一平さんの隠し味
尼崎の「グリル一平」のマスターが、カウンター越しに語ります。
目 次|過 去
2005年02月08日(火) |
まあ〜聞いてください・・・5 |
日向市役所って、少し変わってまして、消防署とが合体してるんですよ。
どういうことかと言えば、建物が6階建てで、その上が四角い塔みたいなのが立ってるんです、その塔からは市街地が一望できるようになっていて、
消防署員が毎日その塔の屋上から監視してる訳です。
その市役所の前の広さというと、400mトラックぐらいあって、祭りと なると、屋台が、真ん中の舞台の周りを取り巻くわけです、
当時の盆踊りの歌が、今だに覚えてるのは、「日向・ひえつき節」 「高千穂・刈干し切り歌」それと「延岡・七万石」などなど・・・。
金・土・日・と3日間続くわけですが日向市では一番大きな祭りでしたね。
つづく
2005年02月05日(土) |
まあ〜聞いて下さい・・・4 |
いま思うに、学校側から何も処分がなかったのも不思議で、
おそらく子分達が喧嘩などと言わずに鉄棒から落ちたって事にでもしたんでしょうね(笑)
日に日に話しが大きくなって、私の一撃で「番長の前歯が折れた」などと話しが膨らんで、しばらくの間、不良グループに付きまとわれる事態になるんです。ほんとに大変でした、普通の友達が出来なくて悩んだ事もありましたよ。
兄達に悩みを打ち明けると、「それは、おまえが悪い!空手をそんな事に使うから」と、言うだけ、そう言えば兄達は「黒帯」でしたが、それでも喧嘩の噂など聞いた事もなく、普通の友達がいっぱい、いましたからね、
おそらく空手をやってる事なんか誰にも言ってなかったんでしょね・・・。
あれは確か夏休みの頃でしたか、すごい事件がありまして・・・
日向市役所の前で夏祭りがあったんです、
2005年01月30日(日) |
まあ〜聞いて下さい・・・3 |
彼が飛び掛って来る!
私の「足刀蹴り」のつもりで上げた足が、カウンター気味で彼の喉仏に きれいに入ったんです!これには私もビックリしました。
彼は後ろに仰け反りながら横にある鉄棒に、これまた前歯をシコタマ打ってしまったんです、
番長が地面に倒れた時・・・二人の子分は、ビックリした顔で番長を上から 覗き込んでいました・・・喉にカウンターで入った時、倒れぎはに、頭を打ったんでしょうか、気絶状態で、それと鉄棒で前歯が2本折れたせいで、
口から真っ赤な血が流れ落ちてるじゃありませんか!これには私も ビックリしました、直ぐに二人の子分達に保健室に連れて行こうっと言ったのを覚えています・・・、
中庭の出来事に生徒達は、ワイワイがやがや!血だらけになった番長を二人が抱えて廊下を小走りで保健室に運ぶ姿に・・・ワイワイがやがや!
空手といっても、ようやく型を覚えた頃で、兄らは二人とも段を取っていたと思います、家でよくふざけて蹴りなんかを教えてもらってた程度、
蹴りの中で「足刀蹴り」と、言うのがあって、兄達は足刀蹴りをしても、残りの立ってる足は全然ふらつきもしません。
私がすると安定感がなく蹴りをしても威力がありません! もちろん破壊力は、ほとんど皆無です!
その番長が凄い目をして近づいて来た時、
私の目の前に鉄棒があるじゃありませんか、空手家がやる行為じゃありませんが、せっかく目の前にある鉄棒を利用しないわけがはなく、両手で鉄棒を握り
体を横にして「足刀蹴り」をするつもりで足を横に上げてみたんです!するとど〜してことでしょう!私の「足刀蹴り」をした足の先で・・・
つづく
2005年01月25日(火) |
まあ〜聞いて下さい! |
長年やってた豆腐屋が倒産して父は・・・変わり果てました。
中学へ入学する4月から次の年の4月まで六回引越ししたんですよ(笑)
1年で六回!お分かりでしょか?そうです!家賃が二ヶ月貯まると 追い出されるんです(笑)ははは今思うに、最後の引越しなんて、もう!
身軽で家族全員バッグ一つなんですよ(笑) そんなこんなで・・・中学へ進む訳なんですが、その中学というのが 小学校を3校分の6年生を受け入れ出来るマンモス中学校でした。
たしか入学して、まだ間もない頃だったんですが、友達もでき、みんなで 鉄棒なんかして遊んでたら、1学年の番長だったそうですが急に私の側に 来て「おまえ空手やってるらしいな!」・・・はあ〜?
2回目の引越しした場所が「空手道場」の近くだったせいで、兄の二人が 空手を習い初め、とうとう私も習いはじめました。
きっと番長にしては私が「空手」をしてる事が生意気だったんでしょうね、
番長の横には子分みたいなのが二人!
鉄棒でワイワイ騒いでて私に、「オイ!おまえ!」・・・顔が鬼瓦みたいでした、いきなり私に掴みかかってきたんです!
tuzuku
こんな気ままな「隠し味」にお付き合いして頂き心より感謝しています。
何日も更新されてないのに毎日、何人かの方がのぞいてくれてて、ど〜もスミマセンです。これから先は店をオープンするわけですが、まだまだ修行時代の頃のエピソードを幾つか書き込もうと思いますので、気長にお付き合いのほどよろしくお願いします。
ところで、みなさん覚えていますか?
あの・・・あの足長おじさん!が生きていたんですよ(笑)
2・3日前に、ひょっこり現われたんです!そうですねもうかれこれ20年ぶりになりますか。最初の感じたことは背が低くなっていたことです・・・、
えらいものですね、背が高いというイメージがあったので顔を見た時は、分からずに、向こうの方から声をかけてくれて・・・
「頑張っとるな!」・・・・・(なつかしい声でした!)
「そこでマージャン組合の集まりがあったんでな・・・」
「久しぶりにあんたの顔が見たくなってな・・・」
「あ・ありがとうございます・お久しぶりです、お元気そうで!いや〜懐かしいですね・・・」
「もう、あかんわ!この間、入院しとったんや、先生にな「道草」しすぎたから、そろそろあの世に行かせてくれって言うたら、まだまだやって言われてしもたは、ははははは」
「幾つにになりはったんですか?・・・」
「わしか・・・88や!」
「よかったら、カレーおくれ!昔はよく食べたなー・・・」
懐かしさがよみがえった瞬間でした・・・。
またこの次
店を改築するにあたって変わった棟梁(大工の親方)がいたんです。
30年前で50歳ぐらいだったから今はもう80歳になられてるんでしょうね・・・。当時、棟梁は同じ大工さんで自分の弟さんを連れて来てました。
結構、頑固で小太りしてるわりには筋肉質な体格の持ち主で、黙々と仕事をこなしてゆくんです、その足を引っ張るのが弟さんで、ちょっと「どんくさい」人で、いつも棟梁に怒られてばっかりいました、棟梁の口ぐせが「プロやろ!これで御飯(オマンマ)食べてるんやろ!」と、出入りする左官屋や壁のクロス屋さん電気屋さん冷蔵庫屋さん、みんなに仕事でボヤいたりすると必ず
「なにボヤいとんねん!プロやろ、それでオマンマ食べてるんやろ!」
棟梁の一喝でみんなオトナシクなります(笑)
ある時、私がどうしても玄関のドアーに拘りがあって、厚い板で頭の方はアールで上に40センチのマルを作って、そこにガラスをはめ込んでほしい、と 建具屋さんに言ってら「そんなのウチはやってない!」と、断られ、それを 棟梁にどうしても、そういう玄関にしたいと言ったら棟梁が建具や言った!
「あんたもプロやろ、それでオマンマ食べてるんやろ!頭っから断らんと、やってみたらどうや!(打たぬ鐘は鳴らぬ!)行動も起こさず諦めるな!」
それから一週間後に出来たんです、今も現役ですが、あのドアーがあるのは棟梁のお陰なんですよ。
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