MIKI.PRUNEの方丈日記
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今日は暖かくで穏やかな日、子供は高校の卒業式を前に 小児医療センターを卒業してきました。
1987,11,16(1歳6ヶ月)に入院をしてから17年3ヶ月 お世話になった病院の卒業です。
先日(1月31日)の検査結果を子供と2人で聞きに行き、主治医から 「もう、病院とも卒業だね」 というお言葉をいただきました。みんな笑顔。
2人:「長い間、お世話になりました」
主治医:「よくがんばったね。」「主たる病気は問題ないから、 これからは自分自身で健康に気をつけるんだよ。」
めぐみ:「はい、わかりました」
2人:「本当にお世話になりました。ありがとうございました」
主治医:「元気でね」
2人:「先生もお体に気をつけて下さい」
主治医:「ぼくも年だから・・・。」(60歳になられた先生)
2人:「そんなことはありません。まだまだお若いですよ 先生もがんばって下さい」
主治医:「ありがとう」
3人:「さようなら」
1987、11、16 久喜市内の入院先の病院より紹介状をもらって 救急車で搬送されためぐみは、40℃近い高熱が・・・。(めぐみ1歳6ヶ月)
熱を主体とした症状はそれからしばらく続き、「今夜がヤマで覚悟をして 下さい」といわれ、面会時間以外は完全看護で付添ことのできない病院に 泊まったことも・・・。
細い腕に点滴の針は指し難く、腫れて、次々に変って行く。 両腕・両足そして、最後は首に点滴用の管をつなぐ手術をする。 点滴の針を抜かないようにベットに手を縛られたり、それはかわいそうな姿。 何度、自分が子供にかわってやりたいと思ったことか。 入院後1ヶ月目に若年性関節リウマチという特定疾患と診断される。
母親が病気で倒れてからの、1年半、毎日私が病院へ見舞いに行く。 父親がくるのを首を長くして待っているわが子は、抱きついたら離れない。 淋しいのがよくわかる。 面会時間の終わりを告げる曲が流れると激しく泣き叫び、離れようとしない 子供を看護婦さんに預けて帰り、持ちかえったおしめ(トレーニング・ パンツ)やパジャマの洗濯と自分の食事をする日々。
ある日、婦長さんから「お父さんが居てあげられるだけ居てあげて下さい」と 面会時間延長の特別許可をいただく。 他のお父さん、お母さんは帰ってしまうのに、家だけは長く居させてもらうが 他の患者の子供さんも親御さんたちも事情を知ってか、不平や不満を言われた ことがなかった。(みなさんに感謝)
ステロイドを使用した治療のため徐々に減らすためと、一進一退を続ける病気 に1度目の退院は1989、10、2となる。(入院期間686日) それから月1度の通院と毎朝の検温と薬の服用が中学3年まで続く。 (その間、1991、12、23から1992、2、22まで2回目の入院。) 高校生になってからは、夏・冬・春等の休みになってからの検査通院を経て、 今日、晴れて病院の卒業を迎えた。
その当時の看護婦さんや医療スタッフに挨拶をする。 献身的に看護してくれた看護婦さんは、ベテランや婦長さんになっているし、 面会時間を延長して下さった婦長さんは看護部長(副医院長)になられて いらっしゃる。 口々に「あんなに小さかっためぐちゃんが、こんなにりっぱなお嬢さんに なって・・・」「嫌な治療によくがんばったね」「長い入院で性格が どうなるか心配していたんだよ」「おしめ替えてあげたんだよ」等々・・・。
でもみなさん「がんばったね」「よかったね」と言って、思い出話しや めぐみの成長と病院卒業を祝ってくれる。 めぐみもわたしもこのような素晴らしい医療スタッフがいたからこそ、 元気になったし、素直な子供に育ったと思う。
「みなさん、本当にありがとうございました。」
最後にめぐみへ
「よく頑張って、病気を克服したね。えらい!」
今日の一首
病癒え 元気になりし わが娘 長き日々に 感慨深し
どんなにも 辛い病気に 立ち向かい 克服したる 小さき命
巣立つ子に 優しい言葉 かけてくる 看護婦さんにも キラリと涙
春におう 温かな日に 飛び立とう 希望に満ちた 輝く日々へ
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