ケイケイの映画日記
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2007年03月08日(木) |
「パフューム ある人殺しの人生」 |
「ヘブン」の純白の美意識が大好きだったトム・ティクバの作品。今回は香りというフェティズムを映画で描くと言うので、とても楽しみにしていました。しかし率直にいうと、クライマックスの映像に違和感があり、超微妙な感情が残りました。これは香りに対しての私の概念が影響していると思います。
18世紀のパリ。町は悪臭が立ちこめ、その匂いを消すため、香水がもてはやされていました。グルヌイユ(ベン・ウィショー)は市場の大量の魚の上に産み落とされます。死産だと思っていた母親は、泣き声をあげた息子のため、子供を殺そうとした罪で絞首刑に。グルヌイユは劣悪な孤児施設で育ちますが、異常に発達した嗅覚のため、他の子供達から孤立して育ちます。13歳の時になめし革の職人として売られた彼に、数年後転機が訪れます。親方といっしょに街を歩いていた彼は、至高の香りを体から放つ少女に出会います。彼女を追い求めるあまり、誤って殺してしまうグルヌイユ。しかしその香りが忘れられないグルヌイユは、その香りを再現すべく、香水の調合師バルディーニ(ダスティン・ホフマン)に弟子入りします。
まずは当時のパリの町並みや、雅な特権階級の人々と、薄汚い庶民との対比、常にカツラをかぶる男性など、忠実に当時を再現したであろう様子がとても見応えがあります。特に庶民達があちこち皮膚病に罹っているのがさりげなく表現されていて、当時の様子をよりリアルに感じさせてくれます。美しい場所も、市場の不衛生でグロテスクな様子も余すところなく映し、本当にあの香りこの匂いと画面から漂ってきそうでした。それと赤ちゃん。「トゥモロー・ワールド」でもびっくりしましたが、それ以上の精巧さで、生まれたてから漂うグルヌイユの神秘性まで表現出来ていて、本当にびっくりでした。
究極の夢の香りを追い求めるグルヌイユを観ていると、ウィリアム・ワイラーの方の「コレクター」の主人公を思い出しました。誰からも愛されず愛したこともない孤独な主人公たちは、片方はストーカーに、片方は匂いフェチに。両方性的に女性を愛さないところもいっしょ。雄になれない男の哀しみ。おずおずとでもサマンサ・エッガーと交流を試みようとするテレンス・スタンプに比べ、どこまでもストイックなグルヌイユ。しかしいくら大切にしようとも、蝶の収集同様にしか女性を思わないスタンプに比べ、例え殺人を犯そうが、グルヌイユからは女の心を乞う様子も感じられるのです。
それは極めて発達した嗅覚であらゆることを判断する彼が、体臭のない自分=存在を認めてもらえない人間として、絶望しているからでしょう。「コレクター」のスタンプは、自分に絶望も失望もしていませんでした。グルヌイユを演じるウィショーは、この作品で初めて観ましたが、難しいこの役を静かに、しかし孤独と焦燥感に駆られたグルヌイユを圧倒的な説得力で演じて、感嘆します。特に殺してしまった少女の体から、かき集めるように匂いを嗅ぐシーンなど、ともすれば変態チックに映り、女性は嫌悪感を感じるものですが、いかにその香りを自分の記憶に留めたいか、その必死の思いが歪んではいますが、愛情にも感じさせます。
ホフマンの老いの醜悪さもちょっぴり見せるユーモラスな演技、グルヌイユの第二の憧れの女性ローラを演じるレイチェル・ハード・ウッドの絵画から飛び出したような可憐さ、ローラの父親役のアラン・リックマンのいつもながらの重厚な演技、一歩間違えれば猟奇的な内容を、優美に悲しみを漂わせながら映す様に、いいぞいいぞ、最高じゃないのと大満足だった私ですが・・・。
CMでもネタバレ気味のクライマックスシーンになり、少々首を捻りました。私はあれには納得しかねるのです。ここでグルヌイユが神々しく観えれば、あのシーンは圧巻ですが、私にはペテン師とは言わずとも、奇術師に思えます。この感想ではグルヌイユの孤独と哀しさが浮かび上がりません。これは香りに対して、大した感情を持たない私だからでしょうか?
最後の最後の場面は残酷な寓話的ですが、とても気に入りました。グルヌイユが本当に欲していたものは、求めても求めても、もう手に入らないのですから。サマンサよりレベルの低い女性に、のうのうと乗り換えようとするテレンス・スタンプとは対照的で、グルヌイユの一途さと純粋さを表しているのだと思いました。
クライマックスで首を捻ってしまったので、そこだけ大幅に減点になってしまい、超微妙な感想ですが、完成度と言う点では文句なし。感受性の豊かな美しく素晴らしい作品ではあると思います。でもこれは拡大公開ではなく、ミニシアター系の作品だと思うのですが。一般受けはしないと思います。
原作も読みたいです。ちょっと気になるのは、グルヌイユが憧れた香りを放つ二人の少女は、共に赤毛だったこと。グルヌイユが離れるたびに、雇い主が亡くなってしまうこと。意味があるとは思うのですが、映画では読みきれませんでした。原作を読めばわかるのかな?
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