ケイケイの映画日記
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2007年10月07日(日) 「エディット・ピアフ 〜愛の讃歌〜」




この作品を観に行くつもりだと、いつもカットをお願いしている若い美容師さんに話したところ、「”あ〜なた〜の燃える手でぇ〜♪”の人の話ですか?」と答えてくれました。正確に言うとそれは『越路吹雪の「愛の讃歌」』なのですが、それくらい若い人でも、ピアフが「愛の讃歌」を歌っていた人だと知っているのですね。ですが彼女も私も、不世出の歌姫ピアフが、こんな波瀾万丈の人生を送った人だとは、全く知りませんでした。少々説明不足の箇所もありますが、ピアフを演じるマリオン・コティヤールの大熱演が、それをしばし忘れさせてくれる作品でした。

1915年、パリに生まれたエディット。彼女の母は街角で歌を歌い、日銭を稼ぐ日々でしたが、出征した夫を待ちあぐね、実母に娘を預けて失踪してしまいます。それを知った父(ジャン・ポール・ルーヴ)は、軍隊を一時徐隊し、エディットを連れだし、娘を娼館を営む自分の母(カトリーヌ・アレグレ)に預けます。娼婦のティティーヌ(エマニエル・セニエ)らに慈しまれながら成長するエディット。しかし除隊し大道芸人に戻った父は、エディットを娼館から連れだします。浮草生活の父親から独立し、母のように街角で歌い日銭を稼ぐようになったエディット(マリオン・コティヤール)は16歳。有名なキャバレーを営むルイ(ジェラール・ドパルデュー)に見出され、歌手として歩み始めます。

オープニングは舞台で熱唱するピアフが倒れるところから。以降最晩年のピアフ、幼少の頃、歌手になりたての頃、全盛期、アルコールと薬物のため病に苛まれる時期などが幾重にも交錯して描かれます。しかし場面場面の演出に手をかけ、メイクや衣装にもはっきり違いを出しているので、わかりづらいということは、全くありません。

幼少から少女期を丹念に描いているのが私的に良かったです。娼館での風景はルイ・マルの「プリティ・ベビー」を彷彿させるものがありました。淫蕩な風情の中に、娼婦たちが幼女のエディットを慈しむ様子が、彼女たちの哀れな境遇を浮き彫りにし、そこはかとない哀しみが漂います。取り分けエディットを大層可愛がるティティーヌを観て、これはもう客が取れなくなるぞと感じましたが、そういうシーンが本当に出てきました。仕事柄彼女たちには、産めなかった子もいたでしょう。子供を育てている感覚は、ティティーヌの心に閉じ込めた悔恨や辛さの鍵を開けてしまったのですね。女性が子供を可愛がる、その当たり前の行為に、娼婦の哀しさを滲ます良いシーンでした。セクシーなイメージの強いセニエですが、溢れ出る母性を隠そうとしない娼婦を演じて、とても良かったです。数少ないエディットの安定した愛情に恵まれた時期で、心に残りました。




その数奇な運命もさることながら、一番の見どころはピアフを演じたマリオンの素晴らしい演技ではないでしょうか?30過ぎの女優さんだそうですが、元気一杯のハイティーンから晩年の老婆にしか見えない47歳までを、メイクの力は借りていますが、観ていて全く違和感がありません。歌声は本当のピアフの力を借りているそうですが、たとえクチパクであっても、歌うことに全霊を賭けるピアフの執念とも言える姿が、ひしひしこちらに伝わります。天才アーティストにありがちな傲慢さ、反するような復活のステージの直前の心の乱れ、私生活での恋人を一途に愛する少女のような愛らしさ。一つ間違えば暑苦しく嫌悪感を抱きかねない直前で止めているので、圧倒的な迫力にただただ感心してしまいます。↑の画像は普段のマリオンなのですが、作品を観た方はあまりに違うので、びっくりされることだと思います(もちろん私も)。大変な美人ですよね。

常に猫背で少々卑しさの漂う若き日のピアフは、その恵まれない生い立ちを観た後なので、むしろ心を寄せて観てしまいます。ピアフは尊大に思えるほど自分の歌声に自信を持っているように見えますが、それは言いかえれば、彼女の人生全ての拠り所が、歌しかなかったからでしょう。

天才的なアーティストを描くと、だいたいが傲慢で破天荒な人生を送る主人公、それを支える人という図式になりがちですが、この作品でも節目節目にピアフを支え救う人々が現れます。ティティーヌであり、義姉妹の契りを結んだモモーヌであり、ルイであり、とある事件に巻き込まれた彼女を救う作詞家のアッソであったり、生涯で一番愛したマルセルであったり、晩年のマネージャーであるバリエであったり。よくよく考えれば、幼少の分は倍にして取り戻すほど、ピアフは与えられる愛に恵まれた人でした。少し関係の繋がりやその後がわかりづらい人もいるのですが、要所要所に素晴らしいピアフの歌声が入り、その疑問を消してくれます。波瀾万丈であっても、決して不遇でも幸薄かった人生でもなく、幸せな人生を送った人だったのだとの思いが、鑑賞後残りました。

父方の祖母役の人は、晩年のシモーヌ・シニョレにそっくりだなぁと思っていたら、本当の娘のカトリーヌ・アレグレだったのでした。ピアフは再会した母を罵りますが、彼女のその歌声は母からもらった宝物のはず。映画では描かれませんでしたが、ピアフがそのことに気づき、母を許せる気持ちになってくれていたら、私は嬉しいです。


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