ケイケイの映画日記
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2006年11月02日(木) 「父親たちの星条旗」


火曜日に観て来ました。私は戦争映画が苦手で、あまり本数は観ていません。よっぽど話題になるか良作だと聞かないと、観る気にはなりません。しかしこの作品は現在全米イチの監督と言って良いだろうイーストウッドが、硫黄島決戦を、日米二方の視点で描くと聞いて、本当に楽しみにしていました。神経性胃炎になったり、発熱したりで、ここのところ体調がイマイチなので、長い作品と聞いていたので、途中で寝るかな?と思っていましたが、戦闘シーン以外は静かにお話は進むのに、本当にあっという間の2時間12分で、途中からずっと泣いていました。76歳のイーストウッドが作ったからこそ、価値のある作品だと思いました。

太平洋戦争末期、硫黄島に上陸したアメリカ軍は、日本軍の意外な抵抗で長引く戦いに業を煮やしていました。士気を高めるため、山頂に星条旗を立てた6人の姿がカメラに収められ、たちまち本土では大評判になります。6人のうち生き残ったドク(ライアン・フィリップ)、レイニー(ジェシー・ブラッドフォード)、アイラ(アダム・ビーチ)には帰国命令が下ります。彼らを待っていたのは、「戦争の英雄」として、戦時下の資金集めに利用されることでした。しかしこのお話には裏があり、彼らが立てたのは二度目の旗だったのです。

全然ストーリーを予習していかなかったので、時空をいじったストーリーだとは知らず、最初はわかりづらかったです。名の知れているのは、ライアン・フィリップ、バリー・ペッパーなど少数なのが、それに拍車をかけますが、それも監督の想定内だったのでしょう。誰もがドクたちや死んでいった兵士たちになったかもわからない、観客にそう思わせるには、大スターは必要なかったと思います。フラッシュバックも多用されますが、演出・脚本ともわかり易く、段々と感情を高揚させていくのに効果的でした。

至近からの戦いの様子は、近年「プライベート・ライアン」、「ブラザー・フッド」などでも描かれてるので、特に目新しい感じはありませんが、やはり迫力はあります。惨たらしい遺体をそこかしこに見せることによって、怖さより悲しみを感じさせました。

英雄としての自分に浮き足立ち、PR活動にも熱心なレイニー。死んでいった戦友たちのことが忘れられず、英雄として祭りあげられる自分に激しく嫌悪し、精神のバランスを崩していくアイラ。違う形で自分を見失っていく二人に比べ、一番冷静で、忠実に上司からの命令を守るドクも、心の底では英雄として祭り上げられることに激しい抵抗感があります。お偉いさんたちはお金集めに一生懸命で、彼らの感情などどうでも良いのです。命懸けの戦地も安全な内地も、それぞれ違う意味で彼には冷たく厳しい世界です。

亡くなった兵士の母が、「あなたが志願しろ言ったから、あの子が死んだ」と、夫を責めます。父親の仕事は農業でした。父親はこの戦争で親にはつけてやれなかった箔を、息子がつけて帰国すると思ったのでしょう。未来のための志願が、未来を奪ったのです。「彼らは大学出なので、戦争には行かないんだ」というセリフもあり、「ジャー・ヘッド」で兵士たちが志願した今と、あまり変わっていないということです。

三人の中で、一番泣かせるのはアイラでしょう。彼の罪悪感で自暴自棄になる、人としての善なる弱さは、観ていてとても共感を呼ぶものです。彼が白人でもなく黒人でもなく、ネイティブアメリカンだという事が、一層彼の孤独感を増したのではないかと感じました。

他の二人とは異なる様子を見せるレイニーですが、彼を観ていて、高校生の時の先生のお話を思い出しました。公民の時間がだったのですが、まだ20代後半の若い男性だった先生は、「昨日の夜、『戦争の時チャンコロ(中国人)をいたぶって楽しかった』と父が言ったので、大喧嘩になった。」と言う、お話をされたのです。聞いた私も何てひどいお父さんなのだと、その時それだけを感じました。しかし今思い起こしてみるとそうではなく、人をいたぶって快感を感じさせる、戦争とはそういう恐ろしいものだという事なのです。善良な人の心まで変えてしまうものなのです。今まで経験したことのない晴れがましい場所にいるレイニーが自分を見失うのも、それは戦争がさせたことなのではないかと感じました。

ひとり冷静に現実を見つめるドクですが、それは彼が衛生兵として、一番たくさんの数の兵士の「死に水」を取ったからではなかったかと感じました。彼らが残す言葉の一つ一つが脳裏を霞め、彼らの死を無駄に出来ない、この戦争には負けられない、そういう強い意志をもたらしたのかと思いました。
終戦後も自責の念に駆られながら、生涯戦争に関して黙して語らなかった彼は、口に出すと自分が壊れてしまうと思っていたのでしょう。そうやって戦後の復興に力を尽くした、たくさんのドクが、日米二方にいたことだろうと思います。

監督のイーストウッドは76歳。彼によると、「自分の若い時分の戦争映画は、どちらかが善でどちらかが悪であると描いていた。年を経るにつれ、戦争とはそういうものではないと感じるようになった。」と、語っています。今この想いを映画にしたいという瑞々しい感受性は、本当に尊敬したく思います。

私は子供の頃、多分再放送だった「ローハイド」で彼を始めて観ました。のちテレビで盛んに放送されたマカロニウエスタンでも彼を観、次に彼を観た時は、ハリー・キャラハンになっていました。今でいうストーカー女性の恐怖を描いた「恐怖のメロディ」で監督にも進出、以降たくさんの娯楽作に出演・監督しつつ、「ドン・シーゲル、セルジオ・レオーネに捧ぐ」と、自分の恩師にあたる人に捧げた「許されざる者」でオスカー監督となります。時代を見据えながら、時代と共に自分も進化してきたイーストウッド。老いるという事は後退するのではない、成熟していくということなのだと、彼から教えられます。この作品に一番深い陰影をもたらしたのは、若く戦争を知らない世代の監督が撮ったのではなく、戦争を知る年齢のイーストウッドが作った反戦映画だからではないかと思います。

私が印象深かったのは、上官の「兵士たちを生きて母親・恋人の元に返すと誓った」と、何度も出て来るセリフです。日本は「お国のために命を散らせ」と、よく映画では出てきます。その辺の意識の差は、単にお国柄なんでしょうか?「硫黄島からの手紙」を観ると、その謎は解けるのか、楽しみにしています。


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