ケイケイの映画日記
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2005年10月07日(金) |
「いつか読書する日」 |
全国的にヒットしているようで、大阪ではOSCAPでの上映が大きなOS劇場に小屋換え、終了予定も三週間伸び、上映回数も一回増えています。手術のドタキャンのためバタバタし、次の病院探しで見逃しも覚悟していましたが、無事昨日鑑賞。本当に観て良かった。せりふや情景に無駄が一切なく、登場人物全ての掘り下げも隅々まで完璧な2時間で、感激しました。監督は緒方明。今回ネタバレです。
生まれてこの方ずっとある地方都市に住み続ける大場美奈子(田中裕子)は、50歳の独身女性。早朝の牛乳配達とスーパーで働いて生計を立てています。彼女には高校時代から思い続けている大切な人がいます。やはり同じ町に住み続ける公務員の高梨槐多(岸辺一徳)です。二人は高校時代付き合っていましたが、美奈子の母と槐多の父が関係を持ち、自転車に二人乗りしていた時に事故死、以来付き合いを辞めてしまったのです。お互いを意識しながら、しかし言葉も交わさない二人に転機が訪れます。病の床で死を待つばかりの槐多の妻容子(仁科亜季子)が、美奈子に手紙を出したからです。
ファーストシーン、美奈子が早朝の段差のある階段の多い町並みを、軽やかに駆け抜けて配達するシーンが描かれ、ちょっと意外な気がしました。もっと落ち着いた、でも少し寂しい人を思い浮かべていたからです。地味ですが若々しく元気の良い美奈子を印象付けます。それもそのはず、後述で彼女は牛乳配達が生きがいだと言います。町中みんなに配達したいと。不器用な人ですが、自分で自覚する「愛情の足らない人」では決してないのです。
槐多は余命いくばくもない妻を、自宅で介護しています。これは妻の希望か夫の希望かわかりませんが、私は妻のような気がします。寡黙ですが、淡々と介護をこなす様子に疲れを見せない槐多は、ともすれば遠慮や気詰まりで神経を使ってしまう病人にとり、とても素敵な介護者に思いました。それなのに妻の独白は「結婚して26年と8ヶ月、私はこの人がどういう人なのか、まだよくわからない。」という、とてもとても哀しいセリフが、私の意表を突きました。私は今年の12月で結婚して丸23年、この十数年そんな思いは抱いたことがないからです。毎日牛乳配達をしているのが美奈子だと知ると、容子は一瞬にして夫の思いを知ります。妻だからこその直感。牛乳嫌いの夫が、捨てる前に一口だけ牛乳を飲むのは、美奈子への労いと想いだと悟る時、どんなに心寂しかったろうと思います。
槐多は本当に優しく思いやるのある人です。仕事から帰って家事をして疲れているはずなのに、眠る時は妻の手をそっと握ります。しかし妻は「妻が手を握ってもらうと嬉しいから」との思いで、夫が自分の手を握ってくれているのがわかるのです。あなたが私の手を握りたくて握って下さい、そう言えない辛さ。私は介護してもらっている、もうすぐ死ぬ、愛する夫を父親にしてやれなかった、そんな引け目が言えなくしてしまうのです。歩くこともままならないはずなのに、牛乳受けまで必死に手紙を入れに行く容子に私は号泣。愛は奪うものではなく、与えられるものでもなく、この人のために自分は何が出来るかという「与えるもの」だと言うことを、再認識しました。
職場の上司に「大場さん、まだバージン?」と不躾な問いに、普段は何事も毅然と言い返す美奈子が狼狽する様子に、それは本当だとわかります。その夜寝付けない彼女が深夜ラジオに自分の気持ちを投稿します。「私には大切な人がいます。この気持ちをわかって欲しいと思うときもあるのです。」を破り捨て、「誰にも知られてはいけないのです。」と書き直す美奈子。わかって欲しいと思う女性なら、50歳までバージンでいるわけがありません。
自分亡きあと、夫と暮らして欲しいと願う容子に、「ずるい」と答えて帰ってしまう美奈子。このずるいは、死んだ後いっしょになんかなれやしない、という風にも、死に後では自分は分が悪い、そうとも聞こえました。それが容子の葬式のあと、容子の訪問看護婦に、「何故来てくれなかったの。」と詰問された時の、「私はずるい」に繋がるように思いました。
一瞬映る艶やかな母と対照的な地味な美奈子、「女癖が悪かった」と父を語り、一生平凡に生きると誓ったと言う槐多。親の不行跡で人生が変わってしまったのがわかります。容子の死後、彼女に導かれるようにして会い、結ばれる二人。「今までしたかったこと、全部したい。」「全部して。」何と年齢の割りに味もそっけもない、だけどこれ以上の表現があろうかという会話が胸に染みます。二人が結ばれるシーンも、丸で10代の子の初体験のように気ばかりあせり、中々服が脱げない様子に微笑みつつ、瑞々しさに心打たれ、やはりセックスは愛あってのものだと、キス一つに泣きじゃくる美奈子を見てそう思いました。美奈子がおしゃれな勝負下着ではなく、おばさん下着姿なのも、返って初々しくて良かったです。
気にかけていた虐待されていた子を救うため、溺れ死んでしまった槐多に、そんな、こんな終わらせ方あるかと少々怒りに似た気持ちになりましたが、それは違うのだと、今思っています。笑顔を浮かべた槐多の死に顔は、前夜長年の想いを遂げた喜び、自分を重ねていた子の命を救えた嬉しさがあり、平凡であることを人生の指針としてきた彼にとって、一世一代の充実した時に死を迎えたことを表していたのかと思います。
それにお互い35年、いっしょの町に住み顔を合わせていたとて、実際暮らしたり付き合ったりしたら、こんなはずではなかったの思いも出るでしょう。二人の愛ではなく「恋」の終焉に似つかわしいように思います。美奈子なら、一夜の思い出を胸に、これからも正しく生きていけるでしょう。長年愛した人も自分を想い、そして成就したことは、これからの彼女の人生に誇りと自信になるはずです。
美奈子の親代わりの夫婦も印象深かったです。最初えらくこの奥さんはボケの進み始めた夫を上手にコントロールして、受け入れているなぁと思っていたら、介護手記を断るシーンで夫をさらし者にしたくない気持ちに触れさせ、最後は略奪愛で妻子から奪った人だったと美奈子に語る段で、妻の本心を悟らせるように出来てありました。きっと自分の罰だと思っていたのでしょうね。最後まで夫を手厚く介護するのが、妻子への贖罪だと思っていたと思います。脚本上手い!
「いつか読書する日」というタイトルですが、美奈子が新刊の広告を切り取ってとってあるシーンがありました。読んでいた本や家にあった膨大な蔵書は、みな古典や古い書物だったように思います。それは35年前、槐多と別れてから思い出から抜け出せない彼女の心を表しているように感じました。槐多の死後、これからどうするの?の問いに「本でも読みます」と答える本は、切り取った新刊ではないでしょうか?「いつか読書する日」は、新しい美奈子の人生の始まりの日、私にはそう思えました。
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