ケイケイの映画日記
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昨日のレディースデーに観て来ました。劇場は家や職場からも比較的近く、私の好きな敷島シネポップ。近隣に大型シネコンが出来たせいか、拡大公開とミニシアター系作品の中間的作品(私が一番好きなタイプ)が最近よく公開されて、嬉しい限りです。しかしこの一週間、やくざと女囚ばかりと仲良くしていたため、頭が切り替わらず、格式のあるロイヤルファミリーの苦悩には、あまり面白さを見出せませんでした。興味深くは観ましたが。本年度アカデミー賞最優秀主演女優賞受賞作(ヘレン・ミレン)。オスカー受賞式のミレン、最高に綺麗でしたね。
1997年8月の末、チャールズ皇太子(アレックス・ジェニング)と離婚後も、大衆から絶大な人気を得ていたダイアナ妃が事故でなくなりました。ダイアナ妃は王室を離れた民間人なので、公式の声明は出せないというエリザベス女王(ヘレン・ミレン)。同調する皇太后(シルビア・シムズ)と夫のエジンバラ公(ジェームズ・クロムウェル)。その頃就任早々のブレア首相(マイケル・シーン)は、早々に声明文と国葬にすることを発表。王室が追悼の反旗も掲げず、何も行動を起こさないことに苛立つ英国民。ブレア首相は、粘り強く女王に姿勢を変化させることを交渉します。
まず字幕なんですが、ずっと「ダイアナ皇太子妃」と出てくるのです。彼女は離婚後「プリンセス・オブ・ウェールズ」の称号は残ったものの、皇太子妃ではないのに、ずっとこの呼称でイギリスでは呼ばれていたんでしょうか?普通にダイアナ妃ならわかるのですが。日本ではわかりやすくダイアナ元妃でした。これは字幕の間違い?(翻訳は例のアノ人)。この辺事情に通じている方にご教授お願いしたいです。
常識的に考えれば、全然女王は間違っていません。離婚した元嫁、それも劇中でブレアが叫んだように、如何なる理由があるにせよ、ダイアナ妃は女王に後足で砂をかけて出て行った人です。形式的にも感情的にも理解出来ます。しかし50年に及ぶ長き在位の中、誰よりも国民の幸せを願い、知っていると自負していた女王は、その国民から背かれます。時代の流れと一言では言い切れない無念さが去来したその胸中を、ミレンは威厳をもって演じています。
エリザベス二世と言う人は、あの世紀の王位を捨てた恋を貫いた伯父エドワード八世が退位したため、次の継承者である実父が即位。短命であったため、20代半ばで女王として即位しています。以前エリザベス女王関連の記事を読んだ時、女王は父が即位した時から、自分に弟が生まれることを熱望したと読みました。運命に逆らわず、良き君主であることを一番に生きた女性です。
対するダイアナ妃も20歳そこそこで皇太子妃となったときは、まるで御伽噺の王女様だったでしょう。愛人と縁を切ろうとは思っていない夫(とその愛人)は、組し易いと思って選んだ少女が、人間として自我に目覚め、成長していくとは想像出来なかったのでしょうか?国を超えて世界中に沸き起こるダイアナ人気も誤算だったことでしょう。ダイアナ妃が大衆を観方につけ、自分の意思を明確に示し、強く逞しくなっていくのを、女王は嫉妬や羨望の気持ちを抱いていたように感じます。自分には決して許されないことだったから。
自分の感情を捨て国民の思いに添うた女王は、今まであらゆることを受け入れ続けてきた彼女としては、断腸の思いではなく、一つの進歩だったように感じました。
英王室も認めている作品らしいですが、それはどんな場面でも威厳と品格と知性を保つ女王を、描く以上に素晴らしい女性に演じたミレンの好演ではないかと思います。ブレアが段々と女王に親しい感情を持ち、まるで息子が母を守るようになっていくのが印象的でした。しかしチャールズ皇太子はバカ息子だと描かれているし、エジンバラ公も皇太后も毒のある人に描かれています(チャーミングだが)。日本の皇室をこうは描けないと思うので、やっぱり英王室は開かれているんですね。しかし愛人をそのまま皇太子妃にするという、一種厚顔無恥な王室でもありますから、どちらが良いとは言えません。
開かれていると言えば、女王が四輪駆動の車を自分で運転するのにはびっくり!バーベキューの場面では自らお給仕するし、本当なんでしょうか?ブレア首相は自宅で皿洗いまでするし。ブレア夫人も本当にあんなに夫のすることに口出ししたり、亡くなった姑のことを冷やかすような口を聞く人なのからし?
どこまで真実でどこまでフィクションかは、私にはわかりません。全体にソツなく出来ていますが、やっぱり私はあんまり面白くはなかったです。でも現役の王室の人々がモデルになった作品と言う、画期的な作品ですから、ミレンの演技以外でも、観る価値はアリだと思いました。女王とブレア首相の人気回復には、確実に貢献する作品だと思います。
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