画家のデヴィッド(トーマス・ジェーン)は、息子ビリー(ネイサン・ギャンブル)と妻の三人暮らし。大変な嵐の過ぎた翌朝、気にかかる霧を川の向こうに確認します。嵐のため破損した物の修復や食料の買い出しに、デビッドは妻を家に残しビリーを連れてスーパーマーケットへ。同じ目的の客でごった返す中、客の一人が、町人の一人が霧の中の何者かに襲われたと駆け込んできます。たちまち霧に包まれるマーケット周辺。閉じ込めらた客と従業員たちは、不気味で巨大な物体を確認します。
仲の悪いよそ者の隣人ノートンとも、こんな時なのでと手を貸すデヴィッド。この町は片田舎なので、隣近所の人は皆顔見知りなのが、スーパーでの様子でわかります。皆善良そうな人たちです。
それが得体の知れない物に襲われ、命に危険が及ぶと、段々様相が変わっていきます。猜疑心の塊になる人、エゴむき出しの人、自分の主張ばかりする人。人が変わったようになる人達の中、冷静なデヴィッドはサバイバルのリーダー格になって行きます。この辺り丁寧に人物描写が出来ているので、出演者は無名の人が多いですが、キャラ立ちが鮮明で、たくさんのキャストの交通整理が出来ています。
この中で異彩を放つのがマーシャ・ゲイ・ハーデン演じる変わり者の主婦・カーモディです。神と話が出来ると豪語し、預言者めいたことを言いだし、この一大事は、神が神を恐れぬ人々に鉄槌を下しているかのように語りだします。彼女の扇動の様子がとっても怖い。町では嫌われ者だったはずの彼女が、預言が2,3当たったということで、段々シンパが増えていきます。その求心力やもの凄く、たった三日間のことなのに、彼女はあたかも救世主のように振舞い、祭り上げられます。藁をもすがりたい時の群集心理の恐ろしさを、的確に表してるのでしょう。
正しい選択を出来る人なのに、カリスマ性に欠けるデビッドの周りからは、段々人がいなくなっていきます。迷える人々には狂気じみていても、「強い指導者」を欲するのでしょう。この辺は実社会でも起こる事です。スーパーの従業員オリーの語る「ひとつの部屋でふたりいたら、最後は殺し合いになる。だから政治と宗教があるんだ」が、とても印象的。政治のデヴィッド、宗教のカーモディ。宗教が覆い尽くす様が、とっても恐ろしい。
不気味な生物たちがスーパーを襲うシーンは、武器とも言えぬものを上手く使い、閉塞的な空間を上手く使って、見応えあるものにしています。拳銃はたった一つしかないのですが、その使い方もポイントを押さえていて、秀逸でした。登場人物の心理的な演出もリアリティに溢れていて、良かったです。
しかし自分が預言者だと言っていたカーモディですが、実は預言者は別にいました。彼女ではなかったのです。以下ネタバレ。(ネタバレ終了後に文章アリ)
最初の方で危険を省みず家に帰ると言い張った女性こそが、「預言者」だったわけですね。手助けしてくれぬ人々に「地獄に堕ちろ」と、残しています。
私はカーモディが語るように、あの怪物たちは神の使いのような気がしてなりません。脱出しようとデヴィッドの車に乗ったのは、老人の男女と30代の男女、そしてビリーです。これはどう見ても「家族」でしょう。立ち止った車に、とてつもなく大きな怪物が通りかかりますが、素通りします。私には神の使いに、彼らは「必死で協力する家族」に見えたのかと感じました。
デヴィッドは息子ビリーから、「絶対僕を殺させないでね」と約束していたのに、自ら息子を殺してしまいます。息子を守れなかったデヴィッドの横を通り過ぎた預言者の女性は、しっかり二人の子供を抱いていました。デヴィッドがこの女性に家まで送ってくれと言われた時、ビリーに「ママに会いたい」と言われた時、彼は命がけで妻の元に駆けつけるべきだったのだ、と言われているようです。
同じようにマーケットを出て行ったノートンは、猜疑心から別行動をとったので、亡くなったのでしょう。隣人を愛せなかった罰なのかも。
カーモティに一度巨大な昆虫が止まったのに、何もせず離れたのは、あの時彼女は人々を救いたいと心から願っていました。しかしこのことで、自分が選ばれし人間だと勘違いし、傲慢で尊大になってしまったので、死を与えたのだと思います。
ネタバレ終わり
家族を愛せ、隣人を愛せ。小さな自分の世界も愛せずに、どうして他人が愛せましょうや。人の痛みを自分の痛みと置き換えて考えられるなら、無益な争いは起こらないはずです。このことが言いたくて、ダラボンはラストを原作と変更したのかと、感じています。
大昔、まだ三男も生まれていない頃、小さな軽自動車で家族四人丹後半島まで旅行したことがありました。高速道路を走っていると、大きな車が横を通ると、震動でうちの軽はガタガタ揺れるのです。夫は運転にひやひやし通しだったらしいですが、私は家族四人ともいっしょだもの、死んでも安心だと思っていたので、全然平気でした。それから一年後に誕生したのが、三男です。この作品を観て、その時の感情が懐かしく蘇りました。家族はいっしょにね。
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