ケイケイの映画日記
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2005年05月20日(金) |
「花と蛇2/パリ 静子」(ちょっと18禁モード) |
昨日今年めでたく40女の仲間入りをした友人と観て来ました。前作も出来が良ければ観ようかと言っていましたが、散々な評判に立ち消え。今回は出来はどうあれ、一度はこういうのも観ようと話はまとまり、昭和のレトロ感たっぷり、女一人は普通の作品でも入るのに微妙なホクテン座で観てきました(ヒットしているみたいで、広い方のユーラク座に小屋替え)。思ったより女性客が多かったものの、もうオヤジばっかり!平日11時にこんな作品を観るという暴挙に出たものの、座席は6割入っていました。こんなにたくさん人が入ったこの劇場を、私は知りません。
美術評論家の遠山(宍戸錠)は、35歳年下の後妻静子(杉本彩)と円満に暮らしていました。ある日画壇の長老から静子をモデルに妄想で書いたSMのCGの絵を見せられた遠山は、長老から静子の眠っている娼婦性を指摘されます。長老の死後、遺品としてその絵のCDを受け取った遠山は、加齢により妻を性的に満足させられない鬱蒼とした感情とが重なり、ある計画を思いつきます。その計画により遠山は、パリ在住の才能があるのに不遇をかこつ画家池上(遠藤憲一)の元に、静子を向かわせます。
何だかこの手の作品で「パリ」というだけで、返って安もんくさいです。実際パリである必要など全くなくありません。そういえば読んだことはないですが、フランス書院という官能小説を出している出版社がありましたっけ?おフランス→エロ、という図式か?
もう杉本彩の裸・裸・裸!!!綺麗なので構いませんが。実際エレガントな服を身にまとう彼女より、裸姿が一番美しく感じます。この作品は石井隆監督のオリジナルみたいですが、原作はかのSMの巨匠団鬼六ということで、私には未知の世界のSMのあれこれが描かれます。これがなんと言うか、女の私から観ればエロス、ポルノというより、体力勝負の印象です。あんなに体を柔らかくするには、まずトレーニングが必要かと。ヘタすりゃ骨折です。全裸で縄にしばられたり鞭でしばかれたり、次の日体がミシミシいって、足腰が立つのだろうか?と思ってしまいました。それに全身痣だらけになるはず。M志願の人は若い時から修行を積むのだろうと勉強になりました。私の年齢ではとっても無理です(あぁ良かった)。
これを果敢に挑戦する杉本彩には、同性として敬意を感じます。それなりに名のしれたタレントの彼女が、ここまで演じるのは(それも2作)根性を感じ立派だと思いました。ただこれがマイナスに働いてしまった感じもするのです。上の官能などまるで感じていない感想は、やり過ぎ感からきているのです。
筋としては結構まともで、女を見る目のある長老から静子の心の底の淫乱さは指摘されているので、ちょっと妖しげな本を読んだだけで、エッチな妄想しちゃったり、遠山が「おとなしくてSMという言葉も知らないはず。」と言う妻が、あんなパンツははかんやろと、言うのも辛くもクリア。
池上にSMチックな絵のモデルになって欲しいと懇願され、割とあっさりモデルを引き受けるのも、「あなたなら遠山さんの望む絵が書けそうなんだ!」と言うセリフで、静子の心は前日池山に押し倒されちょっと体が火照る→心の底ではモデルになってみたいが、愛する夫(これは本当)がいるという理性でダメ→でも私がモデルになると、夫の望む絵が描けちゃったりするわけ?→そうよ、ヨソの男の前で裸になるのは愛する夫のためなのよ!という「いいわけ」が出来るので、これもクリア。しかし杉本彩は演技力にやや難ありなので、ここは数秒の表情の動きで表現せず、もっとじっくり描きこんで欲しかったです。その点遠藤憲一は初めは罠だったのが、段々本心から静子に惹かれる池上の心を一瞬の表情で浮かび上がらせてさすがです。
劇場いっぱいのおっちゃんたちの共感を一心に浴びたのは宍戸錠でしょう。現在71歳だそうですが、とてもダンディで素敵。今でも若い美女をはべらせても、なんら問題なさそうなそんな彼でも、老いは平等に忍び寄り、役に立たない我が身の代わりに、池山をあてがって妻のあえぎ悦ぶ姿を観たり、Mの素養ありと踏んだ妻をよそ様で調教してもらったりと、とても自虐的です。ほとんど精神的Mの感じがしますが、妻が肉体の極限までいたぶられているので、自分もズタズタの心で耐えようとしているのだと思いました。取りあえずの夫婦は運命共同体です。この心が静子にはちゃんと伝わっての、ラストの彼女の選択だったと思います。鈴木清順の「肉体の門」では、百戦錬磨のパンちゃんたちを虜にしたエースの錠をキャスティングしたのは、映画の説明不足をグーンと補い大成功だったと思います。
しかしこの心の底には、男性の「男根至上主義」みたいなのがあるんじゃないでしょうか?おのがイチモツで愛した女を悦ばせられなくば男にあらず、みたいな呪縛が。これは私は誤解と思うんですけどねー。年が行き性的に枯れていくのは当たり前の話で、それを手をつないだり抱き合って眠ったりで、スキンシップでセクシャルな気持ちを安定させることは可能だと思います。年の離れた夫を選ぶ妻は、経済力だったり愛というより敬愛の念で夫を選んだはずだし、底に眠っている淫乱にも、寝た子を起こさなくてもいいじゃないかと思いました。それとも妻や恋人を性的に自分好みにしたいのは、どうにもならない男性の性(さが)なんでしょうか?
性の深い河に漂流するお話になるはずが、やりすぎでどうもエロくありませんでした。杉本彩の屋上の裸踊りをカットし、遠藤憲一との色んな体位見せまくりのファックシーンを1/3に減らし、オークション会場でのこれでもかのSMシーンを大幅にカットして、物語を描きこめば、ただのポルノではなく上質の官能作品になったかと思います。チラッと見せる方が絶対エロいです。石井隆なら出来ると思うのですが。叩かれまくる監督ですが、これは監督の意向より、「杉本彩の花と蛇」で売りたい製作サイドの意向が強かったんじゃないでしょうか?
それにしても、人の好奇の目にさらされて、「愛のコリーダ」の松田瑛子は精神を病んだと聞きました。対照的に藤竜也は以降人気実力ともうなぎ上り。あの作品の藤竜也は絶品の男ぶりでしたが、俳優としての素養以前に、性に対する男女の有り方の厳しい目が、二人の俳優の行く末に絡んだと私は思います。本番こそありませんが、それ以上のことを演じている杉本彩が、このシリーズ以降また売れっ子になったことに、本当に時代も変わったのだなぁと、43歳の私は感慨深いのでした。
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