ケイケイの映画日記
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2006年08月29日(火) |
「ユナイテッド93」 |
昨日観て来ました。評判の良い作品ですが、ぶれる画面に酔うとの噂に、三半規管が弱い私は、少々困ったなとも思っていました。そしたら先行でご覧になっていたお友達の灰兎さんからメールが届き、後ろで観れば大丈夫のこと。劇場はそこそこ満員で、通常ならゆったり座れる前方の席を確保しますが、今回はアドバイス通りにすし詰めだった後方をチョイス。お陰さまで一度も酔うこともなく、鑑賞できました。ドキュメントタッチで綿密に取材し、真摯に題材と向かい合った誠実な作品でした。娯楽作として観る作品ではないという感想が多いのですが、私は楽しめたという意味ではなく、色々な感情や感想が湧き、別の意味でとても面白く観た作品です。
2001年9月11日、アメリカ史上最大のテロによる惨事を、当時の関係者に詳細に取材して、再構築した作品。作品内で起こる出来事はフィクションではなく、携帯電話や機内電話で家族や友人に連絡した内容を元にしたものだそうです。管制塔の場面で出てくる人々は、当時勤務していた人達の多くが、本人を演じているそうです。良い悪い、善悪、白黒など一切主張することなく、ただ事実のみ再現することに心血を注いで、観る人に考えてもらおうとしている作品です。私は宗教心、時間、運など、様々な想いが湧き上りました。
冒頭、お祈りをしている青年たちが映されます。事件の顛末は知っているので、彼らがテロ犯人だとわかります。体を清め一心にお祈りを捧げる彼らは、とても真面目で清廉そうな青年たちです。後半ハイジャックされてから、「主よ・・・」と祈る乗客と、何ら変わりはありません。私は最初この事件を知ったとき、テロの犯人たちはまるで特攻隊のようだと思ったものですが、それは違うようです。特攻隊は「国のため」であるはずですが、彼らは心底自分たちの行為が、世界平和につながると思っていたのではないでしょうか?
宗教によってそれぞれ違う神が対象になるのはわかっていますが、テロ犯たちの祈る神も、乗客の祈る神も、それぞれ弟子達を助けたかったのではないか、テロ犯と乗客になるほど、そんなに神によって教えが天と地ほど開きがあるのだろうか?と感じました。テロ犯の行為は、その宗教的に崇められる尊い行いであると、彼らは教え込まれていると新聞で読みました。しかしそれって何千年の間に、伝える人の主観・感情・意見が混ざり、太い幹に枝が生え葉がつき、又枝が生え、伝言ゲームように伝わっていったことなんじゃないかと、宗教というものの奥義がわからない私は、そんな気がしました。指導者がとても大切なのだと、改めて思いました。
最初にハイジャックを探知したのは、管制官が微かな声を拾い上げたからです。長年の勘が、十何年なかったハイジャックを突き止めた時は、いくらハイテクで管理されても、最後は人間の力が必要なのだなと感じました。管制塔の中のパニックぶりは、当たり前なのですが、事件だけではそこまで想像していなかったので、こんな風だったのかと、今更ながら深刻な思いで観ていました。軍隊は全員出動、戦闘態勢でした。あの状況では、危機管理の体制が整っていても、どうしようもなかったのではないかとも感じます。
管制塔の責任者は、軍に要請を頼みますが、こちらも責任者不在であたふた。それと軍用機がハイジャック機に追従するように命令されますが、あれは不穏な進路をとれば、撃ち落せということなんでしょうか?ふ〜ん・・・。ハイジャックされる前の乗客や乗組員の何気ない、明日を語る言葉や、乗客たちの連帯感が、結果を知っているだけに痛ましかったです。機内電話や携帯で家族や友人に電話する乗客たちに、御巣鷹山の日航機事故の乗客が重なって見えたのは、私だけだったでしょうか?
以下ネタバレ
乗客たちは、ハイジャック後墜落寸前で、自分たちでテロ犯たちを取り押さえようとします。正直遅いよと思う私。これはハリウッド映画の観すぎではなく、それほどテロ犯たちは、素人のか細い青年なのです。もっと早く取り押さえていたら、とも思ったのですが、そこで時間のことを思い出します。ハイジャックされてまだ1時間ちょっとくらいなのです。爆弾を持たれ、機長や副操縦士が殺されたと知った中、現実に考えれば乗客たちの行動は遅いどころか、とんでもなく素早いのです。もう少しだけ、早ければ。数々のパニック物が、幸せなものだったのだと、この作品のラストを観た時ほど感じたことはありません。
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