ケイケイの映画日記
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2007年11月13日(火) |
「ALWAYS 続・三丁目の夕日 」 |
まさか続編が作られるとは思っていなくて、正直もう観なくてもいいかなぁとも思ったのですが、泣いて笑ってしみじみして、前作同様、安定して楽しめました。これも原作が優れているんでしょうね。
前作から四か月後。少しづつ、三丁目の人々にも生活に変化が起こります。鈴木モータースでは、一平(小清水一輝)のはとこ・美加(小池彩夢)を、父親の仕事の都合で預かる事に。茶川(吉岡秀隆)は相変わらず小説家として芽が出ず腐り気味ですが、一緒に暮らす淳之介(須賀健太)の、「おじちゃんは立派な小説家です」の言葉を支えに、筆を運んでいます。そんな折、親の借金のため姿を消したヒロミ(小雪)が、近くの劇場で踊り子として出ているとの噂が、茶川の耳に入ります。そんな折り、淳之介の実父川渕(小日向文世)が、再び淳之介を返してほしいと、茶川の元にやってきます。
メインの茶川と淳之介コンビは、今回も絶好調。頼りない茶川としっかり者の淳之介は、本当にいいコンビです。自分一人も養えないような茶川ですが、自分を信頼し尊敬してくれる淳之介の存在こそが、彼の生きる糧なのでしょう。淳之介がいなければ、早々に筆は折っていたかもしれないなぁと、彼を支える淳之介を観て今回感じました。
前作では戦争の傷跡を心に残している描写は、宅間先生(三浦友和)だけでしたが、今回もまた、再び狸に化かされて妻子の夢が観たいと語る先生には泣かされます。後添えさんも貰えたでしょうに、終戦からずっと一人暮らしを続けているところに、先生の戦後はまだ来ていないのがわかります。
戦争の傷跡は鈴木家の則文(堤真一)とトモエ(薬師丸ひろ子)夫妻にもありました。則文は戦争で行き別れた部下のことを心配し続けており、自分だけ幸せな暮らしをしていいのか?と、ずっと頭から離れません。失礼ですが、この繊細な感情は豪放な則文には意外でした。トモエには、戦争で引き裂かれた恋人がいました。本当に幸せそうな良妻賢母ぶりの彼女からは、これも意外だったのですが、この善良な夫婦に戦争の傷跡を演じてもらうことで、当時の多くの人々が、ただ前を向いて高度成長の時代を生き抜いていたのではないく、それぞれが戦争の傷跡を胸に秘めて、声高く戦争を紛糾するのでもなく、その感情を受け入れながら懸命に暮らしていたのだなぁと、当時の日本人の美徳を、この夫婦から感じました。
茶川への思いを心に秘めるヒロミに、年増の踊り子(手塚埋美)は、こんな仕事(ストリッパー)をしている自分たちの存在は、相手が立派になればなるほど邪魔になる、と辛辣に忠告します。当時はこう言う仕事に身を落とした女性には、平凡な妻や母になることは望めなかったのでしょうね。しかし今と違って、当時この仕事に就くのは、ほとんどの人がヒロミ同様、親のためや生活のためだったでしょう。そういうたくさんの当時の女性への思いやりを込めて、ヒロミの行く末を描いていたのが嬉しかったです。
美加はお金持ちの子でしたが、父親が事業に失敗。母も早くに亡くしていたため、父親はお金でその寂寥感を埋めようとしたようです。しかしお金もなくなり、何もなくなった美加に、人の幸せの価値観をきちんと教えたのは、トモエの母のような愛情や、一人東北からやってきた自分を美加に重ねて、何くれとなく世話を焼く六ちゃん(堀北真紀)の存在でした。愛情を注ぎ世話を焼く、あぁここにも昭和の女の優しさが。
最初高慢で、お手伝いなどもしたことのない美加が、周りを見渡し進んでお手伝いをするようになる過程は、相手が子供なので観ていて余計その素直さが嬉しいです。懐かしの洗濯機が小道具の、当時のお手伝いの様子を見ながら、あまりにも便利になってしまった今、もしかしたら子供たちから、「親の役に立つ喜び」を奪ってしまったのかなと、ふと思いました。この当時の親は、勉強しなさい!なーんて、怒鳴らなかったんだろうなぁ。
集団就職の光と影も、今回は描かれます。光は六ちゃん、影は中学校の野球部のエースだった武雄です。仕事の内容もさることながら、勤め先の人々に恵まれるか否かは、彼らに取って、本当に重大だったのです。二人の淡い恋心も描きながら、当時の映画(裕二郎の映画)や万年筆など、懐かしいアイテムを用いて、若者らしく描いています。武雄役の浅利陽介が、びっくりするほど昔の日活に出てくる青年風で、この辺りは日活の往年の青春モノを観ている感じでした。でも六ちゃんは本当にいい子だなぁ。うちの息子たちのお嫁さんにしたいくらい。
正直言うと、続編の話を聞いた時、何度も同じものを描かなくてもいいって!と思ったもんです。しかし出来上がったものは、前作の「懐かしの風物詩+昭和の心豊かな人情」から、今回は良い人ばかりを描かず、光も影もあてながら、へこたれず未来を信じてまっすぐ生活する人々の心を、一人一人深く浮き彫りにしていたと思います。私は昭和36年生まれで、この当時は生まれていませんでしたが、それでもこの時代の価値観は、私の中で脈々と生きていました。それは「清く正しく額に汗して暮らしていれば、お金持ちにはなれなくても、きっと幸せにはなれる」です。この価値観が通用する世界こそ、本当の心豊かな世界ではないでしょうか?懐かしさだけではなく、格差社会が叫ばれる今、観客に再びその思いを強く抱いて欲しいための続編だったかな?と、今思っています。監督はその願いを、拝金主義でエリート命の川渕の、ラストの様子に込めていたと思います。
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