2003年06月14日(土) |
齋藤孝『質問力』を読んでの覚書 |
私は「コミュニケーション不全症候群」を自覚している。 とくに初対面の人間に対しては、何を話しかけたらよいのか戸惑ってしまう。 いくら自分が興味を持っていても、こんなことを聞いても面白くないだろう、とか、ここまで踏み込まれては迷惑だろう、だとか、余計な気を回しすぎて世間話すらうまく出来ない。
著者・齋藤孝氏は、「初めて出会う人と、どれだけ短い時間で濃密な対話ができるか」ということを考えたとき、必要とされる能力は「段取り力」と「コミュニケーション力」のふたつであるといい、「質問する」という積極的な行為を通してコミュニケーションを深めていこう、と提言している。
本書の中で著者は、多数の例をあげながら、「良い」質問と「悪い」質問を図式化していく。 これによって、今まで「相手にとって迷惑じゃないだろうか」とか「他の人はどう思うだろうか」とか漠然と思っていたことが整理され、客観的に判断できるようになった。
著者が言うように、「質問力」は技化できる種類のものであり、トレーニングによって向上する能力であるのは確かなようだ。 ただ「コミュニケーション不全症候群」の若者の多くが、同世代との会話はうまくこなせるが、異なる立場・地位・年代の人間とは会話できないのは、一概に「質問力」を鍛えるトレーニングを行ってこなかったからだけとはいいがたい。 「質問」するには、相手に対して興味を抱くことが前提となる。それには、好奇心だけではなく、経験や想像力が必要になってくる。 それらのいずれもが欠けているのが、私を含めた「コミュニケーション不全」な若者の特徴ではないだろうか。
話はずれてしまったが、誰しも自分の経験を話すのは得意だ。 しかし、わざとらしくなく相手が語りたい話題を引き出そうとするのは、私の場合、意識しなければ出来ない。そのノウハウを教えてくれるのが本書である。
今私は、著者・齋藤孝氏にこの著作についてインタヴューする質問を想像している。いわば、実践練習である。 これが、なかなかに難しい。 考えれば考えるほど、自分が聞きたいことと他者の興味が一致しているのか、その内容は本質的か非本質的か、回答者にとって良い質問といえるのか、分からなくなってくる。 いまだ、三者を満足させる最上の質問は見つけられない。 まだまだ精進が必要だ。
とりあえず当分の間は、数打ちゃ当たる、当たって砕けろの勢いで質問を繰り出し、相手の反応を見て経験を積むしかないだろう。
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