第二十八話 〜笑顔のベール〜 - 2006年11月21日(火) 私と、幾人かの住人で 今、住家から遠く離れた場所にいる。 スカイブルーの空と海・・・ その下で、白いドレスとベールを身につけた彼女が 左手の薬指にリングをはめた。 彼女は、この住家ができて直ぐからの住人だ。 もうなくてはならない存在の一人である。 楽しい事、美味しいものが大好きなのが 見ていて、よく分る可愛い女性。 私よりちょっと年上のはずだけど そのくったくのない笑顔のおかげで、とてもそうには見えない。 純粋さは若さを引き出すのかもしれない、と 本気でそう思わせる。 しかし、仕事の顔はどうもそうではないようだ。 何故なら、それはとてもシリアスな内容だから。 不妊治療や体外受精に関わるエンブリオジストという仕事。 想像しただけでも凄い仕事だというのに 普段の彼女からは、そんな堅い雰囲気を感じなかった。 暗いことは苦手の様子。 神妙な事を私が言い出せば、さらりと交わして楽しい話題へ持っていく。 その笑顔にどれだけ癒されたか計り知れない。 しかし、私は何故か親しくなればなるほど 彼女のシリアスな一面を見たくなった。 「そういえば、あなたの悲しい顔見たことないね」 すると、そんな私の妙な問いに彼女はこう答えた。 「私何故か人前で涙が出ないの」 別に無理をして笑顔にしている訳でもなさそうだ。 しかし、誰でも悲しみはあると私は思う。 だから、もし知らず知らずに悲しみをどこか遠くへ追いやっているのならば その自然な笑顔と同様に、泣きたい時は泣いて欲しいと思った。 それから少し経ったある日。 夜も更けていたが、カウンターからこぼれた明かりを頼りに彼女は訪れた。 笑顔で 「ちょっとだけいい?」 そう言った途端 ポロポロと涙が出ていた。 初めて見る涙。 人前で泣くのに慣れていない彼女は、なんとか抑えようとしていた。 私は心の中で呟く。 いいじゃない。 ねぇ。 泣いたって。 彼女に起こった、小さな事件。 それは彼女が手話教室へ見学しに行った時のことだった。 いつもの笑顔でそこを訪れると、一人の生徒がこう言ったそうだ。 「遊び気分でやるなら帰ってくれ」 彼女は驚き、そのままその場を去り こうしてこの住家へ帰ってきた。 きっとその生徒さんは、複雑な環境にいるのだろう。 真剣にやらねばならない理由があるに違いない。 彼女の持つ笑顔が、時には人を悲しみに追いやることもあるのだと 彼女自身を含め、私にも何か考えさせられるものがあった。 ひとしきり泣いた後は、またいつもの笑顔が顔を出して 甘いケーキをほうばり始めた。 それから少しずつ彼女の変化が始まった。 笑顔というベールを纏っていた彼女。 日々訪れる、ささやかな出来事に対し 徐々に悲しみや怒りなど、楽しい以外の様々なものが現れ始めたのだった。 そして先日、その集大成とも言える彼女に会えた。 笑顔ではあるものの、ハッキリとものを言う姿は 以前あった無邪気さ・・・というよりも、しっかりお姉さんになっていた。 面白いことに、そのベールが剥がれていくのに伴って 彼女は愛しい人に出会った。 誰もが関心するほどのフットワークでシングルライフを謳歌していたが あっという間に結婚まで行き着いた。 そしてこう言う。 「こないだも彼の前でわんわん泣いちゃった。 でも、泣くとスッキリするね。」 私はこれからも彼女と長く付き合っていくだろう。 色々な感情があるからこそ、絆は深まる。 これからもあの笑顔は消えることはない。 だって、あの笑顔は本物なのだから。 そうしていま、私は待ちわびていた時を迎えた。 ウエディングドレス姿は彼女の笑顔を いっそう引き立てているのは言うまでもない。 本当におめでとう。 -
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