ケイケイの映画日記
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2007年02月24日(土) 「カリフォルニア・ドールス」(シネフィル・イマジカ)

CSのシネフィル・イマジカでの録画鑑賞。今ハードディスクにはベルイマンも二本入っていますが、こちらを先に観るのが私というという人間。この作品はロバート・アルドリッチの遺作で、長いこと観たいなぁと思っていましたが、ビデオ屋にも見当たらず、本国アメリカでのDVD発売もないと言う、ちょっとした幻の作品です。もう泣いた泣いた、素晴らしい!最近このフレーズが多くて嬉しい限りです。1981年度作品。

アイリス(ヴィッキー・フレデリック)とモリー(ローレン・ランドン)は、「カリフォルニア・ドールス」と名乗る女子プロレスラーのタッグチーム。マネージャーの中年男ハリー(ピーター・フォーク)と共に全米を試合して回っています。彼女達がチャンピオンベルトを締めるまでの、スポ根+ロードムービーです。

アメリカに置いては男子でもプロレスはキワモノ。だから格闘技として認知されている日本に憧れるアメリカのレスラーも多いのだとか。女子の方はもっと厳しく、イロモノか毛色の変わったストリップのように思われている節があると、読んだことがあります。日本でも古くはビューティペア、クラッシュギャルズなど、アイドル的な女子プロレスラーがいましたが、宝塚的にファンは女性が多かったですが、こちら名前からして、ガールズではなく、ドールスですからね。アイリスもモリーも飛び切りチャーミングで技も持っているのですが、興行主いわく「確かに美人だよ。でも客はおっぱいかお尻しか観ちゃいないんだ」。

そんな美人の彼女達が、それを武器にした仕事をせずチャンピオン目指して頑張るのは、「プリティ・リーグ」で酒場勤めだったマドンナの、「私は男におっぱいやお尻を触られる仕事に戻るのなんか、真っ平だからね!」や「スタンドアップ」のジョージーのような苦労があったかもなぁと思う私。お金のためだけではないことは確か。

だってファイトマネーも雀の涙、ゴキブリの出るモーテルを泊まりながらの転戦は、さながら旅芸人のようなのです。不安定な浮き草稼業に神経をすり減らすモリー。励ますアイリスは三人は家族だと言います。ファイトマネーを上げるため、屈辱的な泥レスリングもやらなければなりません。彼女達は正統派のベビーフェイス的なプロレスラー。こんな座興はもっと雑魚がやってもいいような物ですが、チャンピオンとそうでないとは雲泥の差なのでしょう。泥まみれになりながら、Tシャツを引きちぎられ、おっぱい丸出しになりながら、それでも懸命に戦う彼女達。大笑いの観客には女性もいます。これには涙が出たなぁ。

傷つきハリーに当たりながら、そして三人の絆を深めながら転戦する度にランクを上げていく彼女達は、後一歩でチャンピオン戦まで漕ぎ着けます。まるで枕芸者のような真似をして対戦権を取ってくるアイリス。女ですもの、こんなことをして悲しくないわけがありません。泣きながらシャワーを浴びるアイリス。しかし屈辱も悲しみも、全てリングに叩きつけ彼女達には、したたかさではなく無我夢中という言葉が似合います。

ヴィッキーとローレンは本当にリングに上がれるかと思うほど、あっぱれなプロレスラーぶりで、ロングショットは吹き替えも使っているでしょうが、大技も立派に決めて、びっくりしました。「ミリオンダラー・ベイビー」のヒラリー・スワンクも頑張っていましたが、ほとんど一発KOシーンでしたが、こちらの二人は技も多彩で、チャンピオン戦は30分一本勝負でしたが、本当に30分戦う場面で編集されており、またびっくり。

場面も反則あり、レフリーのいかさまありで、臨場感&リアリティ溢れるもの。私なんぞよく祖母が「あのレフリーは金もらっている!」と怒ってプロレス中継を観ていたのを思い出しちゃった。見応え充分、とにかくお見事でした。

冴えない小男のピーター・フォークが実にいいです。彼女達には憎まれ口を叩きながら、彼女達の夢を応援するのではなく、自分の夢として同化している様子は、さながら高校野球の監督のよう。爽やかさは微塵もないのですが、父のような恋人のような、コーチのようなマネージャーのハリー。彼なりに彼女達を心から守ってやろうとする様子が男らしいです。女二人を引き立てながら、フォークはきちんと自分も光っていました。

日の当たらない女子プロレスを題材に、繊細な女心と格闘技としての女子プロレスを描き、二人を陰になり日向になり守る男性との絆を爽快に描いた作品で、女性のスポーツものとしては秀逸だと思います。「ミリオンダラー・ベイビー」が立派な作品なら、「カリフォルニア・ドールス」は愛すべき作品かな?こんな事情なので、お目に留まらぬ作品でしょうが、テレビ放映の際は、騙されたと思ってご覧下さい。


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