ケイケイの映画日記
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2007年08月23日(木) |
「リトル・チルドレン」 |
仕事休みだったので、やっと梅田のOS名画座まで観てきました。出かける前にはお昼御飯に三男の好物のオムライスを作りながら、「なぁなぁ、お母さんこれから映画観てきていい?」とご機嫌取りを忘れない私。食いもんに釣られてニコニコしながら「うん、いってらっしゃい」と言う息子は、この炎天下これからクラブなのですね。ごめんよ、息子。母ちゃんだけ涼しい映画館に行ってさ。しかし可愛い息子をほったからかして、観た甲斐のある作品でございました。
ボストン郊外の閑静な住宅地に引っ越してきた専業主婦のサラ(ケイト・ウィンスレット)は、三歳の娘ルーシーのための公園通いが苦手でした。つまらない井戸端会議に終始する主婦たちとの付き合いが苦手なのです。ある日「プロム・キング」と彼女たちから噂されるハンサムなブラッド(パトリック・ウィルソン)が久し振りに息子アーロンを連れて公園にやってきます。彼は放送局に勤めるキャリアウーマンの妻キャシー(ジェニファー・コネリー)がおり、主夫をしながら司法試験の合格を目指していました。ちょっとしたイタズラ心から主婦たちの面前でキスするサラとブラッドですが、このことが周囲や自分たちを巻き込んだ波紋を呼びます。その頃幼児愛者で性犯罪で服役していたロニー(ジャッキー・アール・ヘイリー)が街に戻ってくることになり、住民たちは警戒します。
ハイブロウに演出されてるけど、ただのソープドラマじゃん、予告編の嘘つき!と思って最初観ていたのですが、後半からはこれはもしかして確信犯的に、見かけはハイソ、中身は俗っぽく描いているんじゃないかと感じ始めました。どうも皮肉いっぱいでインテリをせせら笑いたいように感じるんです。
サラは国文学の修士課程修了の女性で、娘が可愛いというより、子育てで自分の時間が作れないことに苛立っています。ブラッドだって今は妻に食べさせてもらっていますが、元を正せば優秀な人だからこそ司法試験浪人なのででしょう。二人とも若い頃の自分を思えば、今の境遇に不満なのです。
しかしこの二人、インテリかも知れませんが、世間知らずな事もおびただしい。いくらいたずら心からでも、大胆に人前でハグしてキスなんかするか?市営プールでの毎日の逢瀬も絶対ご近所の噂になってるって。いい年こいた大人が、ティーンエイジャーのように恋に盲目になっているのは、今の自分の不甲斐無さにやいけてなさを、受け入れられないからでしょう。
甲斐性があってエリートのサラの夫は、実はエロサイトのシリコン入りプレイメイト風ネットアイドルに夢中で、妻より自分で処理しちゃう派の人。ワタクシですね、こう言った場合、妻ともちゃんと交渉があって、尚且つ精力をもてあまし気味な御主人方についてはノープロブレムだと思っているんですが、この夫の場合は多分妻とはセックスレスに近かったんじゃないかと感じました。ブラッドの方も、美しく妖艶な妻の「早くお風呂に入ったら?」の一言で、「今日はセックスさせてもらえそうだ」と張り切るのですから、可哀想なもんです。このシーン、結局おあずけなんですが、妻に食わしてもらう身とありゃ、押し倒すわけに行きませんわな。
サラは読書会で「ボヴァリー夫人」について、抑圧された自分の人生に乾いていた彼女が、自らの解放の手段としてチョイスしたのが不倫だったと答えます。自分を重ねているのは明白ですが、観ている私は、あんたはそんなかっこいいもんじゃないだろうが?とツッコミを入れたくなります。母として未熟な自分は認めず、自分を女として見てくれない夫に失望しているサラが、てっとり早く女を確認出来るのは、夫以外の男性とのセックスだったのでしょう。それも相手は「プロム・キング(学園の人気者)」と揶揄されるいい男だったんですから、つい我を忘れたサラの気持ちもわからなくはありません。
ブラッドも妻に家計を委ねる専業夫とは言え、家事と育児を一手に引き受け、まるで去勢されたような日々。しかも愛しい息子は、母親が帰るやいなや母に飛び付き、虚しさ倍増だったはず。この辺私はとてもブラッドに同情しました。家事は毎日毎日繰り返され、手応えのないもんですが、育児には子供が「世界で一番ママが好き」という愛情をこちらに示すので、それを拠り所に励めるものです。でもブラッドにはそれもない。だいたい妻だって悪いのです。家事と育児を全部任せて、夜に勉強なんて疲れて出来ませんて。私には絶対無理。何故保育園に入れなかったのかな?アメリカにも「三歳までは親の元で」神話があるのか?携帯ひとつ自分の意志で買えない情けないブラッドが、サラに男としての救いを見出したもわかる気がします。
この不倫バカップル、関係をもってから以降、バカぶりに磨きがかかった暴走ぶりを見せてくれるのですが、これが低俗で笑えます。本当に昼メロみたい。何故怒りより笑えるのかというと、私だって今の自分は、若かりし頃夢に描いていた自分じゃないからです。もっと勉強しときゃなぁとか、あの時ああしてりゃーなぁとか、やっぱりたまには後ろを向いてクヨクヨする事もあるのですね。こんなインテリのお金持ちそうな美男美女でもそうなんですから、その辺に転がっている主婦の私だって時々はそう思ってもいいんだなぁと思うと、笑えるの。サラが嫌悪している「凡庸で俗っぽく、インテリジェンスに欠ける主婦」たちの方がよっぽど地に足がついており、私はその部類なので、安堵したりもするのです。
前科者ロニーの方がよっぽどましじゃないかと描きたいのかと思いきや、こちら真性の変態で、どんなに老いた母が心配して励まそうと、それは無駄に終わるのです。しかしこのお母さんが、息子持ちの私の心をざわつかせるのですね。ご近所からの罵声を受ければ、息子をさえぎって矢面に立つママ。老いた自分が亡くなった後息子が寂しかろうと、出会い系のようなものから、相手を必死に探すママ。これが20前後の息子ならともかく、50前の息子に対してでは、全部間違ってます。息子には自分を気遣ってもらうべきだし、息子にセックス付きの家政婦さんのような人がいれば、性的嗜好が変化するだろうと考えているのも、まったく自分勝手な思い込みです。まずしなくてはならないのは、女性を探すことではなく自立する為の仕事を与えること、そして劇中でママがロニーに言って聞かす「あなたは悪いことをしたけど、悪人ではないわ」と言い続け、常に暖かく包み込んであげること「だけ」だと思うのです。
しかしこのママの気持ち、他人事だと誰が言えよう。私は間違っているとわかっていても、ロニーのママを裁くことは出来ません。そして息子に宛てた手紙の内容に、私は震撼するのです。親にとっては子供はいつまでも子供でしょう。しかし行き過ぎては絶対お互いのためにならないのです。息子を甘やかし、他者の痛みに鈍感な変質者にしたのは、ママかもしれないから。母親とは私を含めて、自分の人生に欠落を感じると母性にすがろうとするものだと思います。ブラッドの妻キャシーの母の娘夫婦への過剰な踏み込みも、夫の浮気が尾を引いているかも知れません。「リトル・チルドレン」な大人たちには、母親の存在は大きく立ちはだかっているのかも知れないと、私には戒めになりました。
笑わせてもらったり、震撼させられたりしましたが、お話はどうオチがつくのだろうと全然わからなかったのですが、落ち着くところに落ち着きました。サラは一瞬だけど失ったかも知れないと怯えたものが、彼女には一番大切だと気づき、ブラッドはスケボー少年たちに、自分はもうプロム・キングではないと理解させられます。そしてロニーは・・・、ママー!罪は重いよ!しかし嫌われ者の元警官ラリーの取った行動とともに、救われるものを感じさせます。
私は若い頃、自分の今の年齢なら、何でも知っていて落ち着いていて、もっと分別もあってお金も持っていて、完璧な「大人」になっていると思っていました。ところが現実は全然。はしや棒にかかるくらいですな。そんな思いを抱いて入る人は、たくさんいると思うのですね。登場人物たちは、「私に似た人」だったと思いました。
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