ケイケイの映画日記
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2006年05月15日(月) 「明日の記憶」


母の日の日曜日、次男からのプレゼントで上映2日目に観て来ました。家事を済ませて夕食の買出しもOKの3時50分からの鑑賞でしたが、開始直前にラインシネマに着くと超満員で、久々に最前列で鑑賞。いやもう、泣きまくりました。号泣です。結婚24年目、夫52歳私44歳には身近過ぎて、ちょっと冷静ではいられませんでした。少し気は早いですが、これからいくら完成度が高い素晴らしい作品が出てきても、今年の私のNO.1は、この作品のような気がします。今回ネタバレですが、読んでからご覧になっても大丈夫な作品だと思います。是非読んで!!!

大手広告代理店で部長職につく佐伯(渡辺謙)は、結婚して25年のもうすぐ50歳。働き盛りのサラリーマンで、妻枝実子(樋口加南子)と、もうすぐ嫁ぐ一人娘梨恵(吹石一恵)のいる家庭も円満で、何不自由ない暮らしを送っていました。そんな佐伯に、若年性アルツハイマーが襲います。

最初営業マンとしての佐伯の辣腕ぶりと人好きのする人柄を描きますが、そこに挿入される何気ない自覚のないままのアルツハイマーの症状は、渡辺謙がアルツハイマーを患う作品とわかっているので、ちょっとしたホラーもんです。人の名前が出てこない、鍵を忘れる、高速を運転していて降り口を間違った、家にあるのに同じ物を買ってしまう、そして時々襲う頭痛。40過ぎた人のほどんどは、このどれか当てはまるものがあるはずです。私など医師(及川光博)が佐伯に対して施す簡単なテストを、思わずいっしょにやってしまいました。

アルツハイマーには若年性もあるとは知っているものの、まさか自分がというのは、誰でもそうです。自分がアルツハイマーだと診断された佐伯の激しいショックや嘆きが手にとるようにわかります。「俺が俺でなくなっても、お前は平気か?」と泣きながら妻に問う夫に、「私だってショックだよ。でも私がそばにいるから。」と答える妻。お互いが自分の手で相手の涙を拭うのです。この演出は素晴らしい。言葉はそれだけなのですが、一瞬で親にも兄弟にも子供にも恋人にも親友にもなる、夫婦の機微が感じられました。一発目の号泣です。

大きなプロジェクトを前にして、病を隠して仕事をする佐伯の、どんどん悪化していく病状は、通い慣れた路で迷子になり、いつも接する人の顔がわからなくなるなど、同じアルツハイマーを描いた「きみに読む物語」「わたしの頭の中の消しゴム」では描かれなかったリアリティです。この辺の丁寧な描写で、佐伯の追い詰められ、張り裂けそうになる心や神経が、手に取るように理解出来ます。こんな形で仕事を追われる佐伯の無念さで、会社の冷たさも描きますが、同期らしき上役(遠藤憲一)の冷静な判断と心からの労い、部下達の佐伯への感謝の言葉の数々が、会社人間であった佐伯を静かに肯定していて、熟年世代の男性への思いやりのある演出に、心が打たれます。

対する妻は、これからの生活のため、独身の親友(渡辺えり子)に仕事を世話してもらいます。主婦として良妻賢母であったろう家庭しか知らない女性が、40代後半で一家を支えなければならないのは、正直とても怖いものです。私も短大卒業後就職せずにすぐに結婚、夫のリストラのため36の時フルタイムでパートに出た時、ものすごく怖かった。しかし毅然とした枝実子からは、必死さは感じられても、心細さは感じさせません。妻と言うものの芯の強さを見せてくれますが、その胸の内を推し量れる私は、ここでも泣きます。彼女が娘を嫁がせ子育ての大任を終え、これからの人生をどれだけ楽しみにしていたかもわかる私は、それも涙に拍車がかかりました。

娘が結婚式を挙げ、名実共に夫婦だけになった家庭は、「熱帯魚の餌は一度だけ」とか「散歩からは10時に帰る」など、至るところに大きくメモが張られています。一人留守番をさせる夫への、枝実子の心のこもったメモは、もはや佐伯は夫ではなく、彼女の帰りをひたすら待つ子供であると感じさせます。

二人で食事をしていると、突然佐伯が「こんな情けない男でごめんなぁ」と泣きじゃくります。泣きながら慰める妻が、一人庭に出てひとしきり泣いた後、「泣かない泣かない」と健気に涙を拭う場面以下、これから私はずーと泣くハメに。鼻もすするわ嗚咽も出るわ、もう大変なことに。

佐伯は会社人間で、娘が非行に走った時も、入試に落ちたときも家庭にはおらず、妻は一人で家庭を守り、実際病んだ夫に昔のことを食ってかかる場面もあります。女と言うのは、夫がすでに忘却の彼方のあんなことこんなことも、全て覚えていて、結婚して何十年経っても昔のことを持ち出すものなのです(もちろん私もそうだ)。気丈で優しい妻も、やはり妻は妻。ストレスが溜まれば、一瞬夫が元気だった頃に戻ってしまうのです。この辺の夫婦のリアリズムに、ほとほと感心してしまいました。

結婚生活が長くなると、一度や二度離婚しようと考えなかった人はいません。私も世界中で夫が一番憎かった時があります。枝実子だとて同じ気持ちを抱いていたはずです。しかしその気持ちを乗り越えたのは、あきらめたのでもなく、生活のためでもなく、もちろん子供がいたからでもありません。これが私の夫なのだと、いつしか受け入れるようになったからです。そういう気持ちになると、相手が同じ事をしても、今までわからなかった自分への詫びや感謝が見えてくるのです。世界一憎かった辛さに比べれば、病んだ自分だけが頼りの夫を支えることは、むしろ妻の生きがいにもなるのです。これは枝実子や私だけはなく、多くの古女房が抱く感情だと思います。自分を思いやる親友が差し出す施設の案内を拒否する妻の、独身の親友への、一見無神経な「あなたにはわからない」の言葉は、これだけの意味が詰まっています。

家に引きこもってからの佐伯を演じる渡辺謙は、まだ実年齢は46〜7歳のはずなのですが、一気に老け込んで見え、見事な患者ぶりで感嘆します。それ以外の演技も素晴らしく、プロデューサーとして惚れこんだ作品と言うだけのことはあり、今年の日本映画の主演男優賞は決まった感まであります。樋口加南子もただ強さと哀しさを漂わす母的演技ではなく、妻としての夫への細やかな感情を浮き彫りにして、大変好演でした。その他ミッチーや遠藤憲一、寓話的に登場する大滝秀治などの演技派のお芝居も忘れ難く、作品を暗さ一辺倒から救っていたと思います。

しかし暗さを救った一番の勝因は、孫の誕生でしょう。ミッチー先生の語る「人は必ず老いていく」との感慨深い言葉と折り合いをつけて行かねばならない身には、新たな自分と血の通う生命の誕生ほど、救われるものはありません。でも娘梨恵とて、子育てでままならぬ身を、実家で安らぐことは叶わないはず。そういう寂しさや、父と母を通して、新婚夫婦には感じるところがあるはずなのに、その辺の描写はありませんでした。あれば完璧だと思いますが、まっいいっかー。

ラストどこへ出かけたかわらない夫を、妻が探し当てますが、これは映画的偶然ではないと思います。私も夫がああなったら、探し当てる自信があります。ああいいシーンだと思ったら、夫は妻がわからなくなっているという残酷さ。しかし初めて妻を見るような夫は、妻に好意をあらわします。「エターナル・サンシャイン」でも描かれたように、人は記憶を失っても、愛する人は忘れないのです。

とてもリアリティに溢れていいますが、希望の持てる映画的フィクションも加えているのはわかります。リアリティ一辺倒で心が痛みで張り裂ける作品ではなく、「明日の記憶」は、それが観客に愛される、共感を呼ぶ作品です。この作品を観たご主人様方の一番の感想は、妻に会いたくなった、だそうです。私も早く帰って夫の顔が観たくなりました。育ててもらった親より愛して結婚し、やがて子供が生まれその子たちが誰より大切になり、そして巣立った後、世界中で一番欠けがえのない存在になる夫婦。そんな夫婦の不思議と絆が、愛情を込めて誠実に描かれていました。結婚20年以上経ったご夫婦には必見の作品かと思います。その他の方々も、どうぞご覧になって下さい。





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