ケイケイの映画日記
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韓国のキム・ミョンジュン監督が、北海道の朝鮮学校に二年間滞在しながら、子どもたちの日常を中心に、教師や周辺の大人たちを映したドキュメンタリーです。2006年釜山国際映画祭雲波賞受賞作品で、日本では自主上映の形を取って全国で巡回上映中なのですが、我がラインシネマでは11月18日に一日だけですが、商業ベースの劇場で公開してくれました。
在日ではない本国の韓国人が、敵対する北朝鮮の教育を受ける在日朝鮮人を撮るという画期的な作品で、東大阪市の布施という在日の多い土地柄でしょうか、劇場は立ち見の出る大盛況でした。とても興味深い企画なので、私も楽しみにしていましたが、全体に踏み込みの甘さが目立ち、偏った視点が感じられる作品で、私には疑問の多い二時間でした。今回書く感想は、一韓国系二世の、あくまでパーソナルな感想であって、私の感想=韓国系在日の感想ではないと、お含み下さい。
冒頭雪深い北海道の自然が映されます。北海道の在日は約6000人とのこと。北海道では唯一のこの朝鮮学校は、終戦後間もなく、日本に在留の朝鮮人子女たちが、帰国後困らぬように言葉や教育を身につけるため作られたとの、文字が入ります。学校は小1から高3まで、全部のクラスが一つだけです。年々入校者は減少しており、中学や高校進学を期に、日本の学校へ転校する生徒も多く、この辺は時代の流れでしょう。
そういう環境の中、朝鮮学校で学ぶ生徒たちの民族意識は、やはり高いものでした。授業は全部朝鮮語で、途中で転校してきた生徒のためには、学年の枠をはずし、特別な朝鮮語の授業もあります。流暢な朝鮮語を話す生徒たちに気後れした転校生だった一人が、転校後暗くなりがちだった自分に、他の生徒たちの優しさに胸が熱くなったという話や、伝統的なチマチョゴリは冬はとても寒く、生徒たちで下にセーター着用を認めてほしいと、議案を提出するための会議も観ていて微笑ましく、一昔前の青春ドラマを観ているような爽やかさです。恩師や親を敬い、友情をはぐくみ、クラブ活動に勉強に励み、頭髪は全員が真っ黒でパーマもなし。女生徒はもちろんノーメイクです。生徒たちは一様に純粋さが心から伺える目をしており、懐かしささえ感じます。
しかし既に、この前半でのまぶしい様な青春模様から、わたしには違和感がありました。本当に清く正しく美しくの青春。それは一種の隔離された純粋培養状態に、生徒がいるからではないのかしら?
朝鮮学校に通う北朝鮮系の人々は、実は朝鮮半島で言えば韓国が故郷の人(多くは済州島)が多いという事実を、この作品でも紹介しています。生徒たちの祖母にあたる女性が、「私は北も南も両方故郷だと思っているの。監督、ここちゃんと撮ってよ!」と、和やかに焼肉を食べながら話すシーンが出てきますが、これは彼女は韓国出身の一世だということでしょう。この事実を知らなければ、この言葉は北朝鮮系の一世の、単なる懐の広さを表わす言葉になってしまいます。
現在の北朝鮮のあらゆる情報は、毎日のように私たちの目に入ってきます。 それは拉致問題だったり、テポドンだったり、経済制裁や生活苦からの脱国ですが、教師や生徒、父兄たちに、監督はたくさんのインタビューをしますが、それについては全く触れません。インタビューから引き出される言葉は、朝鮮学校での民族教育への賛美、如何に日本社会では在日は生きにくいかです。「民族の誇りを持って在日を守る」。この言葉が何度生徒たちから出てきたことでしょう。極めつけは北朝鮮に修学旅行から帰国し、熱に浮かされたように、初めて見る祖国を絶賛する生徒たちの姿です。「人々が生き生きしている」「みんなが目的意識を持って、誰かの役に立ちたいと思っていて、素晴らしい」。果ては「幸せの意味がわかった。お金とかの問題じゃない」。そこで再び「自分が在日を日本社会から守るのだ」が出てきます。
私の映画日記を長くお読みの方は、もう私には疑問がいっぱい噴出しているのがおわかりだと思います。私たち在日の役割は、「日本社会から在日を守る」のではなく、「日本社会に溶け込み、永久に日本に住み続ける在日の存在を理解してもらう」だと、私は思っています。在日が一番嫌う侮蔑の言葉は、「国へ帰れ」だと思いますが、この作品を観て、素朴に何故この人たちは北朝鮮へ帰国しないのだろうと思います。答えは簡単、「暮らせないから」です。
地上の楽園と言われ、帰国した多くの同胞の悲惨な末路を、この子たちに大人は教えているのでしょうか?それともそれは韓国政府や日本の作り話だと思っているのか?北朝鮮の教育を踏襲して日本で生きる彼らに、祖国である北朝鮮の数々の報道を聞き、何を思い感じるか?その視点がなければ、このドキュメントの価値は半減以下のものになります。描かれるのは、ただただ熱い祖国への想いです。
朝鮮学校は各種学校扱いで、それをあたかも日本政府の差別のように描写しているのも、疑問があります。これは当たり前のことではないでしょうか?同じような中華学校やアメリカンスクールも、各種学校扱いです。何故かと言えば、授業が文部科学省の教育指導に沿った内容でないからです(アメリカンスクールについては、2003年度より若干の変更有。詳しくはここ←をクリック)。約10年前から、各種学校扱いでも高校総体や全国大会に朝鮮学校の生徒も出場できるようになったのは、真面目にスポーツに励む生徒たちへの配慮であるように、私は思います。この辺は地道に暮らして信頼を勝ち取った親世代のお陰であるだろうし、素直に教育機関に感謝してもいいことだとも思いました。ちなみに大阪にはやはり民族教育に力を入れた、韓国系の金剛学園と健国という幼稚園から高校までの学校がありますが、日本政府の指導に沿っていますので、私立の学校として認可されています。
監督のナレーションで、「北朝鮮政府は朝鮮学校にたくさんの援助をしているが、韓国政府は何もしていない」と入り、それがこの学校に携わる人々の韓国アレルギーの根源だとも言いたいような口ぶりです。そんなこと当たり前です。私は大阪の朝鮮学校に入ったことがありますが、堂々と玄関には金日成の写真が掲げてあります。通っていた子に聞いた話では、正に金日成のことは神格化して教えていたと聞きました。その教育内容で、南北を分断した朝鮮戦争も一方的な教え方をしているのに、どうして韓国政府が援助する義理があるんでしょうか?
監督は長く子供たちと接し、きっと情が移ったのでしょう。それほど「監督、これウォン・ビンに渡して!」とプレゼントを渡す子、あの万峰号の甲板で「監督〜!行ってきまーす!」と満面の笑顔で絶叫する子供たちは、本当に素直で良い子ばかりです。その周辺の大人たちも善人であることは間違いないでしょう。朝鮮学校の光と影を、まぶしい子供たちの青春と日本社会からの抑圧と映すこの作品は、もしかしたら太陽政策の一貫として、韓国政府に利用されたかも知れないなと、感じました。
私たち在日の未来は、日本社会の中にこそあると思っています。二つの世界観を持つ私たちは、両方の国に貢献出来るはずです。学校で得た祖国の言語や、儒教の良き精神を身に付けたあなたたち。どうぞその力を発揮して、小さな小さな在日社会で在日を守るだけはなく、もっともっと大海に羽ばたき、日本社会に溶け込んで下さい。それがあなたたちの大好きな、親兄弟や祖父母を守る事になります。私はこの事を彼らに、節に望みたいです。
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