ケイケイの映画日記
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木曜日にテアトル梅田で観てきました。被害者の名前を匿名にするかなど、昨今話題に上る被害者側の人権や苦悩、そして少年犯罪の刑の軽さなどにも触れた作品です。心を込めて作った作品であることは間違いありません。しかし犯行が起こってからが、的を絞りきれずに散漫に感じました。
報道カメラマンだった民郎(浅野忠信)は、父の急死のため懐かしさの残る下町で営む、家業の写真館を継ぎました。幼馴染のマリ(池脇千鶴)の友人亜弥子(エリカ)と知り合い、お互い惹かれあう二人は急速に近づき、亜弥子の妊娠をきっかけに結婚します。民郎を幼い時から慕うマリの気持ちには気づかぬ民郎。しかし平穏な新婚生活を送る二人は、見知らぬ少年(小池徹平)が亜弥子を動機もなく殺害するという形で終止符を打ちます。
前半は川の流れのように自然にゆったりと描かれます。二人が惹かれ合うのは魂が呼び寄せているかのごとく当然に感じました。その二人を柔らかく囲むように、都電の走る古い町並みに暮らす人々の暖かい人情が、観る者までも優しい気持ちにさせます。エリカはエキゾチックな容姿なのに、ストレートの黒髪が昭和40年代の女性の麗しさを思い起こさせ、懐かしいような町並みに暮らす民郎の生活の中に、自然に溶け込んでいました。決して演技は上手くなかったですが、透明さのある存在感が抜群で私は良いキャスティングだと思いました。
しかし亜弥子が殺されてからの展開が、どうも詰め込みすぎて散漫です。亜弥子を殺した少年の背景が少し語られるだけで、心が壊れた少年であると印象付けるだけで、何故彼がこんな大きな罪を犯したかが、きちんと描かれていません。そして少年院から出てきた彼の心が一切描かれないので、消化不良が残ります。小鳥を可愛がる姿でのみ想像しろでは、ちょっと不親切だと思いました。そして少年法で守られた加害者を追求する場面が出てくるのに、踏み込みが浅いです。
浅野忠信の亜弥子が殺された後の演技がすごく疑問です。一人の場面ではそんなことはないのに、亜弥子の死について触れられる一切の事柄で、全て棒読みで感情が全くこもらないのです。妻の死について辛すぎて実感が湧かないという場面ではありません。なので怒りや哀しさが伝わってこないのです。これは民郎に対して演じる浅野と視る私の解釈の違いでしょうか?
亜弥子の生い立ちにまで遡り、彼女がどういう哀しさ嬉しさを抱いて、短い人生を生きていたかを浮き彫りにしますが、その割りに民郎の喪失感がイマイチです。亡き妻の足跡を辿りに行くのに、いくら妻の親友であっても、自分に恋する女性を伴うというのは不自然だし、鈍感すぎです。これらのことがあるので、ラストの行動まで行き着くのに、流れが悪く感じました。
マリを後添いにさせたい民郎の母(宮下順子)の悪意のない薄情さは、私も年頃の息子がいるので、哀しいかなわかります。そして粗末な法要の席で、マリが娘の立場を取って代わったと感じ、悔しさと寂しさを滲ます亜弥子の母(烏丸せつ子)の気持ちも、これまたとてもよくわかります。出番は少ないですが、若かりし頃宮下順子はロマポ、烏丸せつ子はヌードもOKのセクシーさで活躍していましたが、艶やかな時代が幕を閉じ、姑という年齢の役になっても、その存在感と演技力は素晴らしいです。さすが長年映画の水で洗われた人は違うなぁと、とても感心しました。
去るものは日々に疎し、されど夫だけは違うのだと表現したいのはわかりましたが、どうも私には浅野忠信の演技がピンと来ませんでしたので、その辺も不満。しかし冒頭に書いた通り、初監督の日向寺監督は、心を込めて描いたと感じました。次も観たいと思います。
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