ケイケイの映画日記
目次過去未来


2005年11月02日(水) 「春の雪」


1日の映画の日に観てきました。本当はパリス・ヒルトンの絶叫を観に、梅田ブルクまで「蝋人形の館」を観に行く予定が、仕事が長引いて
アウト。それで近くのラインシネマで上映の「春の雪」に変更しました。私が兼業主婦でありながら去年100本観た原動力は、職場から自転車で5分、自宅から10分のラインシネマ(10スクリーンもあるよー)にあるのですな。

大正時代の初期、侯爵の令息である松枝清顕(妻夫木聡)と伯爵令嬢の綾倉聡子(竹内結子)は幼い頃からほのかな恋心を抱いていましたが、清顕は聡子に冷たく接します。その頃聡子に宮家からの縁談が舞い込み、没落寸前の聡子の家はこれを承諾。しかしこの機に及んで聡子への愛が目覚めた清顕は、激しく聡子を求めます。それに応じる聡子。しかしその後に二人を待ち構えていたものは・・・。

という内容。原作は三島由紀夫で私は未読ですが有名なお話なので、内容は知っていました。予告編を観た時、これ以上の内容は出なさそうなので、パスしようと思っていましたが、まぁ千円だし期待しなければそこそこ行けるかな?と思っていましたが、予想通りでありました。調度品や衣装、ロケの風景やセットなど目を楽しませてくれるのですが、如何せん主役二人を含む華族様たちが、バッタもんの雰囲気満々なんです。耽美的な雰囲気も期待していましが、それもあまり感じませんでした。

妻夫木聡は軟弱だけどイマドキの好青年の役柄は好ましく演じられますが、この作品の清顕は、幼いけど残酷なクールさを感じさせないといけないのに、温かみがあるので聡子と結ばれた後の気持ちが一転した感が希薄です。心の変化にも理由付けが乏しく、心の結びつきより肉体の欲が勝った感じがします。それも若い男性なので真理なのでしょうが、高貴な身分でも人の心は皆いっしょ、を表現したいわけではなさそうなので、自分や相手の立場もわきまえずわがままで幼稚な情熱しか感じられません。彼の容姿は端整ですが、華族を演じるには気品が足りません。美貌は落ちますが、中村七之助のような麻呂っぽい顔立ちの、演技力がある人が演じる方が良かったと思います。

竹内結子の方は、時代を感じさせる着物やイブニング姿、髪型などが良く似合い大変美しいです。が、持って生まれた血筋を感じさせる「高貴なおひい様」を演じるには、やはりエレガントさと気品が不足していました。庶民で生きる中の上品さとは根本的に違うと思うのです。私が昔の映画を観ていつも感嘆するのは、日本語が美しいのと女優さんたちが内面の気品を本当に感じさせる演技をすることです。生活形態が大幅に変わってしまった現代では、彼女の演技が限界なのでしょうか?

親世代も時代が刻々と変わっていく中、自分たちの栄華衰退を見極める場面もなく、身の保身に一生懸命なだけです。モチーフに華族を持ってきただけの感じで、この作品は普遍的な人の心を映すのではなく、華族がキーポイントだと思ったので最後まで乗れませんでした。

救いは若尾文子、岸田今日子、大楠道代の往年の大女優の名演技。ひとことふたこと喋るだけで、一気に心を引き込ませる力があり、主役二人を観ているより彼女達を観ている方が楽しかったです。彼女達だけで千円の値打ちは充分ありました。他には高岡蒼祐が清顕の親友で、「パッチギ!」とは打って変わった昔の無骨で誠実な青年を演じ、好感が持てました。でも彼ほど良い人が何故清顕みたいなジコチュー男と仲が良いの?男の友情ではなく愛情なのかという気もしました。その他、若尾文子は奈良の尼寺のご門跡の役だったはずですが、尼寺の尼御前を初め、言葉使いが京都のように感じました。関西と言っても、大阪・京都・奈良・神戸・和歌山、みな微妙に違います。これは私だけの感覚かもしれませんので、他の方のご意見も聞いてみたいです。

原作は高貴で麗しくてお耽美なんでしょうねぇ。読んでみたくなりました。


ケイケイ |MAILHomePage