新学期である。 心を入れ替えようと思う。
○文庫版『男と点と線』(新潮文庫)3月1日発売 装丁 清川あさみさん 解説 中村文則さん 巻頭に世界地図のイラストを入れていただきました。 私は、手直しして、それから、文庫版あとがきを書きました。 あと、著者近影を描きました。 ブエノスアイレス、渋谷、パリ、クアラルンプール、ニューヨークが舞台の短編小説集です。 再読して思ったのは、やはり私は男女の友情が書きたいんだなあ、 ライフワークだなあ、ということでした。 特に「スカートのすそを踏んで歩く女」が、自分で言うのはおかしいですが、自分の真骨頂という気がしました。 あとは、表題作「男と点と線」も、自分としては、よく書けた気がします。「相手を好きだと思うことは、自分を低くすることなんだ」。 ただ、あれですよ。 あっさりした、平坦な小説です。 世界を舞台にしているからって、ドラマティックと思ったら大間違いです。 ○単行本『私の中の男の子』(講談社) 2月23日発売 装幀 Coa Graphicsさん フィガロジャポンで一年間連載した小説の単行本化です。 ごはんを食べるとはどういうことか。 ダイエットの話です。 著者近影を描きました。 ○文庫版『29歳』(新潮文庫) 日経ウーマンで連載したアンソロジーの文庫化です。 柴崎友香さん、中上紀さん、野中柊さん、宇佐美游さん、栗田有起さん、柳美里さん、宮木あや子さん。 私の短編は「私の人生は56億7000万年」というものです。 書店員の女性が主人公です。 私はこれ書いたときちょうど29歳目前でした。 ○webちくま「泥酔懺悔」 「ひとりでお酒を飲む理由」 エッセイ書きました。 いいのが書けた気がするんですが、いかがでしょうか。 ○「昼田とハッコウ」とうとう完結 「群像」(講談社)3月号で、最終回を迎えました。 全25回です。 「群像」で書けて嬉しかったです。本当にどうもありがとうございました。 今日、雪が降りましたね。 踏みました。
パーソナルコンピュータが、壊れる。 文藝賞のときいただいた副賞の金で買ったもので、 ゆうに6年は使っている。7年かもしれない。 寿命だろうか。 容量がいっぱいになったのかと思い、 メモリ増設をしたが、 電源を押すと、また意味不明な英語が出てきた。 オープニングシステムが見つかりません。 中の文章もすべて箱の中だ。 (メモリ増設は大変だった。 裏をドライバーで開けて。 ただ、その作業の最中に、 デジャヴの感覚が起きた。 もしかしたら、私はこの6年の間に、 増設したことがあるのかもしれない。 そうだとしたら、本当に意味のない作業だった)。 毎年書いているが、 この微炭酸ニッキは2000年の12月に始めたので、 もう11年書いた。来月から12年目に入る。 この間、母校で授業をしていたとき、 「私も、大学生のときは、イルミネーションをひと粒ひと粒潰したいと考えていました。そして、恋愛をしないままおばあさんになります」 と言った。私は、この日記に、そのことを書いた記憶があった。 しかし、今見返したところ、その記述が見つからない。 私の記憶は曖昧模糊としている。 今日は、年末感を味わうために、 オペラシティで第九を聴いてきた。 金がなくなった。 来年からどうしよう。 会社員と兼業できるか、模索した方が良いのか。 これは、携帯から書いている文章である。 携帯だけはいつも、どこにあるかわかる。 部屋の中で異様な存在感を示す。 私の脳の一部。 触ると痛い。 メールは書けない。 誰とも繋がらない。 だけどいつか開く。 何年後かに開いて、私をどこかへ連れていく。
お墓が夕日に当たるのを見る。 日光は墓石を撫でる。 毎日、何度も何度も撫でていく。
毎日苦しい。 ちっとも良いものが書けない。 もう皆に見捨てられたと思う。 今までは、「自信がない」と言ってはいけないと思っていた。 いろいろな人の手を借りて、仕事をするのだ。 本の表紙に名前を載せる自分が、「作品に自信がない」と言ってしまったら、 一緒に仕事をしている人たちはどう思うだろう、読む人はどう思うだろう。 本を作るからには「いい作品です。自信があります」と言わなくてはと思っていた。 いわれのないバッシングにも耐えられなかったが、顔に出してはいけないと思っていた。 ずっと地味な人生を歩んできて、本の作り手という裏側の仕事についたのに、 まるで表舞台にいるかのように、あることないこと言われることが苦しくて、泣いてばかりいた。 何か努力をしなければ、と思う。 この苦しさから逃れるために、 動かなくては。 ノイズに耳を傾けず、 作品に集中しなくては。 私の書くものは、 多くの人に読まれるものではない。 でもかまわない。 ひとりでも読者がいれば、書く。 たくさん読んで、 たくさん書くこと。 だまされてもいいから、 周りの人を信用すること。 文章を書くのは楽しいと思い出すこと。
光の粒をいつも、面白く受け取るけれど、それはどうしてなのだろう。 DNAが、太陽がなくては生きていられなかった頃のことを、思い出しているのだろうか。 目は光に対していつも、はっとする。 落ちてくる雨が街灯に当たったときだけ存在感を示すところ、 水道の銀色に映る蛍光灯が棒のようにのびるところ、 薄暗いバーで限りなく丸に近い多面的な氷が宝石のようになるところ、 じっと見ていると、 人生なんて幸せに作れなくてもいい、 という気がしてくる。 この世に生命として存在し、 80年程の歳月という贈り物を手にし、 せっかくもらったその時間をどう使うか考えて、 そうだな、幸せじゃなくても、人間関係が滅茶苦茶になっても、 光さえ見れればいい、と思う。 比喩の光ではなくて、本当の光のことだ。 この間、日食をを見たときに心が躍ったのだが、あれもそうなのだろう。 私は人間関係を築くために生まれたわけではない。 光を見るために生まれたのだ。
だいじょうぶになりました。
○『「ジューシー」ってなんですか?』(集英社文庫) 11月18日発売 (タイトルを変えただけなので、ご注意ください。 単行本と内容は一緒です。 文章を細かく直しました)。 解説は羽田圭介さんです、 職場小説、と銘打ちました。 契約社員と正社員と嘱託社員の、六人の二十代後半の男女が交わす、 詩のような会話でページが埋まっています。 読みごたえ、山場、一切ナシ! ひたすらポエティックに綴りました。 果たすべき仕事は、評価も金も関係なく、自分の中のやりがいそして正しさを追求したところにある。 社会の隅っこで生きる、あまりに純粋な広田くんの、小さな科白の集積をご堪能ください。
○文庫『長い終わりが始まる』(講談社)10月15日発売予定 文庫化です。 大学って怖い、そう思うかもしれません。 暗くてばかな、純文学っぽさを出そうとしたんですが、どうでしょうかね。 全体の流れを、音楽のような曲線ができるように構築したつもりなんですけれども、どうでしょうかね。 これはね、もう、死ぬ気で書いたんですよ。 装丁は、水戸部功さん。 ラインは、 指揮の軌跡です。 解説は、宇野常寛さんです。 サークルという小さな世界について書いてくださっています。 ○webちくま http://www.chikumashobo.co.jp/new_chikuma/ 「山崎ナオコーラ×穂村弘 『男友だちを作ろう』刊行記念対談」 がテキスト化されたものが掲載してあります。 高齢化社会、異性との友だち関係について、しごく真面目に話させていただきました。 穂村さんは、やはり面白いです。 ついでに、PR誌「ちくま」に書いた、入魂のエッセイ、 「震災以降、人々は横に繋がるようになった」が、こちらにありますので、 ぜひお読みいただきたいです。 http://www.chikumashobo.co.jp/blog/pr_chikuma/entry/639/ 『男友だちを作ろう』。 ○「アスタ」ポプラ社のフリーペーパー 10月6日発行 小説「秋分」 掲載 老いた女の物語。 意外に、よく書けた気がする。 ○「ふらんす」(白水社) 10月1日発売 エッセイ「シャンジュ・シュバリエ」 掲載 金子光晴のフランス旅行のこと。 これも、かなり書けたきがする。 ○『BIRD』(ブルースインターアクションズ) 9月9日発売 (『TRANSIT』の妹分の雑誌とのこと) エッセイ 「小鳥飼い」 掲載 子どもの頃に飼っていた、セキセイインコのことを書きました。 最近は、私は江國香織さんの本をむさぼり読んでいます。 『金米糖の降るところ』の読書がすごく楽しかったので、そのほかの著作も拝読しているところなのです。 あとの私の個人生活は、本を読んでいるとき以外は、地獄です。
◯『群像』10月号(講談社) 9月7日発売 連載小説「昼田とハッコウ」第20話 掲載 ◯『文學界』10月号(文藝春秋) 9月7日発売 エッセイ「小説を書くに当たって」掲載 このところは、武田百合子に夢中になって過ごしている。 こんな風に恋のようになるの、金子光晴以来かもしれん。 これまでの人生の中で一番幸せというような日々を過ごしているのにもかかわらず、 私はやはり、現実よりも、本が好きだ。
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