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ニュージーランド旅行記、合計180KB。
それを全部PCに打ちこんだおばかさんの戯れ言。
その一覧はトップページにあり。

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2004年07月25日(日) 2004夏 青春18きっぷ旅行記 1日目

  大阪07:30─(バス)─07:50伊丹空港08:40─(飛行機)─10:00花巻空港10:13─(タクシー)
──10:20花巻空港駅10:52───11:41平泉<レンタサイクル利用>13:16─(快速こがね)─
──15:00気仙沼15:15───16:37前谷地16:40───16:59石巻17:02───18:04仙台

 今年で青春18きっぷを使った一人旅は実に5回目となる。毎年方向を変えて行動しているけど、今年2004年はついに東北に突入である。しかし東北へ行くのに、5日間で普通電車のみで大阪から往復することは不可能なので、今回違う手法を取り込んだ。「飛行機」の利用だ。しかも俺の誕生日は夏ってことでバースデー割引というものが適用される。1ヶ月前から予約をしないといけないがこれを利用しない手はない。ということで6月中旬から航空券を先に取り、それから計画を立てるという形で今年の旅行が動き出した。航空券の行き先は7月25日08:40発、岩手県・花巻空港10:00着の片道のみ。あとはひたすら青春18きっぷでの行動となる。

 まずは大阪から空港バスにて伊丹空港へ。日曜日ということで渋滞もなく大阪駅から20分弱で伊丹到着。空港の待合室などでは家族連れが非常に多い。俺はまだ数えるほどしか飛行機に乗っていない。国内線は初めてだ。天気もよく予定通りに08:40出発。約1時間ほどかけて750kmほど離れた花巻に近づく。外を見るとやはり山が多い。花巻空港は非常にこぢんまりとしていて、伊丹空港とはエライ違いだ。そしてなかなかに暑い。東北とはいっても夏は暑いのだな。

 10:00空港着。ここから花巻駅に向かうつもりだったのだが、飛行機から降りるのに少々手間取ってしまい、10:10発のバスを逃してしまったようだ。同じ場所に止まっていた盛岡行きのバスの運転手に尋ねると「さっき出発したところだ」ということを、ものすごい方言で言われてしまった。改めて東北に来たことを運転手の喋りで感じた。とりあえずタクシーを捕まえて、ここから最寄の花巻空港駅に向かうことにする、980円。さすがに歩きでは遠いのでタクシーを使ったのだが、ものの5分で到着。やはり車は速い(当然だ)。しかしこの花巻空港駅、なんてことはない普通の駅だ。空港から2kmほど離れていて「空港駅」という名前は名ばかりじゃないだろうか?

 1日目の検札印を押してもらい、行動開始。まず一発目の電車は…ロングシート車だ。以前からJR東日本はロングシート車が多いと聞いていたが、先が思いやられるな。昨日までの仕事の疲れをこの電車で仮眠して和らげる。そして一ノ関より2つ手前の平泉にて下車。ここでいろんな人から「そっち方面行くなら中尊寺は行っておけ、金色堂は見ないとイカン」と言われ、行かなきゃ失礼かもしれないと思うほどにまでなった。しかし歩きでは少し遠いようなので駅前でレンタサイクルを借りて行くことにした。約10分程度で中尊寺に着くと、日曜日ということもあってかかなりの人出。とりあえず金色堂まで足を運び、入場料を払わずに引き返し。木陰でボーッとしながら駐輪場へ。炎天下、少し自転車を外に置いただけでサドルが熱くなってしまってタイヘンだ。

 その後は北上川沿いを走ろうと思い、そこまで行ったのだが川と堤防の距離がかなりあって、川べりでゆっくりしようと思ったもののそれほどは楽しめなかった。

 13時前に駅へ戻り次の電車を待つ。次に乗るのは臨時列車「こがね」。快速の割にはすこぶる座席が良いという噂を聞きつけ乗り込むことにした。いや、むしろこの「こがね」がなければ平泉で降りようなんて考えなかったかもしれない。自由席に乗車、平泉から乗る人はほとんどおらず。一ノ関では鉄オタ風の男が数人乗車(だから人のこと言えないって)。一ノ関から気仙沼までは3つほどの駅でしか止まらず、座席のピッチも広いのでゆっくり寝てしまった。

 そして気仙沼到着。ここから同じ列車で進行方向を変える。ここで多くの人が乗り込んできた。自由席が9割埋まった。臨時列車のため、知らずに乗った人も結構いるようだ。途中の志津川へ到着すると、中年の登山客が多数乗り込んできた。10数人が席からあぶれたようだけど、俺は次の駅(15分ほどかかるが)で乗り換えるのでそのまま着席。冷たかっただろうか?前谷地に到着。ここでの2分乗り換えもうまくいった。「こがね」に乗っていればそのまま18時前には着けるけど、せっかくだから松島海岸あたりは通ってみたかったのでね。

 石巻には16:59到着。仙石線は17:02発、快速にかろうじて間に合った。仙石線は、石巻から仙台まで約1時間圏内ということでかなり住宅も増えてくる、ゆえに列車の座席もロングシート。座席の右端に座っていると、右手あたりから何か小さいものがスーッと下りてくるのが見えた。何かと思ったら「クモ」。丁度俺の反対側の左隣に座っていた女性は既にクモに気付いていたようで「追っ払って!!」としきりに言われた。駅に到着するところだったので紙でクモをすくい取って外に投げ捨てた。俺も別に虫は好きというわけではないけど、一匹いただけで「ギャー」っていう人の気持ちはよくわからん。無数にいたのなら話は別だけど。

 仙台へは18時過ぎに到着。とりあえず素泊まりで安いビジネスホテル(\5,250)を手配して今日のところは終了。夕食は近くの回転寿司、明日の朝食をコンビニで買う。仕事の疲れもあるし今日は早寝だ。


2004年07月26日(月) 2004夏 青春18きっぷ旅行記 2日目

  仙台08:15───11:06いわき11:13───11:35泉 (泉駅よりレンタカー利用)

 ずいぶん早く目が覚めた。時計を見るとまだ05:30。通勤する時に起きる時間じゃねえかよ…体に染み付いてしまっているのだろうか。二度寝して06:50起床。昨日のうちに買っておいた朝食を頬張ってホテルをチェックアウト、徒歩で仙台駅へ向かう。みんなとの流れとは逆に動いているのが心地よい。

 仙台はやはり東北地方最大の都市だというだけのことはある。駅で入線待ちをしていると満員電車(6両)がホームに到着し、乗客が一気にホームにあふれた。利府〜仙台の間で満員になるってのは結構な利用人数だと思う。

 仙台発(利府始発)・いわき行きの列車は立ち客のいない状態で出発。通勤とは逆方向なので当然ではある。ロングシートのはす向かいに座っていたおばあちゃん2人に声をかけると同じように18きっぷを使っていわきまで行くとのこと。ただ、目的が「親族が亡くなった為」ということで少し恐縮してしまう。話をしているうちに、余ったおにぎりを一つ、アメを幾つか頂戴した。それにしてもおばあちゃんは何故ああいう飴類(コーヒー飴・黒飴・金色のとがったヤツ等)を必ずといっていいほど持っているのだろうか。不思議だ。

 半分寝てる状態でいわき到着。昔は「平」という駅名だったのだけど、いつのまにか「いわき」という名前に変わっている。ここで上野行きに乗り換える。これにずっと乗っていれば東京まで一気に行くことが出来るけれど、今回は東京中心部へは行かない。いわきから3駅南にある「泉」駅で降りる。なぜここなのか?小さい頃、幼稚園〜小学校低学年まで生活をしていたからである。実に17年ぶりの訪問だ。

 まずは駅前でレンタカーを借りて、ナビも使わず適当に乗り回し。小学2年生程度の記憶を頼りに走っていると全然知らない所へ出た。小学生のときの記憶では、駅から一回だけ曲がって広い道をずーっと走り続けていれば住宅地が見えてくるはずだったのだが、全く違うところに来た。原因は、「ずーっと走り続ける広い道」を俺は国道だと思っていたからだ。後でわかったんだけどその小学生の頃の記憶がただの対向車線だけある県道だと気付いた時には、自分の当時の体の小ささを感じずにはいられなかった。そしてナビの力を借りて、ようやく見覚えのある場所へ来ることが出来た。

 2年間だけ過ごした小学校へ。当然のことながら建物は以前のまま。校舎の中へ入って職員の人に「以前通ってた者なんですが中を見せてもらえませんか」と尋ねると少し待ってくれと言われ、なんと校長室へ招かれた。校長に「最近は何かと物騒だから…」という内容のことをいくつか言われ、身分証明をさせられた。とりあえず免許証を見せようと思ったが、免許証がない。「??」とりあえず名前だけメモに記しておいた。

 それにしても、身分証明ですか…まあ仕方あるまい。『夏休みの校舎に突如20代の男が侵入、教室内を荒らし逃走』などという記事が出来ないともいえないし。首から吊るす許可証をもらい、とりあえず校舎を見て回る。さすがに俺も小学1年・2年程度の記憶じゃ大したことは覚えていないな。下足場を見て当時の雰囲気を思い出した程度だった。話によると、当時やっていた校外を行くロードレース(ミニマラソン)は交通事情から中止になってしまったみたい。個人的な話になるのだが、俺は1年2年とロードレースにおいて2年連続で学年2位をとっていた。1位を取ったのはこれまた2年連続でN君。忘れもしない。2年生の時にも同じように負けて、「次こそは勝つんだ」って思っていたのに転校が決まったときはちょっと悲しかったな。小学3年で大阪に戻ってきたけど、その時のマラソン大会は順位ではなく30秒単位でランク分けをする制度で、競争心を煽られなかった(人数が多いから皆いっぺんに走るとエライことになる)。それでもどうしても1位を取ることは出来なかったなあ。F君に絶対勝てなくって…そんな小学生の時の思い出に浸りながら、小さな机などを見て回った。

 そして次は2年半住んでいた社宅へ行こうと思ったのだが、さっき免許証が見当たらなかったので改めて財布の中を見てみるがやはり免許証がない。無くした場所は…間違いない、駅前のレンタカー屋だ。とりあえず電話をかけると、やはりコピーする際に預かってそのままだったようだ。で、まだ近場だったので免許証を持ってきてもらった。今まで知らぬ間に無免許運転だったのだ!危ない危ない。

 免許証をちゃんと返してもらい、改めて移動開始。通学路を車で通ったんだけど、これが距離の短いのなんの。当時「大きいなー」と思ってたスーパーマーケットがびっくりするほどこぢんまりとしてたのが一番の驚きだった。そして社宅周辺へ。ここは何も変わってはいなかった。変わっていたのは住んでいる人たちだけ、という感じ。建物はそのまま、当時遊びに使ってた土管も、公園のブランコ・空き地の様子などなど、本当に当時のまま。砂利道も全く舗装されたりすることなく、時間が完全に止まってしまっているかのようだった。しばらくあてもなく歩き回っていた。

 次に小名浜の名所、三崎公園へ。ここは広い芝生公園があって海沿いの小高い丘にあるんだけど、俺はそこでひざこぞうがパックリ割れるケガをしてしまい、大泣きした覚えがある。ここもかなり懐かしかった。

 思い出の地を一通り巡った後は、いわきをドライブ。海沿い、山間、けっこうブッ飛ばした。それにしてもいわきは広い!伊達に全国クラスの面積を誇る市だけはある(以前までは市の広さ日本一だったのだが、静岡市の合併により日本二になったようだ)。ちょっとやそっとじゃ違う市になりそうもない。どうも、大阪府と同じくらいの面積なんだそうな?そりゃ市が変わったりしないわ。

 夜は太平洋健康センターという健康ランドで1泊。太平洋を間近に臨んだ風呂があり、たいへん気持ちいい。運転しすぎで非常に疲れた。平日ということもあり人はそれほど多くない。ゆっくりと風呂を浴び、仮眠室にて早めに寝る。


2004年07月27日(火) 2004夏 青春18きっぷ旅行記 3日目

08:00レンタカー返却
  いわき08:43───10:18郡山11:10───12:25会津若松13:08─
──17:50小出18:05───18:19越後川口18:25───18:51十日町

 仮眠室で寝ていると、夜中の3時にものすごい音で目が覚めた。2列ほど後ろで寝ていたデブ男(ほんとデブだった)のいびきである。ビブラート(?)もかかっていて、最悪だ。仕方がないのでロッカーからポータブルMDをつけて再び寝る。次に目が覚めた時は6時を回っていたがそのデブはすでに移動してしまっていた。

 朝風呂を浴びて出発。やはり海沿いの朝はとても涼しい。ラジオを聞くと現在23度・最高でも27度らしい、そりゃ快適だ。しかし車を走らせていると、窓を閉めきった車が非常に多い。これだけ涼しいのに冷房をかけるなんて勿体無いと思うのは、普段から35度くらいの環境で過ごす大阪人(しかもケチ)の性だろうか。涼しい環境で過ごせるというのは、やっぱりうらやましい。

 いわき駅前でレンタカーを返却し、列車の旅を再開する。次の目的地は只見線で、まずは磐越東線・西線を経て会津若松まで向かうことにする。いわきを8:43出発。2両編成で乗客は1両あたり40人程度といったところか。比較的のどかな所を通っていくが、いつの間にか眠ってしまう。郡山に近付くにつれて、どんどん乗客が増えてくる。最終的には2両編成の列車にすし詰め状態に。このあたりの路線はまだ需要が大いにあるようだ。

 郡山では約1時間の連絡待ち。駅の外に出てみると意外と駅前は広く取られていて栄えている印象だ。昔の郡山ってこんなだったっけ…?会津若松行きの電車は出発30分前には到着しているようなので早めに座席確保。北側の座席に陣取ると、直射日光が車内に入らず心地よく過ごせるのだ。出発10分前になると、家族連れやスーツを着たサラリーマンが多数乗り込んでくる。ちょっと意外な光景だと思ったが、よく考えたら郡山は今は新幹線が止まるターミナル駅になっていることをすっかり忘れていた。時刻表を引っ張り出して調べてみたら、東京から郡山までは約1時間半で行けるらしい。おそらくスーツ姿の彼らは日帰り出張か何かだろうか。

 会津若松行きの電車が発車する頃、近くで座っていた家族連れの声が聞こえてきた。どうも猪苗代へ向かうようだ。俺はこのあたりの観光名所の情報にまるで疎い。実際猪苗代周辺になると乗客の約1/3が降りていった。猪苗代…って日本一深い湖だっけか?(あとで調べたらそれは田沢湖でした)

 半分くらいの人は郡山から会津若松まで乗りっぱなし。そして12:25到着。30分ほど時間があるので駅周辺を軽く歩き、次の只見線のための昼飯(駅弁)を購入する。なんか今年の大河ドラマ「新選組!」をモチーフにした弁当のようだ。さあ本日のメイン、只見線に突入だ。地元の学生が結構乗り込んでいる。この列車・・・冷房がない!とりあえず扇風機の電源をオンにし、窓を全開にする。トンネルの中でもおかまいなしだ。音ははてしなくうるさいが、普段は静かな電車に乗っているので、やはりこれは新鮮。雑誌なんかで取り上げられるだけのことはある。只見線は全国でも屈指のローカル線だと言われていて、2両編成だが駅によっては前1両しかホームに入れない、日中、会津若松から小出までの直通は3往復だが、そのうち2つは早朝発と夜発なのでまともに行けるのは昼発の1本のみというスゴイ所、田舎の雰囲気は満点だ。途中何度か3〜4分待ちのところがあり、そのたびに外へ出てみるが、何もない。自動販売機がひっそりと置いてあって、あとは駐輪場がある程度だ。この路線は風景の移り変わりが著しいので、非常に写真の撮り甲斐がある。寝てるヒマなんてない、4時間半もの時間があるのに、だ。

 大体60km以内で駅間を走るのでのんびりしている。会津川口駅で小出発・会津若松行きの対向車とすれ違う。向こう側も俺のような(大きいバッグを持っている)感じの客が乗っていた。俺はクロスシートということで2両編成の後ろの車両に陣取っていたのだが、前のロングシート車両がかなり空いているようだったので移動する。親子連れがいるので声をかけてみる。父と子で電車の旅をしているようで(18きっぷではない)、子供のほうは小学2年生とのこと。どうやら夏休みの自由研究で「只見線のトンネルの数を数える」らしい。非常に電車が好きなようで、俺が時刻表を出して時間を調べているとその子が表紙をみて「あ!これスーパーあずさだ!」と即答。車体を見ただけで名前がわかるそうだ。小学2年生にして鉄道マニアの要素十分である(笑)。乗車中は常に楽しんでいる様子だったので、見ているこっちも楽しかった。彼らは福島寄りの新潟に住んでいるそうだが、まだこの只見線には乗ったことがなかったらしい。地元の近い人でも乗らないんだもんな、そりゃ経営も厳しいはずだわ。

 小出到着まであと30分といったところで対向車が遅れているという情報が入ってくる。連絡待ちのためこちらも7分遅れ。…まずいな。次は小出で9分の乗り継ぎなのに間に合うのか?遅れは巻き返すことなく17:50に小出到着。乗り換えに急ぐがその電車はない。乗り遅れた?そんなはずはない、まだ出発時間になっていない。駅員に聞くと六日町にて踏切事故があったらしい。只見線の反対方向が遅れたのもその影響だとか。上越線の電車は10分ほど遅れて出発。越後川口から飯山線に乗り換え。先日起きた新潟の大雨の被害はこの辺りは関係なかったみたいだ。

 ここからは翌日の出発時間を考えて十日町にて宿泊することにする。平日だから大丈夫だろうと思い、特に予約はしていなかったのだが、駅前の観光案内所は18時で閉まっていた。仕方ないので電話番号を調べて電話で確認をとると「宿泊OK」との返事なので、駅近くの民宿へ向かう。とりあえず明日の食料なりを確保しようと思っていたが、宿の人によるとコンビニよりも夜10時まで営業のスーパーのほうが近いとの話なので、今日中に買い出しに行く。おなかは特にすいていないので晩飯はなし。宿に戻ってからは特にすることもないので本を読みつつ、眠くなったので就寝。明日は6:30起床予定だ。


2004年07月28日(水) 2004夏 青春18きっぷ旅行記 4日目

  十日町08:39───09:58戸狩野沢温泉10:02───11:06長野11:13─
──12:13小諸12:57───13:49高岩14:45───15:59小淵沢16:18─
──17:29松本18:26───19:06奈良井

 今日は北信州に突入の巻。予定通りに目が覚めて宿の朝食をとる。以前学生の頃にやってた旅は、とりあえず宿代と食事代をひたすらケチっていたために最終日あたりではクタクタになってしまった、という苦い過去がある。今年は社会人にもなって多少お金も余裕があるので宿と食事くらいはしっかりしようと思って朝食付きで宿を取ったのだ。で、宿の朝食は「これぞ日本人の朝食ぞ!」と思う食材が並ぶ。魚・山菜・おひたし・目玉焼き・味噌汁・味付海苔などなど。アン○ンマンではないが元気百倍である。

 宿を8時過ぎに出発し、十日町駅へ。一両編成の車両だ。やはり一両という所はそれなりの人数しか乗ってこない。俺が座っていた横の席に小さい子を連れた父子が乗ってきた。窓の外から母と思われる女性が「いってらっしゃーい」という感じで手を振っているのに、その父子は全く気付く様子がないので教えてあげた。話を聞くと、この親子は地元十日町の人のようで、2歳の子を連れて電車に乗るのは初めてとのこと。その2歳の子は機関車トーマスやらが好きらしいが、それ以上に列車の模型が好きなんだそうな。『サンダーバード』のフォルムが大好きらしく、見たいとゴネているとのこと。そういう話をしていると、その子が横から模型を取り出して「ばーばーど、ばーばーど!」と『サンダーバード』とでも言いたいのか何度も言っている。その姿が非常に滑稽で面白かった。

 ひとまず列車は出発し、山間をひた走る。途中の森宮野原駅で大半の人が下車。さっきの親子もこの駅で降りていった。ここは冬の積雪がハンパでないらしい。積雪最高記録があるらしく、その碑まで建っていて比較的有名なようだ。その後もひたすらのどかな山並みを見ながら進んでゆく。昨日乗った只見線と異なるところは「窓が開けられない」こと。風景はかなりいい、上位に入る。只見線の「冷房がない」ことと比較するとどちらがいいのか、って考えたら「やっぱり冷房なんてなくてもなんとかなる」って思えてしまう。こういうのどかな雰囲気がそう思わせてくれるんだろうか。仕事してスーツ着てたら冷房のない世界なんて考えられない。

 戸狩野沢温泉駅で乗り換え、一気に長野へ。さあここで進路選択。小諸まで出て標高の高い場所を走る小海線を経由か。もしくは松本まで飛ばして大糸線へ行くか。大糸線の雰囲気もかなり捨てがたい所はあるのだが、今回は山の雰囲気に魅了されている自分がいるので小諸を経由することにする。個人的に第三セクター運営の『しなの鉄道』っていうのがちょっと気になるし。来年以降も列車の旅を続けると考えると、経路のダブリも考えて大糸線のほうがよかったかもしれない。

 そんなわけで長野駅で軽井沢行きの電車へ。ここから軽井沢へ行くのか…初めて知った。今は新幹線を使うのが主流らしいが。三セク路線なので青春18きっぷは残念ながら使えない。篠ノ井〜小諸間の830円を車掌(女性でした)に支払う。どうでもいい話だが、途中の停車駅『上田』が『梅田』に聞こえてしまった俺はどうあがいても大阪人。ボケツッコミがド下手だけど大阪人。大阪弁がヘンでもやっぱり俺は大阪人である。

 小諸へ到着、ここで昼食をとる。駅前にはやたらそば屋があるように思えた。そばが名物なのだろうか?そばはそれほど好きではないが(やっぱうどんだろ!)、とりあえず近くの店に入りざるそばをたいらげた。小諸のことについてはよく知らないが、かなり寂れた雰囲気は否めない。新幹線に客を取られてしまったのだろう。ここらへんは各自治体の「新幹線誘致」ってヤツが絡んでるんだろうな。あとで調べたんだけど長野新幹線の『安中榛名駅』(あんなかはるなえき←MS-IMEでも一発変換)っていうのは本当に何もない駅らしいので検索して見てもらいたい。

 ここから小淵沢へ向かうが、13時前に出る列車は途中の小海止まり。なので、恒例の意味のない途中下車を試みる。これは出来れば比較的標高の高い小海〜小淵沢間でやったら面白そうだと思ったが、物理的に無理だから仕方ない。で、その途中下車する駅をなかなか決められずにいた。大勢降りる駅は避けたいし、対向車待ち出来る駅じゃちょっと味気ないし…という感じで幾つか通り過ぎ、結局「高岩」という無人駅で降りることにした。標高はおよそ800m。うーむ、高岩というほど高くないぞ(つまらない)。

 高岩駅を降りた瞬間の雰囲気は、まずまず。国道はちょっと離れたところを走っているし、すぐそばの道路は車一台通れる程度の幅だけ。小さい企業の工場があっていい味出してる。山側に目をやると登っていく道が見えたので、ボストンバッグを道端に隠して、いざ山へ。登っていくと、いかにも漫画に出てきそうな夏の景色がそこにあった。さすがに水浴びしたり麦わら帽子に虫カゴを持つ子供はいなかったけど、相当にいい感じだ。見上げると羽を広げた大きな鳥(ワシ?タカ?ちょっとわからず)が飛んでいった。電車の待ち時間は1時間弱なので、25分ほど歩いて元いた場所へ戻る。プラットホームに腰をおろし、足をぶらーんとさせてボーッとしてるだけで気分がよかった。

 やってきた列車に乗ると、さらに高度を上げて日本で最も高い所にある駅「野辺山駅」に到着。ここと次の「清里駅」で大勢のハイキング客が乗り込んできた。ほとんどの人は小淵沢まで乗り、そこから東京方面の特急へと乗り込んで行った。ここから松本行きに乗る人はそれほどいない(特急じゃなくて普通だし)。南アルプスは首都圏からでも割と近いんだな。

 小淵沢から一路松本へ。ここからは宿の問題が残っている。考えられる形は、あらかじめ調べておいた木曽路の「奈良井」「木曽福島」「南木曽」あたりの宿に電話して空きを確認する(平日だし満室ってことはまず考えられないけど)。松本で可能ならそこで手配してもらう。もしくは松本でカプセルホテルへ。いずれの方法にしても明日乗る電車は同じなのでとても迷う、さあどうする。

 「まつもとー、まつもとー、まつもとです。」もはや恒例となっている松本駅での気の抜ける到着時の音声。あれはどうにかならんのか。もう何度来ているかわからない松本駅に到着して近くの観光案内所へ行くと、「松本市内しか紹介していない」らしい。仕方ないので目星をつけておいた民宿に電話して予約することに。とりあえずは奈良井宿で手配が取れたのでそこへ移動。しかし…中央線の列車の接続はなぜこんなにもひどいのか?中央線は塩尻でJR東海とJR東日本に管轄が分かれるのだけど、今回のように小淵沢(JR東日本側)から中津川(JR東海側)へ行こうと思えば、当たり前のように1時間半待ちである。これはいかんだろう?いくらなんでも。

 松本で1時間ほど待ったあと、今日の宿泊地である奈良井へ。木曽路周辺の宿はあらかじめ各地の商工会議所や観光協会の情報をインターネットで集めておいたのだ。で、雰囲気がよさそうなここを選んだというわけ。まあ別に松本でカプセル(ビジネス)ホテルっていう手もあったし、途中に駅近くの健康ランドもあったけどね。今回は宿代はケチらないという考えがあったし。駅に着いたころには外はもう薄暗くなっていて、寄り道もせずに民宿へ。さっき電話して予約したところだというのに、おばあちゃんがあたたかく出迎えてくれた。部屋には久々に見た100円を入れる方式のテレビ。でも最近のテレビは全然面白くないので払う気にもならず。


2004年07月29日(木) 2004夏 青春18きっぷ旅行記 5日目(最終日)

  奈良井08:31───10:00中津川10:16───10:41瑞浪10:50─
──11:41名古屋12:08───13:16亀山13:44───15:00加茂15:06─
──15:11木津(以下略)

 いよいよ最終日、朝は6時半に起床、やっぱり畳は良い。ぐっすり眠ることができた。朝は先日の民宿と同じく味噌汁や味付海苔がついた純和食である。量はたくさんあるのにやっぱりもりもり食べられる。時間の余裕があるのはすばらしいことだ。通勤前の朝食なんてホント喉を通らなくて、ひどい時には牛乳を飲むだけだったりするのに。仕事をしてるとリラックスできないってことなのかな。

 電車の旅出発の前に少し時間を作って、奈良井宿の散策に出る。ここは1978年に古い町並みを残すように決めたらしく、住みながらも原型を残すべく日々がんばっているようだ。これは大変なんだろうと思う。湧き水もあるし、ごくごく飲んでしまった。すぐそばには国道19号線が走っていて、道の駅も設けられている。そこで観光収入の一部を得ているの(かもしれない)だろう。古いものを残すには金がかかる。最近の旅行は安上がりで済ませようとする人がとても多い(俺含む)けど、それを続けていると「本当に良いモノ」は残らなくなってしまうんじゃないだろうか?と18きっぷ使いがそんなコトを考えてみた。18きっぷは安さも確かにあるけど「自由度の高さ」が好きなんだな。なくなったらなくなったで別の手段を考えるさ。

 あとは大阪に戻るのみだ。明日からはまた仕事だなーァ、はあ。現実に戻るのはもう少し先にしよう。宿の人にあいさつをして、8:31に奈良井出発。中央本線でワンマンカーっていうのはすこぶる意外だ。2両編成で1両目の後ろ側扉から乗るという例のアレだ。中央本線でも、このあたりは最も利用者が少ない区間なのだろう。4人座りの席の向かいに来たおばあちゃんは、靴を脱ぎ正座になった。聞くと、そうしたほうが楽なんだって。あまり人の動きがないまま中津川駅着。

 次の列車に乗り換えるのだが、セントラルライナーとかいうヤツらしい(中央線だけに)。車内放送を聞くと、この列車はなんと乗車整理券で310円を取るというシロモノらしい。車内を見てみても新快速とイメージはあまり変わらない。リクライニングシートでもないし、310円払う価値があるのか?いや310円が惜しいワケではなく価値があるのかという意味であり。時刻表を見ると、名古屋へ早く着いたところで先の関西本線で亀山行きの列車はない。四日市止まりの列車はあるけれど、途中下車のメリットはあまりないように感じられた。ということでセントラルライナーで無料区間の瑞浪まで進み、そこから始発の普通列車で行くことにする。それでも20分遅れる程度だ。瑞浪発の普通電車は予想通りロングシート車。都市に向かう列車の場合、大抵はうたた寝状態に入るのだが、昨日ぐっすりと寝られたので目が冴えている。とりあえず外をながめてボーッとする。

 高蔵寺からはいよいよ都市部突入といった感じで人が増えてきた。名古屋に到着すると異様に暑い。次に乗る電車はまだ来ていないので駅の外へ出て旅行パンフレットを物色する。今年は山形旅行がデスティネーションキャンペーンつーことで注目されてるけど、俺は東北方面を行ったにも関わらず山形県には入ることすらなかったな。

 名駅発亀山行きの列車は2両編成ワンマンカー。乗車率はそれなりに高い。個人的にはこの区間はあまり見所が無いと思っているので本を読んで時間をつぶす。約1時間ほどで亀山に到着して、30分後に出る次の列車を待つのだが、駅員に聞くと折り返し運転で発車直前にしか列車は来ないらしい。恐らく1両編成の車両が来ると予想されるので、早いうちからホームに並んで到着を待つ。外でジッとしているのは暑いぞチクショウ。やってきた車両は予想通り1両編成。こういう状況を見ると、JR東海とJR西日本を意識の違いが出てるように感じられる。この路線は1両編成でまかなえる程度の需要なのだろうか?途中で立ち客が多く出てくるので、充分だとは思わないのだが。会社ごとの都合でもあるのだろうか。

 ここまで来ると、乗り合わせる学生の方言が関西になり、「ああ、帰ってきたんだな」と実感出来る。それにしても女子高生のスカートの短さは全国共通だなあ。それでも、田舎に行くにつれて短い人の比率が高かったように思う。お前はチアガールでも目指しとんのか?というような子の多いこと(ってお前は旅行中何を見てたんだとか言うな)。

 終点・加茂駅の手前、笠置駅に到着。ここまでくるといよいよこの旅も終了間際だ。それにしても、小さい頃は笠置に行ったことって大冒険だったように思ってたのにな。大人になると価値観が変わってしまうんだな、悲しい。「次は〜終点かもー、かもです。」あやふやなのに2回も言うなよ(笑)。


<終>


───
といった感じで今回の旅は終了です。正確にはこの続きが
あるにはありますが、ほぼ日常生活に戻っているので割愛します。

昨年は4日間、しかも1日目は夜行列車に乗るためだったので実質3日間。
今年は充実してましたなー。ただ、出会う人が少なかったかも。
「誰かに会いに行く」という目的はありませんでしたからね。

でも、なんか「青春18きっぷ旅行記」なのだろうか、と個人的には
ちょっと疑問を感じますね。追々98年・99年の旅行記もアップしようと
いう考えはあるんですけど、その文書データが行方不明で…ああ。


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