ケイケイの映画日記
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2006年07月07日(金) 「佐賀のがばいばあちゃん」

調子がイマイチと言いながら、先月も7本観ている私。そんな新作公開ラッシュの間で見逃すかと思っていましたが、昨日やっとこさ観て来ました。この手の作品は、出来不出来に関わらず私は気に入ってしまいがち。なのでちょっと二の足を踏んでいましたが、やっぱり観て良かったです。泣いて笑って大忙しの2時間で、とても清々しい作品です。

戦後間もない広島に住む明広少年(鈴木祐真、池田晃信、池田壮麿)は、原爆症で父親を早くに亡くし、若い母(工藤夕貴)が兄と明広を、居酒屋に勤めながら懸命に育てていました。しかしそれでも生活は大変で、明広は母の実家である佐賀の祖母(吉行和子)に預けられます。祖母は貧乏生活の中、女手一つで子供7人を育てたのが自慢の、がばい(すごい)ばあちゃんで、祖母との生活の中、貧しくとも心豊かな、明広の小2から中学卒業までが描かれます。

漫才師の島田洋七の原作。島田氏が佐賀に住む妻の母を介護するため、拠点を佐賀に移した介護体験の新聞の連載を読んでいた私は、立派な人だと当時感心したものですが、その時チラッと、佐賀には祖母宅に預けられて、中学まで住んでいた話も出てきていましたが、こんな苦労があったとは。

しょっぱな汽車での母子の別れのシーンでまず号泣。子供と泣く泣く別れる親、母が恋しい子供の涙に、私は異常に弱いのです。最近は夫が11時からケーブルで「子連れ狼」の再放送を観るので、大五郎の可愛げのない表情の奥の母恋しに、毎日泣かされている土壌があるので、小学生の男の子の、寝ては母、覚めては母を恋しがる姿は、私にはもう爆弾。子供というのはこれくらいの時、お母さんが世界中で一番好きなものです。それをわかっていながら、尚自分の母親に預けなければならない辛さを、工藤夕貴は痛切に演じ切って、そこでも私は滂沱の涙。彼女は何を演じても本当に実力を感じます。

対するばあちゃんは、傷つきながら長旅をしていた孫に頬ずりするわけでもなく、抱きしめるわけでもなく、早速明日の朝の釜戸でのご飯の炊き方を教えるだけ。朝4時には仕事に出るばあちゃんにご飯は作ってもらえず、自力で頑張らねば、明広はご飯にありつけません。この描写はとても良かった。今の時代は豊かで子供が少なく、子供は褒めて育てよ、良き言葉の雨アラレを降らせよ、毎日抱きしめようなどなど、こちとらクソ坊主を三人育ててんだよ、仕事も飯焚きもあるんだよ、忙しくって三人毎度に出来るかい!と、「愛情神話」に辟易することもあった私は、救われた気分です。ばあちゃんは7人とも、こうして育たんですよね。明日のお米の心配をしながら、たくましく子供を育てた人ならではの、愛情表現でした。

しかしばあちゃんは貧乏をものともせず、楽しく生きる知恵をいっぱい持っていました。川に流れてくる売り物にならない野菜を拾うのは「川が汚れるのを防ぐため」。道端で鉄くずを拾ってきて売るのも、リサイクルですよね。(そういえば末っ子が小1の時、「お母さん、○○の近所に大きなリサイクルの工場があるねん。」というので、そんな場所にそんなものあったかなぁと、二人で行ってみると、何とそこはスクラップ屋さん。なるほどリサイクル工場)。お腹が空いたと言えば、「気のせい気のせい。空いたと思うから空くんじゃ」。うちは貧乏だと嘆く明広に「うちはな、先祖代々貧乏じゃ。だから貧乏に自信を持て」などなど、惨めさを吹っ飛ばす底抜けの明るさとユーモアがあります。

中でもばあちゃん語録が素晴らしい。「辛い話は夜するな。明るい昼にすれば辛さも半分。」「ケチはいけないが節約は良い」「今のうちに貧乏しておけ。そのうち金持ちになったら、旅行においしいものを食べに、大忙しになるから。」「人に気づかれないのが、本当の優しさ」など、絶対原作を買おうと思ってしまったほどです。特に「今のうちに貧乏しておけ」というのは、希望です。当時の60代というのは今とは違い、本当にいつお迎えが来てもいいくらいの老婆だったはず。その老いた人が、孫に未来の希望を与える話をしてやれるなんてと、そのポジティブさには、本当に魅了されました。

こうやって貧乏とは相容れないことも多い、心の豊かさを明広に授けたばあちゃんはしかし、人の優しさを受け入れても、人の施しは受けません。それが運動会のお弁当のエピソードと、お医者さんのエピソードの対比に現れています。人としての尊厳を守ること、一番大切なことを、ばあちゃんは明広に教えます。お金がたくさんあっても、尊厳のない人がいっぱいの世の中で、ばあちゃんに学ぶことはたくさんありました。

お話は予定調和で、格段目立ったエピソードも盛り上がりもありません。出てくる人はみんな善良で、良き友人、良き恩師、良き隣人に恵まれ、伸び伸びと心身ともに成長する明広が描かれます。ベタな内容の割にはコテコテ感はなく、サラサラとした清水のようです。私の想像ですが、多分惨めな気持ちになったり、差別されたり、明広には辛かったことも多かったと思います。でも辛かった描写は、母に会えない寂しさだけでした。私はこれでいいと思います。映画的には掘り下げが甘いでしょうが、映画で描かれる世界は、島田氏のばあちゃんや佐賀の人々への感謝がいっぱいです。彼の脳裏は、辛かったことは捨て去り、楽しい思い出ばかりに溢れているのだと思います。辛い思い出を捨て去れたのは、彼が功なり名をとげたからでしょう。
彼はその基礎が佐賀での暮らしだったとわかっているのだと思います。その万感の思いが、私の心も感激させたのです。


ばあちゃんを演じる吉行和子は、ドラマでも良き主婦を演じることが多く、家庭的な感じますが、家で家事などしたことがなく、この作品でも最初大根の洗い方がわからなかったとか。素顔は70代に入っても、年齢不詳のふんわりとした可愛さを感じる人ですが、ちゃーんと7人子育てしたがばいばあちゃんに見えるからすごい。良いキャスティングだったと思います。

繰り返し挿入される母を恋しがる姿に、画面に出てこない母の辛さも痛いほど感じた私。子供を起こしてお弁当を作って、泥だらけのクラブ着を洗濯して、またご飯を作ってその合間に怒鳴ったり笑ったり。共に暮らし世話をする以上の歓びを、母親は望んじゃいけないなと思いました。毎日の暮らしに感謝。ビデオでも良いですが、まだ上映しているなら是非劇場で大きなスクリーンで観ていただきたく思います。その方が、ばあちゃんのがばい愛情がたくさんもらえますよ。





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