c h e c k e r e d  f l a g .
 ○ハジメマシテ   ○オエビ   ○ノベル   ○ダイアリー
2003年06月04日(水) 番外篇。

本日英会話学校で、お気に入りの先生に耳元で囁かれ、昇天寸前だったsaikoです。
冗談でも、愛してるヨ☆とか真顔で言われると駄目です。
フッ…これだから、日本の女の子はイージーとか言われちゃうんだぜ(誰に)。
皆も気をつけろよ!(何を)

―――

本題。1日、3日の日記を更に掘り下げて逝っちゃったろうじゃん篇(日本語妙)。
仮題:saikoの知られざる過去(自分で言うか)。

まぁ私が怒ってるというか納得いかない箇所というかひっかかる箇所はですね。
とにかく、
「何故、相談の段階で言ってくれなかったのか」
という所です。
被害妄想気味ですが、かなり裏切られた感がありました。

私は、皇子はとりあえずおいといて(付き合いも同居期間も浅かったので)、
じろうとはかなりベストフレンド(のつもり)でした。
会ってから3年しか経ってないとは思えぬ程に、仲良しちゃんでした(私的に)。
(以下全て私の視点なので(私的に)(のつもり)は略します)

私はじろうと話していると、とても楽だったし楽しかったです。
話す内容がどうとかよりも、切り返し、テンポ、とにかく頭の回転が早い。
気が合う、好みが合うというのもあったけど(嵐とかね)、
彼女と話している時の自分も好きでした。
だから、彼女も私に同じような感覚を持っていると言ってくれた時に、
「買いかぶりだよ」と謙遜することなく、純粋に嬉しかったです。

でも私は常に、彼女と私は違う道を歩んでる人間だと考えてました。
絶対に交わらない、理解し合えない点が、奥底に限りなく広がっている。
基盤が違うのだ。

と。

それは何故か。
こういう書き方をすると「ハァ?」という意見を頂きそうですが、

彼女は幸せな人間で、私は不幸な人間だからです。

何が幸せか、不幸かは、人それぞれだという事はわかってます。
ひとつの問題が、人によっては軽かったり、人によってはとてつもなく重かったりする。
幸せなんてのは、自分の目だけで量れるモンではないと、分かってます。

では、何故、彼女が幸せで、私が不幸だ、と、私が感じるか。

彼女は常に愛され続けてきた。反対に、私は嫌われ続けてきた。
というのが私の見解です。

勿論彼女を嫌いな人間だっていたでしょうし、そういった人間と反発したり、
やっかいな事になったりした事もあったと思います。
(私は彼女とは専門からの付き合いなので、
それまでどういった経緯…人間関係があったのかはよく知りませんが)
しかし、クラスの子に苛められたり、学校中から迫害されたり、停学を食らったり、
レイプされたりなんてことは無いらしいです。

彼女は、そういう人間なのです。

私は、中1の時に日本に帰ってきてから(それまで赤道直下の南国に住んでました)、
仲の良かった幼馴染(男)と、その兄その友人にレイプされ、
中学では俗に言う「いじめ」に合い、友達など一人もいず、
学年に関係なく、学校中の生徒から名前にかけられた卑猥なあだ名で呼ばれ、
高校ではとある事件で停学をくらいました。

私は、そういう人間なのです。

勿論、これだけで、彼女が幸せ私は不幸、と言ってるわけではないです。
それについてはまた後で記します。

重要なのは、私には友達がいなかった。という点です。

「いじめ」と言うのは苛められる側にも非がある、と言います。私もそれは思います。
きっかけは、私がいじめの標的になる前に標的だった女の子を助けた…というか、
まぁその子と普通に話したり仲良くなった事だったのですが。
それだけではなく、私にも、どこか鼻につくところがあったんでせう。
帰国子女というだけでも十分な理由だと思いますし。

私に対しての「いじめ」は、実にイージーで小賢しいものばかりでしたが、
一般的に考えて、自殺してもおかしくない程度だったとも言えます。

金品をせびられる事はありませんでしたが、
持ち物を便所に投げ込まれる、のり付けされる、泥だらけにされる、なくなる。
(美術の課題の絵をグチャグチャにされた事もあったかな)
私が廊下を歩くと避ける。
(どういうつながりなのか、違う学年の生徒からも同様の事をされ続けました)
卑猥なあだ名をつけられ、授業などでその言葉が出るとひやかされる。
(私が下校中に、学校の殆どの窓から生徒が身を乗り出して、
 その言葉を私に向かってコールしていたなんて事もあったな…何だったんだアレは)
なんて感じの、ごくごくプレーンないじめでした。

でも私は、1年生の後半あたりからは、涙した事はありませんでした。
むしろ、常に反発し続けてました。
毎日学校に行ったし(皆勤賞)、持ち物に被害があれば、犯人を殴りました。

私を嫌う人間に、気に入って貰おう、許してもらおうと努力する必要はない。
人を苛めるなんつー低脳で下らないことをする人間は、むしろ不要だ。
友達なんぞいなくたって良い。学校は学びの場所なのだから。


と思ったからです。開き直りです。
でも、そう思えた私は、当時の年齢にしては、精神的に強かったと思います。
当時はいじめが全国的に流行っていて、
それによる自殺者もかなりの数に上ってた頃だったので。
だからこそ、私は正しい判断をした。
いじめられて、私は、強くなったんだ。と、ずっと誇りに思っていました。

でも、私はあの時そう判断した事を、今、「弱かった」と思います。
「いじめ」にあったこと自体を、単純に、恨んでいます。

その「いじめ」は、私から「人を信じる・本当に好きになる」という心を奪った。
と、ずっと心の裏で思っていた事が、表に浮かび上がってきてしまったのです。

判断自体は間違ってなかったと思います。
それで泣き寝入りして自殺するなんて事にはならなくて良かったと思います。
ただ、別に友人を作らなかった事を後悔しています。

高校で友人が出来ると、私は意識下で、その子達に嫌われる事を恐れ始めました。
彼女らが好きでした(女子高)。
尊敬できる子達ばかりでした。一緒にいてとても楽しかった。居心地が良かった。
だからこそ、
そばにいて欲しい。貴方たちが必要だ。離れないで。嫌わないで。
と、怖がっていたのです。

高校2年次に、私はちょっとした出来事から、学校長と喧嘩し、停学を食らいます。
その時、偶然一番近くにいた友人が、
停学こそ食らわなかったものの、かなりとばっちりを受けたようでした。
私が停学中、彼女は私からの電話に応答しない上に、
停学が解けてからの長期間も、目もあわせないし口もきいてくれませんでした。

しかもその停学というのは、
退学するか在学するかを問われるものだったのですが、
私がいつもツルんでいた友人たちは、誰も何も連絡してくる事はありませんでした。
(期待はしていなかったし、今も特に恨んだりはしていませんが、
 あれば嬉しかったと思います)

それでもその時結局在学する事にしたのは、
今でも付き合いのある、特殊な友人(当時クラスメート)のおかげなのですが、
これはまた別の話なので省きます。


とにかく、私はその友人たちを、それなりに好きだったし、
ある程度の信頼を寄せて付き合っていたと思います。
彼女らも、同じように感じていたと思っていました。
それが、急に手のひらを返されたようで、ショックだったし、失望しました。

でも、私が心の底から友人たちを信じてなかった・好きじゃなかったから、
そうなってしまったのだとも思えます。
もしくは逆で、「いつ嫌われるかわからない」と、恐れる心があったから、
信用できず、好きになれなかったのかもしれない。
それは今でもわからないですが。

とにかく私は、
「私の好きな人が、私のことを好きでいてくれている」
という事を、信じる事ができなくなっていたようでした。
しかも更に被害妄想気味になり、
「私みたいな人間を好きになってくれる人なんて、いるわけないんだ」
とも思い始めたわけです。
(まぁこう思ってる人は結構いるらしく、
「そんなの誰でも思う事あるよー」と、よく言われますが、程度が違います)

もう既にその時点で、私はきっと、不幸な人間に成り下がっていたと思います。

専門に入り、じろうと出会い、卒業後、同居生活が始まります。
学校ではお互い仲の良い友達は別にいた為、
私たちは同居を始めてから急激に仲良くなりました。

前述したように、私はじろうといるととても楽だったし、楽しかったです。
今までに無い関係でした。
家族のように、ずっと一生付き合える人だ。と、思えました。

彼女にも、「私もそう思ってるよ。好きだよ」と、幾度か言われました。
私はいつも、
「やっと私も、好きな人から好かれる事ができた」
と思っていましたが、心の底では、
「私がじろうを好きなほど、じろうは私を好いてはいない。
 期待してはいけない」

という思いがぐるぐる巡っていました。
振り払おうとしても、それは深く刻み込まれて、絶対に剥がれないのです。
一種のトラウマです。
そしてそれは、被害妄想ではなく、事実であり真実でした。

何故断言できるか。というところで、やっと本題の頭に戻ります(長かった…)。
彼女には友達が沢山いて、私にはいなかった。
という所です。

ずっと周りから嫌われ、戦い続けてきた結果、友達が出来ても、
心からの信頼関係を築けない。

そんな私が、やっと「心から好きだ」と思える人に出会えたのです。
片や彼女は、友達などいて当たり前の世界を生きてきた人間です。
勿論、友達がいるって幸せだ。と感じてる事もあるでしょう。わかってます。
でも、私はその幸せを味わったことが、あまりにもなかったのです。
友達がいる事は、私にとって、普通ではないことでした。
友達ができた事は、私にとって、本当に本当に有り得ないくらい幸せな事でした。
だから、
私が彼女と会えて、どれだけ幸せになれたか、彼女にわかるわけがないのです。

こういった事から、
私は、「彼女は幸せな人間で、私は不幸な人間だ」と言えてしまうのです。
これは、私の中でこの件に関して私が行った判断です。一般論など関係ないのです。

現に、彼女は私の信頼を裏切りました。
私にとって彼女の存在が、とても信頼できる人・心から好きな人になっていたこと。
そしてそのような存在を作れた(作るという表現は適当ではないですが)ことが、
私の人生の中でどれ程に重要だったか、
彼女はわかっていなかったのです。

だから、
「私には何の相談もなしに、皇子と二人で話し合い、結果だけを伝えられた事」
が、私にとってどれだけ大きなショックだったか、
彼女にはわからないのです。
そしてこれから一生、わかる事はないのです。
この先わかろうと努力をする事も、その必要性もないでしょう。

きっと彼女が最初から、
「私はsaikoの事を好きだけど、saikoが私を好きなほど好きじゃないと思う」
と言ってくれていれば、このショックも半減した事でしょう。
重複しますが、
事実、私は何度か、「私がじろうを好きなほど、じろうは私を好きじゃないよきっと」
と、彼女に言ったことがあります。
でも彼女は、常に「そんなことない。同じだよ。負けないくらい好きだよ」
と、引きませんでした。
その度に私は首を縦に振り礼を言いつつ、心ではそんな筈はないとうなだれていました。
結果、今回の件があって、彼女はついに折れました。

「saikoが私を好きなのと、私がsaikoを好きなのとは、質が違うってわかった」

私が言っていたのは量だったのですが、質でもオーケイです。
この件に関しては同意義です。感じ方の違いです。

「好き」や「信頼」の量も質も、計れるはずはありません。
でも、こういう時には、それが自然と現れるものです。現れてしまったのです。
彼女が私をどういう風に思っていたのか、
全てがわかった気がしました。
トラウマが、冬眠から目覚めたように暴れ出し、
バンドエイドだらけだった心が、ボロボロと崩れ始めるのがわかりました。

「もう、誰も好きになれないし、信用できない」

彼女の前で泣きました。
でも、私はわかっていたはずでした。
「彼女と私は生きている道が違いすぎる。絶対に合いまみえないところが根底にある」と。
なのに、何故涙が出たのでしょうか。
「それでも、分かって欲しかった。
 私がじろうを好きなのと同じ位、じろうにも私を好きでいて欲しかった」

やはり私は、心のどこかで、そう思っていたのでしょう。

でも私は、求めすぎていたんだと思います。
じろうは、私が彼女を好きになる・周りの人達が彼女を好きになって当たり前の要素を、
沢山持っていました。
でも私には、何も無い。
嫌われ続けてきたのだから、人から好かれる要素もなければ、方法も知りません。
そして、努力もしませんでした。

私は今、その点については、深く反省しています。
私がじろうを好きなように、彼女に私を好きになってもらうには、
私にもそれなりの努力が必要でした。

だから私は、今回の事を反省し、踏まえ、
誰か一人で良い、私が大事だと思える人、好きな人から好かれる人間になれるよう、
自分を磨き、努力をする事を誓います。
とりあえずの目標は、じろうに許してもらえる・見直してもらえるようになる事…。
でしょうか(無理?)。

私も彼女に、酷い事を沢山言いました。好きになってもらえなくて当然でした。
でも、その事を今、芯から理解できたと自分で思います。
(何度も書きますが、バイト先の友人モモちゃんのおかげです。ありがとう)
だから、今のこの気持ちをちゃんと伝えたい。そう思います。

藤元有希が、大好きだから。
この気持ちを、これから先、絶対忘れたくないから。


決戦の日まであと4日。まだ私にできる事があるはずです。頑張ります。

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