♀つきなみ♀日記
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2001年02月24日(土) デ・パルマとジョージ・ロイ・ヒル@仮想空間論序章

昭和60年(1984)の「時事問題の基礎知識」に「記号少年」という言葉が載っている。私の知る限りでは、仮想空間で暮らす人々を最初に表現した言葉だと思うんだけど、説明には「生々しい現実の世界を避け映画やテレビやマンガの虚構の中に逃げ込み記号の世界に生きる事を選ぶ」と書いてあるんだよね(一部落丁の為完全な引用ではありません)

昨今、ネットの功罪が論議される際に、「ネットやTVゲームが若者の現実感覚を鈍らせる」なんて感じの発言に繰り返し触れる度に、私は「記号少年」という言葉と共に映画監督のブライアン・デ・パルマとジョージ・ロイ・ヒルを思い出したりする。

中心となる作品はデ・パルマ監督は「ミッド・ナイト・クロス」で、ジョージ・ロイ・ヒル監督では「スローターハウス5」なんだけど、あまり映画好きでない方には前者はS・キング原作の学園ホラー(?)「キャリー」の方が、後者は言わずと知れた「明日に向って撃て」あるいは「スティング」あるいは「ガーブの世界」の監督と言った方が判り易いかも知れないよね。

「ミッド・ナイト・クロス」の主演はジョン・トラボルタ@サタディー・ナイトフィーバーなんだけど、録音技師で出来るだけリアルに近い虚構の音を作り上げる事に生きている役柄だ。映画のストーリーは書かない主義なので、分かり難いかも知れないんだけど、その主人公がある事件をきっかけに現実の世界に巻き込まれて行き、そして意外な結末を迎える。

「スローターハウス5」は「第五屠殺場」って意味で、原作は大作家カート・ヴァネガット・JRが自ら体験したドレスデン大空襲を題材にした、映画化は無理だと言われていた大名作だ。それを演じるのはマイケル・サックスで、捕虜収容所を振り出しに、細切れに生きる主人公をすごい力で演じきっているんだけど、早い話しが自分の意志とは無関係に翻弄され続ける主人公が、こりゃまた最後に意外な結末を迎える訳なんだなこれが。

デ・パルマは映画の中に生き、映画の世界で映画を作ったと評される。作品の中には様々な映画のバロディーって言うか、彼の感性と現実生活には映画が詰まっていてそれを痛いほど彼自身が判っているような気がする。

ジョージ・ロイ・ヒルは彼が描く人生を、スクリーン中で様々な場所から眺めた視点で映画化し、「ガーブの世界」までで俯瞰してしまい、最後の作品「リトルドラマーガール」で一本だけ「映画」という仕事をした後、隠遁してしまった。

現実と虚構が交叉するのは、ある意味暮らしてゆく「人」である限り当たり前な事のような気がする。「夢見落ち」って言うのは、物語では一番ありがちで安易でありながら、古典から現代まで変わらない手法だし、極論すればこの世に存在するすべてのフィクションは、虚構に逃れたい心に扉を開く楽園なのかも知れない。

しかし本来は、戻って来る現実の暮らしが確立していればこその、虚構空間であったはずが、二つの世界の境界を無くしつつあるのが現代のような気もするんだよね。

私自身、この「つきなみ」という人格(?)の他にネットでは別の人格っつうかキャラクターを持っている訳で、それが現実を生きる「私本体」に影響を与えている事は否定できない。今の私自身を省みると、境界を理解していると言える自信は残念ながら持ってはいない。

って事でまたね!


テキスト庵

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