ケイケイの映画日記
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2006年06月25日(日) |
「コースト・ガード」(レンタルビデオ) |
昨年の韓流フェスティバルで唯一観たい作品だったのが、これ。ガーデンシネマで6時過ぎから一週間上映なので、観るのを断念した作品。久しぶりにビデオ屋に入ったら、この作品のビデオがあったので、即行借りました。演技力と華とを併せ持つチャン・ドンゴン主演作ですが、内容は非常に厳しい作品で、ロマンスやコメディ主体のフェスティバルの中では、異色の作品ではなかったかと思います。2001年のキム・ギドク作品。
南北の軍事境界線で警備に当たるカン上等兵(チャン・ドンゴン)。ある警備の晩、海岸で情事にふける民間人の男女の姿をスパイと誤認し、男の方を射殺してしまいます。そのことが原因で、残された射殺した男の恋人ミヨンも、気がふれてしまいます。そしてカンもまた、だんだん精神を病んでいきます。
冒頭泥だらけの凄まじい訓練のシーンが出てきます。以降も過酷な訓練シーンが数々映し出され、中にはしごきとも取れるものも。同じ過酷なシーンでも、「シルミド」のような、目標があるための志の高さも感じません。ただ決められたことを一生懸命やっているだけ、そういう風な後ろ向きの感じがします。休戦中とはいえ、朝鮮戦争は兵士たちとって遥か昔の事、平和な暮らしを生まれた時から享受している彼らにとって、限りなく朝鮮戦争は終戦に近いのだと思います。
それは民間人とて同じこと。海に面した場所で警備している兵士たちに、「どうせ人も撃った事がないのだろう」と冷やかしたりつっかかったり、民間人が入ってはいけない場所に旅行に来た若い女性が、兵士とツーショットの写真をせがんだり、これがほんの十数年前の韓国なら、考えられなかったことではないかと想像できます。どこにスパイが潜んでいるかわからないのに、付近の写真などとんでもないからです。それに女性がスパイだということもあるので。日本で暮らしている想像以上に、所謂「平和ボケ」が進行しているのだと、びっくりしてしまいました。
そんな緩んだ空気の中、カンだけはいつも命がけで練習し、敵を撃って手柄を立てることだけが生きがいのようで、隊から浮いているように見えます。あまり彼の背景は描かれませんが、何かに駆り立てられるものがあるのは確か。監督のギドクは、学歴差別が激しい韓国で高校はおろか、中卒だと聞きます。5年間の海兵隊勤務ののち、若き日にフランスに渡り絵を描いて生活の糧にしていた、あるいは外人部隊にいたこともあるなども、読んだことがあります。カンには外の世界での優劣が関係ない軍隊で、手柄を立て、これからの人生の糧にしたい、恵まれない層の韓国の若者が投影されているように感じました。それは「撃たせてくれ!」と叫んだ、「ジャーヘッド」のトロイがかぶります。
精神を病んだカンは除隊になりますが、それが納得出来なかった彼は、次第に自分がまだ軍隊にいるように思い込み、練習中に再三軍隊に出入りし、完全に気がふれたミヨンは、兵士全てが死んだ恋人の見え、誰彼構わずしなだれかっていきます。男ばかりの中で過ごしている兵士たちは、当然彼女に手を出し、複数の兵士におもちゃにされた彼女は、父親のわからない子を妊娠します。
この辺りの描写は見ていてとてもしんどいです。辛いの半分、くどいの反分。特にカンの描写は同じことの繰り返しで、一向に進みません。ギドク特有の過剰な描写+寓話的ムードはこの作品にもみられ、ミヨンの描写では成功していたと思いますが、この作品は今から5年ほど前の物なので、ギドクの腕も泥臭く、この辺は好き嫌いがはっきり分かれると思います。しかしいつもの力強い有無を言わさぬ雰囲気は健在でした。
カンやミヨンの行動から隊は徐々に乱れてゆき、兵士達の分裂やいさかいから、隊は完全に仲間割れに。二人は切ない狂言回しのよう。その狂気の描写は、フィクションでありえないと思いながら、彼等の追い詰められた行動がすごく理解出来ました。
この作品は、南北和平を願うのでもなく、軍隊の存続を否定するのでもなく、平和ボケの市民に警鐘を鳴らしているのでもないと思います。韓国という国の持つ哀しみと痛みを、国民は忘れてはいけない、ただひたすら、ひたむきにそれだけを訴えている、ラストのカンの姿からそう感じました。観ている間はとても過剰な演出で煽られているのに、観た後、ひたひたと哀しみに心が包まれる作品。ただしこれは在日韓国人として観た私の感想ですので、日本の方にはイマイチ心に届かないかも知れません。それでも韓流ドラマで韓国に興味を持った方々に、「もうひとつの韓流」として、観ていただければ幸いです。
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