ケイケイの映画日記
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2006年09月27日(水) 「フラガール」


公開が先週土曜日の23日というのに、ネットの映画友達がこぞって大絶賛の作品。それも映画が大好き、愛しているからこその、少々厳しい審美眼を持つ方々ばっかりがです。こんな題材、今までいっぱいやってんのになぁ、でもそんなに面白いのならと、早速25日の月曜日に観て来ました。結果娯楽作として完璧な、とても立派な作品でした。泣いて笑って、最高の気分。本年度アカデミー賞外国映画部門・日本代表作品。

昭和40年の福島県いわき市の炭鉱町。かつては隆盛を誇っていた炭鉱でしたが、他のエネルギー資源に取って代わられ、閉山が相次いでいます。炭鉱夫のリストラも進み、閉塞感漂う街を救おうと会社が考え出したのが、「常磐ハワイアンセンター」というレジャーランド。会社側が運営を任せた吉本(岸辺一徳)は、ここの目玉に、素人のこの町の女性たちにフラダンスを踊ってもらおうと考えています。しかし炭鉱夫たちは、この計画に大反対。紀美子(蒼井優)など数名の応募者が集まる中、吉本は東京から元SKDの花形ダンサーだった、しかし今は落ち目の平山まどか(松雪泰子)を、先生として連れてきます。

私は知らなかったのですが、フラダンスの優美で流麗な手の動きは、手話なのだとか。私・あなた・山・愛しています、などなど、踊りに言葉が込められています。腰ミノをつけ、優雅な踊りがフラダンスだと思いがちですが、紀美子たちがフラに魅せられたのは、まどかが踊る力強く情熱的なタヒチアンダンス。田舎の夢のない暮らしに閉塞感を感じていた彼女たちに、光りをもたらすのを、こちらに踊りにしたのは良かったです。

斜陽とはいえ、親や祖父母の代から炭鉱をで働くことがプライドだった人達は建設自体に猛反対なのに、その上半裸でフラダンスを踊るなど、ストリッパーと同じ。大事な娘にそんなことさせられるかと、ここでも娘VS親とのバトルがあります。

気の強い紀美子がそれ以上気の強い母(富士純子)に、「ダンサーになろうち、ストリッパーになろうち、オラの人生だ!」と、可愛くもクソ生意気に言い放つと、すかさず母ちゃんのビンタが。その他でも大声を張り上げ、母ちゃんVSまどか、まどかVS紀美子、フラガールたち同志など、親の仇かと思うほど、本音をバンバン出しながら相手を罵り言いたい放題言い合いますが、根には持ちません。その諍いを肥やしにして成長していく様子がとっても気持ちがいいです。

確かに「オラの人生だ!」なんですが、あのね紀美ちゃん。紀美ちゃんのあんちゃん(豊川悦史)は、オラの人生など選べず、父ちゃんが亡くなった後、紀美子を養うために、母ちゃんと二人で泥だらけになり炭鉱で働いたはず。紀美子が親友(徳永えり)の行けなかった高校に通えたのも、あんちゃんのおかげだと思います。その事は母ちゃんもあんちゃんも決して紀美子には言いません。しかし紀美子に反対する母ちゃんの心には、勝手なことをさせては亡き夫以上に、息子にすまないとの気持ちが潜んでいたのではないでしょうか?しかし自分が出来なかった「オラの人生」を、妹には歩ませたいと思って、影ながら妹を支える兄の心は、家族らしい思いやりのある行き違いだなと微笑ましいです。

親友も結局ダンサーにはなれません。リストラになった日、フラダンスの衣装を身にまとった娘を見た父は、まさに浮かれてストリッパーになる気なのかと思ったでしょう。明日の糧を心配しながらの帰宅のはずが、甲斐性無しの自分をなじられた気になったのかも。顔も判別出来ないほど殴られた親友が、「オラが悪かったんだ」と、父の気持ちを思い、自分の境遇を受け入れたのを一番理解出来るのは、紀美子の兄だったかもしれません。

皆と別れる親友が、「フラを習って良かった。人生で一番楽しかった」の言葉と、まどかを先生と呼び泣きながら抱きつく姿は号泣させられます。高校にも行けず先生と呼べる相手もいなかった彼女。お金のために、いやいや技術だけを教えようと思っていたまどかが、本当に「先生」に成れたのは、彼女の存在があったからのように思います。

死に体寸前のやる気のなさと侘しさを、気の強さだけで踏ん張っていたまどかが、教え子たちの純粋な上手くなりたいという懸命な気持ちに触れ、今一度ダンサーとしてのプライドを取り戻し、まどかの再生物語にもなっているのは、定番ですが観ていて嬉しいものです。それは吉本の言う、「東京のダンサーに踊ってもらっても意味がない。この炭鉱の田舎娘に上手に踊ってもらってこそ意味がある!」との信念にも、繋がることだと思います。

このお話の良いところは、炭鉱にしがみつく人間を古臭いと否定せず、彼らの自分の今ある境遇の中から、最善の方法を取って生きてきた姿を尊重しながら、その世界を飛び出そうとする若々しい姿も、両方肯定して描いているところです。飛び出そうとする力は、ともすれば自分ひとりで頑張っていると思いがちですが、それは違います。紀美子の兄の姿、親友が紀美子の初舞台に祈りを込めて送るハイビスカスの髪飾りなど、たくさんの人の助けや思いが血となり肉となって、その人に力を与えるのです。あの枯れそうな椰子の木が持ちこたえたのは、そういう意味ではなかったでしょうか?

その思いの集大成が、フラガールたちの踊りです。本当に見事な出来栄えで、なかでもソロでタヒチアンダンスを踊る蒼井優は圧巻。上記に書いた感情が入り交ざって、観ながら感激で涙がボロボロ。彼女は幼い時よりバレエを習っていたそうですが、見事という他ない踊りでした。私はダンスは全然わかりませんが、同じ踊りを踊って、松雪泰子は情熱的で妖艶、優ちゃんは可憐ながらセクシーと、受ける印象もはっきり違いました。

通俗的といえば通俗的。どこかで観た聞いたお話のはずです。しかし丁寧に心のひだを一つ一つ紐解いて描けば、時代の波に飲まれて落ちぶれた人や街が再生するお話は、いつの時代にも受け入れられる、普遍的な題材なのです。やはり映画は、希望と感動を与える物であって欲しいなと、平日ながら、お子さんから(前日運動会があって、振り替え休日なため)お年寄りまで満員の劇場で感じました。




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