c h e c k e r e d  f l a g .
 ○ハジメマシテ   ○オエビ   ○ノベル   ○ダイアリー
2004年04月23日(金) 電池が切れるまで。

昨日、渋谷駅で、不覚にも、泣きそうになった。
いや、むしろ、そう、何も見えなく、見たくなくなった。死にそうに、なった。

命はとても大切だ
人間が生きるための電池みたいだ


そう始まる詩を、最近、私は、何度か目にした事があった。
ドラマが始まるから、そう、新聞やらなにやらで、何回かは、見た。
だけど、最後まで読んだ事はなかった。
読みたくなかった。

前から言ってるが、闘病・障害…といったドキュメントやドラマは苦手だ。
何故か。多分、理解できないからだと思う。
私は五体満足に生まれてきて、大病を患ったこともない人間だ。
障害を持っている人、病気と闘ってる人を、
どんなに理解しようとしても、きっとそれは理解できてない事になる。

母がこういった番組をよく見ているけれど、
見終わった後に私を見て、
「アンタは五体満足で良かったわ」という目をしている気がする。
そんな雰囲気が嫌いだ。
「好き・嫌い」の問題じゃないことはわかってる。
理解できないからそういう人を放っておくのかとか、そういう話じゃない。
私は単に、
「私はそういう運命で、あの子はそういう運命なんだ」
と思っている。ただ、それだけだ。
可哀想とも思わない。優越感を感じた事もない。
腫れ物を触るように扱ったりしない。救いの手を差し伸べたりもしない。
私は私で、その人はその人で、
魂がそこにあるのなら、それでいい。

だから私は命が疲れたと言うまで
せいいっぱい生きよう


泣き崩れそうになったのは、この、最後の2文だった。
ああ、私が、生きたくもないし死にたいとも思わないのは、
命が疲れたと言ってるからなんだ。
そう意識が降りてきた。
一瞬にして、世界が真っ暗になった。気が狂いそうだった。

彼女(詩の作者)はせいいっぱいいきようと決意した。
私は、もう、せいいっぱい生きたよ。

詩の中盤で、こんな言葉もある。

「命なんかいらない。」と言って
命をむだにする人もいる
まだたくさんの命がつかえるのに
そんな人を見ると悲しくなる


私は、無駄にしてないから、今、真っ暗なのだろう。
私は、せいいっぱい生きたから、真っ白なんだよ。

もうそろそろ、おしまいにしても良いと言ってる。のかも。しれない。
命を?
イヤイヤ、全てを。

この詩を見て、なんでか、誰だかに言訳を書いてる自分がいるってだけで、
まだ救いがあるかもしれないけれど。

DiaryINDEXpastwill
saiko |MAIL