MIKI.PRUNEの方丈日記
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4日(土)、例によって日本語を教えようで授業を行う。
(お昼の食事をしても何ともなかった)
授業中から下血が始まる。あまりにひどいので、授業後、
一旦家へ帰って、自分で車を運転して病院に行こうと思っていた。
(それまでは冷静でいられ、家まで自分で運転して帰ってきた)
家で5回目の下血をしたときに、家でほっとしたのと、
あまりに頻繁の下血により貧血状態となり、たっていられなく
救急車を呼んでもらうこととなる。
救急車が到着するまで、一瞬、意識がなくなっていた。
救急隊員の方に、朦朧としながらも、自分で行こうと考えていた
地域外の病院を指名した。家の者がその病院に電話を掛けて
了解をとり、救急隊員も病院に確認して出発した。
初めて乗る救急車は、血圧が下がったままだし、車に揺られたので
気持ちが悪くなるし、乗り心地は最悪だった。
(寝ていても窓から見える風景でどこを走っているかはわかっていた)
病院の救急センターに到着後は、速やかに診察、レントゲン、
CTをとり、点滴治療が始まり、緊急に入院となる。
4日の夕方から8日まで、栄養剤と止血剤入りの点滴のみで
飲食禁止状態で、寝たり、起きたりの4日間続ける。
さすがに月曜日になって、落ち着きが出てくると、お腹が
すいてきたが、どうしょうもなく空腹というわけではない。
8日の午後、大腸を内視鏡で観察する大腸ファイバースコープ検査を
実施、途中にポリープがあれば、切除するといわれていたが、
幸いにポリープはなく、検査終了。
内視鏡検査自体は、何の痛みもなく楽であったが、朝から飲み始めて
透明な水が排泄されるまで飲み続けた下剤には、ほとほと参りました。
(下剤は二度と飲みたくはない! 内視鏡はOKです。)
検査の結果、大腸の一部に裂傷が見られる見られるものの、
特に異常なし。
排泄された時に機械的要因で出血したと説明されても
よくわからない。
(なぜあれほどにまで、下血をしたのか。)
病名:直腸炎 で
9日から 3分粥からはじめて全粥まで、なんでもなければ10日に
退院となると、いきなり言われて、「えっ、???」と思う。
(あとで考えると、内科病棟は長期の人が多く、比較的、 軽い症状の人は、早く退院させなくては、後が閊えるからのようだ。 わたしも、一旦、空いていた外科病棟から内科に移ったひとりです。)
退院後、13日(月)に再診で病院を訪れ、担当医とよく話を聞く。
便秘だった時に、機械的要因で下血と言われても、よく、便秘になる
わたしにとって、ヨーグルトや食事に注意していて、少し血がにじむ
ことはあっても、下血にまで至っていなかったのはなぜか聞く。
胃腸関係は、ストレスが要因で病気になるので
わたしの場合も、12月、1月に仕事がハードだったために
ストレスがたまり、下血したようだ。
ようやく原因らしきものがわかって、ほっとした。
入院というアクシデントのなか、
飲食禁止で食べるということの大切さがわかったこと。
入院患者同士の人との交流は、
(人柄、話した事柄など)
わたしの財産になった。
これらについては、後日、書きたいと思う。
心身ともに健康であることの大切さを改めた感じた
11日間でした。
明日から、職場復帰です。
ここまで、読んでいただきありがとうございました。感謝。
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