ケイケイの映画日記
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2007年12月08日(土) 「僕のピアノコンチェルト」




終了間際の水曜日に観てきました。全然予定外だったんですが、「4分間のピアニスト」とこちらと両方予告編を観て、ピンと来るものがあったこちらをチョイス。特異な性質を持った子供の孤独と周囲を描くという点で、私の大好きな「ボクのバラ色の人生」と似たテイストを持った作品で、こちらも秀作でした。日本では公開が珍しいスイスの作品で、監督は「山の焚火」や「最後通告」など、スイスの巨匠と呼ばれるフレディ・M・ミューラーです。

測定不能な高度のIQを持つ12歳のヴィトス(テオ・ゲオルギュー)。ヴィトスはまた、ピアノの才能も天才的でした。天才児である一人息子を育てるのに肩に力の入った、過剰な期待を抱く父レオと母ヘレン。そんな両親を次第に疎ましく思うヴィトスにとって、唯一の心の拠り所は、自分を普通の孫として愛してくれる、父方の祖父(ブルーノ・ガンツ)だけでした。ある日ヴィトスは、彼にとっての鬱陶しい日々に別れを告げる行動を起こします。

天才として生まれた少年の孤独と悲喜こもごもを、上質のユーモアを織り交ぜて描いています。ヴィトスは幼稚園児の頃から天才児ぶりを発揮。大人顔負けにシューマンの曲を弾いて来客をびっくりさせたり、難しい辞典を読み耽り、果ては同級の園児たちに「地球温暖化で、そのうち地球上の人はみんな死ぬ」と言って怖がらせて泣かせたり(←笑いました)。

発明家のレオと普通のOLのヘレンは、どこにでもいる平凡な共稼ぎ夫婦です。それがトンビが鷹を生んだようなヴィトスが生まれ、、その嬉しさと戸惑いと気負いが入り混じって育てている様子が、手に取るようにわかるよう演出されていて、共感を呼びます。

とりわけ少しは客観的に観ている父親のレオに比べ、母親のヘレンはヴィトスの才能をどのように開花させるか、それだけに執着して、次第に息子の心を観ようとしなくなります。それが段々ヒートアップして、自分の人生の命題になり生きがいになってしまうのですね。うんうん、わかるなぁ。私だってヴィトスみたいな子が出来たら舞い上がってしまい、困惑しながら一心不乱に子育てだけに埋没してしまうでしょう。あぁ並の息子ばかりで良かったよ。そう思わすところに、特別な才能を持つ子どもとその親の、難しさや悩みが浮かび上がります。

同じ母親の立場からみれば、ヘレンの取った行動は何も間違いはなかったと思います。ただひとつ間違っていたのは、ヴィトスに相談しなかったことです。全て母親の一存でした。本人は納得していないのだから、反抗するのは当たり前ですよね。それがヴィトスを思う気持ちであるのは痛いほどわかりますが、ヴィトスの人生はヴィトスのもののはず。

子どもの人生は自分の人生とばかり、運命共同体になってしまうのは、母親にはありがちなことです。ヘレンはたった一度この作品の中で涙を流しますが、落胆と悔恨の入り混じったその姿は、ヘレンを責めることなく優しくいさめていたように感じ、私は監督の優しさを感じました。

少し物足らなかったのは、この夫婦がヴィトスの教育方針で、言い合ったりケンカする場面がなかったことです。普通は諍いが起こっても良さそうなもんですが、夫婦仲に心配がないからこそ、ヴィトスも安心して反抗出来たのかもしれません。子供とは親が思っている以上に、気を使って暮らしているものですから。

ヴィトスは頭が良い子にありがちな、可愛げのない生意気な子です。要するに「子供らしくない」子です。しかし完璧なまでに大人や教師や飛び級した年上の生徒たちを凹ます姿は、普通でない才能を持った者の哀しさが浮かぶのです。そんなヴィトスですが祖父やベビーシッターのイザベルの前で、本当に素直です。それは祖父にとってはただただ可愛い孫、イザベルにとっては、年下の可愛い弟のような存在なのです。この二人はヴィトスが天才児であるとかないとか、そんな事を抜きにして、あるがままの彼を受け入れ愛しているからです。レオもヘレンも本当はそうであるはずが、ヴィトスの現象に惑わされて、結局は息子を見失いかけたのでしょう。

特に祖父のヴィトスへの接し方はこよなく自然で素晴らしく、孫であり最大の友でもあります。祖父として教えるべきことは教え、約束は大人と同じように守るなど、ヴィトスの人格を尊重する姿が、とても勉強になりました。

持ち前の頭脳で父の境地を救うヴィトスですが、この方法にはちと鼻持ちならない気分になります。しかしイザベルに対しての滑稽な告白の内容やこの方法こそが、ヴィトスの哀しみの根源なのでしょう。愛情の出し方がわからず、心で感じる前に頭が先に働いてしまうのですね。余裕尺々に見えて、本当はチリチリする自分の心が、本人もわからないのでしょうね。こういう天才児らしい演出で、親への愛を表現させるところなど、監督のヴィトスへの愛の深さも感じられます。

ラストのヴィトスの姿は、逃げても逃げても追いかけてくる彼の宿命を感じます。宿命というと因果なものに聞こえるので、人生の宿題かな?その才能が自分のため、世の中のためになることならば、必ずそのことを背負って人生を生きて行かねばならないと、私は思っています。そんな考えを後押ししてくれるラストでした。

ヴィトスを演じるテオ・ゲオルギューは、本当の神童ピアニストなんだとか。ともすれば小憎らしさが先に立つヴィトスの様子を、幼少期を演じたファブリツィオ・ボルサニの愛らしさとともに、理解と共感を呼ぶ素直な演技が、とても良かったです。また映画にも出て欲しいな。


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