ケイケイの映画日記
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2005年12月10日(土) |
「イン・ハー・シューズ」 |
木曜日に観た今年100本目の作品。今年は夏に子宮筋腫が発覚、秋に手術がドタキャンになりましたが体調に不安があり、病気がわかった時はとても今年は100本は無理だなと思っていたので、去年とは違う感慨があります。この作品は大好きなトニ・コレット主演、監督が「LAコンフィデンシャル」「8Mile」のカーチス・ハンソンということで、もっと早くに見たかったのですが、キャメロン・ディアズとトニの姉妹の生い立ちが自分とかぶる部分があり、昔の苦い思い出に直面するかなぁと少々尻込みもしていました。木曜日は母のお骨を永代供養してもらっている一心寺に先にお参りし(12月は母の祥月命日)、それから母と妹と三人で昔良く通った千日前セントラルで観て来ました。そのせいか観ていて必要以上に胸にこみ上げるものがあり、母が選ばせてくれた100本目かなと感じました。
ローズ(トニ・コレット)とマギー(キャメロン・ディアス)姉妹は、幼い時に実母に死なれ、寂しい心を抱えならが父と継母に育てられました。姉ローズは有能な弁護士として自立しながらも、自分に自信が持てずその苦しさから逃げるように仕事に没頭していました。妹ローズももう30歳も近いというのに、定職にもつかず美しい容姿だけが頼りの生活。今日も酔いつぶれて継母の怒りを買い、ローズの家に転がり込みます。やっかいばりかける妹にうんざりしながらも世話を焼いてしまうローズ。しかし留守中に、やっと出来た恋人とマギーのベッドインを見てしまったローズは、大喧嘩の末マギーを追い出します。以前実家で荷物を整理していた時、亡くなったと思っていた母方の祖母エラ(シャーリー・マクレーン)が生きているのを知ったマギーは、老人ホームに暮らす祖母の元へ身を寄せます。
冒頭飲んだくれてだらしなく男にもたれかかるキャメロンのやさぐれぶりにびっくり。内面のだらしなさも感じさせるあばずれっぷりです。演技ではあまり話題になったことがないキャメロンのこの役作りに、一気に期待が高まります。対するトニはいつも外見からも役になりきる七変化の演技派で、この作品でも有能な仕事振りの表と、コンプレックスを抱える寂しいプライベートを難なく演じ分けていました。
マギーには実は難読症という外見からはわかりにくい障害があり、それが彼女の学習の妨げとなり、芳しくない成績、長続きしない仕事につながっていました。彼女が美容やファッションにばかり熱心になり、男性に寄りかかるのも肯けます。親や姉に迷惑ばかりかけている彼女ですが、自分の苦悩を打ち明けることも出来ず、彼女なりに周囲に遠慮して、本来の意味での甘えるということと縁遠かったことを遠まわしに表現していました。そして母親が生きていれば、きっと彼女が障害を克服できるよう熱心に努力したのではないだろうかと、マギーにとっての母の存在の大きさも浮かび上がります。
ローズはマギーに寝どられた恋人を本当に愛していたのでしょうか?女性として潤いのない生活に現れた、分相応以上の相手に有頂天になっていただけだったのではないでしょうか?彼女にアタックする同僚と話す時の方が、ひっつめた髪、眼鏡、ジャージ姿なのに、生き生きしていました。彼女にとってどちらがふさわしいのか、監督の演出に応えたトニの演技が光ります。
エラに促され、老人ホームで働くようになったマギーの変貌ぶりが嬉しいです。人には自分が必要とされる場所が必要なのだと実感します。世話をする老人から、ゆっくり読むことと、内容をしっかり噛み砕くことを教わったマギー。相手の心が開くまで辛抱強く待つ姿勢は、老いた人ならではの導き方で、マギーへの慈愛を感じます。それは祖母のエラも同じです。心を病んでいた娘の時は結果をあせって母として失敗した彼女ですが、年月が彼女を辛抱強くさせ、マギーには同じ過ちを繰り返したくない気持ちを強く感じました。ホームの老人達と接するうちに、見る見る本来の聡明さと明るさを発揮するマギーに、年配の人にはまだまだ私も教えてもらうことがいっぱいだなと、改めて思いました。
エラはローズをひとめ見てすぐわかり、年月を感じさせずすぐ祖母と孫に戻る二人に、いちまつの寂しさを見せるマギー。子供の頃の2〜3歳は大きく、下の子の宿命で自分は覚えてもらっていなかったのにと、哀しかったでしょう。しかしローズはローズで、マギーの知らない辛い思い出を、妹には教えず一人胸にしまっていました。姉妹それぞれの寂しさ哀しさを平等に表現していて、とても胸に染みました。
私の母は2人の息子を連れた父と再婚、のちに私と妹が生まれました。母の親兄弟を養っていた父に気がねする母は、連れ子である兄二人を育てていることを盾にして、その気がねをプラスマイナスにしたかったようです。しかしそんなこと計算どおりには行かず、我が家はいつもけんかばかりで、しわ寄せは当然私と妹に。暗い部屋で二人で手を握り合いながら声を殺して泣いた日もあります。プライドが高かった母は人には家の恥は言えなかったのでしょう、子供には普通言わないようなことも全部私に話します。母を可哀相だと思っていた私ですが、ある日大爆発。鬼のような形相でそれでも母親かと食ってかかった時の「あんたの気持ちが父親のところに行くのが怖かった。」という母の言葉を、昨日のことのように思い出します。私が母に頼んだのは、妹には何も話してくれるなということでした。私は私なりに妹を守ったつもりでしたが、私が21歳で結婚、5才離れた妹は母が亡くなるまで8年間、気がきつくプライドの高い世間知らずの母と二人暮らしで、心細い思いをしたことでしょう。ローズとマギーを見ていて、自分の過去も走馬灯のように浮かんでは消え、泣かないような場面でも涙が浮かんで仕方ありませんでした。
なんと頼りない父親だと観客に思わせる姉妹の父親ですが、娘達を見ると亡き妻を思い出すから、深くはかかわらなかったのではないでしょうか?妻の自殺をエラのせいにしたかっただけで、本当は彼女の病を承知で結婚しながら、理解出来ず守れなかった情けない自分から逃げたかったのではないでしょうか?母が兄たちに辛くあたるのを見て見ないふりをし、外に女を作っては家庭を省みなかった父を持つ私には、そんな気がします。誰にでも人生には触れられたくない部分があるはずで、それが姉妹の父には亡き妻であったのでしょう。その気持ちを慰めてくれたのが、俗人丸出しの後妻だったのでは?尻に敷かれているというより、彼に取って娘より生きて行く上で必要だったのでしょう。
傷ついた男性の心には、女性の愛が必要です。大人になり母に仕返しのような仕打ちをした兄たちを恨んでいた私ですが、心から愛してくれる母親のいなかった兄たちの哀しさ侘しさを、私は息子を生んで初めて思いやったものです。父も5歳の時に母親を亡くしており、子供の理解がなくては愛情のわかりづらい私の父の人生は、ここから始まったのです。ローズやマギーにも、父を理解する場を与えるシーンを用意していたのが嬉しかったです。
「イン・ハー・シューズ」とは、単に靴のことではなく、その人それぞれに合った人生があるという比喩だそうで、同じ親に生まれ同じ環境に育った姉妹が、ゆっくりと地に足をつけて、それぞれ自分なりの人生を歩き始めたことを表す言葉なのですね。「ママの代わりにおばあちゃんに甘えたかった」のマギーの言葉に、日本もアメリカもいっしょなのだなぁと感じます。大人になると個が強く尊重されるように感じるアメリカでも、親子や兄弟、祖父母の情は健在なのだなぁと、違いのなさに嬉しくなります。
それにしてもシャーリー・マクレーンはチャーミング。手や胸に染みが浮き上がろうが、ホームのダンディなおじいちゃんを虜にする魅力がいっぱいでした。老いても女性としての愛らしさは失わず、お手本にしたいです。私も夫が亡くなった後、見初めてくれるおじいちゃんが現れるよう、今から頑張りたいと思います。
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