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2008年01月14日(月)
河瀬監督の言葉、そして殯の森

目に見えないもの 誰かの想いとか

光とか 風とか

亡くなった人の面影もそうだし

私たちは そういう風なものに

心の支えを見つけたときに

ちゃんと たったひとりでも立っていられる

そんな生き物だと思います


この言葉は、昨年、カンヌ映画祭で審査員特別大賞を受賞した、河瀬直美監督が、受賞式で語った言葉です。私は、当時その記者会見を見て、監督が語っていたこの言葉がずっと頭から離れなかった。(つい、メモしてしまった)強いしなやかな言葉だと感じた。誰しも、こころの支えを見つける。そのとき、初めて、強く生きられるような気がする。彼女のインタビューを、いくつかの番組や誌面で目にすることがあったが、彼女は、いのちというもの、命は連鎖していくということに対して、一貫した姿勢を貫いていた。いのちと死。そのテーマに対峙するために、映画を撮り続けるがごとく。

今夜、そのカンヌ国際映画祭・審査員特別大賞「グランプリ」を受賞した「殯の森」が放送された。私は初めてみたのだが、とてもとても、ひきこまれ、こころおだやかにさせられる映像だった。セリフが少なく、キャストも、一般の方が大半だったのもあって、ほぼ、ドキュメンタリー映画のようだった。だが、セリフが少ない分、監督が突き詰めた、奈良の森や、茶畑などの映像が、なによりも、言葉として語っていたように想う。認知症の男性と、息子を失い、こころを喪失していた若い女性介護士とのふれあい。森にさまよっていくうちに、悲しいものを抱えているお互いが心を開き、打ち溶け合っていく。認知症の男性は、33年前に失った妻を、ひたむきに想い続けている。その面影を探して、森へ・・・認知症というテーマ、死というテーマを、ただひたむきに突き詰めた映画。そして、見終わった後、考えさせられた。

奈良の森は、監督がストイックなまでに時間かけて探しつくして、選んだそうだ。その監督独自の映像の美しさ、緑、光、影・・・主人公の2人をやさしく包み込む・・・

この日記の最初の、監督の言葉が、きっとこの映画を物語っているのだろうな。きっと。(河瀬監督自身も、認知症のおばあちゃんといっしょに暮らし、介護している)














私の地元では、いつのまにかとんどという行事が行われなくなった。でも、やはりしめ縄など、きちんととんどで・・・ということで、きょう午後行われた、新球場建設地での大きなとんど祭りに出向いた。たくさんの人が来ていた。その中には、カープのブラウン監督や、松田オーナーも来られていた。とにかく、そのおおきな「とんど」には圧倒されました。さっそく、自宅から持ってきたしめ縄や御札を火の中に。そして、町内会の方が炊き出していたぜんざいをいただきました。ここで行われてきたとんど、今年が最後だそうです。そう、1年後には、ここに新球場が出来ているのだから。












カメラを持って、あたたかな日差しと雲ひとつない青空の中、太田川をゆっくり散歩してみた。ひさびさに、つり橋「こうへい橋」も渡った。春は目の前のような感覚に陥る。川の水面がキラキラしていて。河岸のランニングコースには、たくさんの人が思い思いにジョギング。若いお父さんと娘さんが、階段に腰掛けて、川をぼんやり眺めている・・・そんな休日の午後。ふと、ここに来たくなって、ひとり来ていたのです。



きょうも、ありがとうございました。
あしたも、きょうの天気のように、みなさんにとって、あたたかく、おだやかな、そんな1日になりますように祈っています

あすは、本のお話と、あと2つくらい文章を書いていきます。メトロポリタンカメラも更新しました。

きょうは、おまけの日記はありません。


2008年01月13日(日)
やさしさと、その先にある未来

やさしさと、その先にある未来

いままでの人生の中で、しんどいとき、生死の境目に立たされたとき、別れのとき、いろいろな分岐点がありました。

そんなとき、そばに、誰かがいてくれたおかげで、乗り越えることができた。その先にある未来へ、強い言葉とやさしさで、そっと導いてくれた。そのときの、その出逢いや言葉によって、僕の人生は大きく舵を切ったことが、なんどかある。その積み重ねが、いまの自分となっています。

過去のことをあれこれ考えても、答えの見つからないことならばどうにもならない。それもそうです。でもね、過去を忘れることは決していけないと想っている。過去の辛いこと、悲しいこと、失った人たちの想いがあるからこそ、しっかり未来を生きていかなくちゃって想う。人を大切に想わないといけないこと、やさしくないといけないことに気がつくと想うのです。

やさしさと、その先にある未来。
きっと、つながっていると思います



きょうは、またいろいろ語り合う時間。本当にいろいろなことを語り合った。本当に長い時間。そこで、僕も救われたし、自分という人間を、第3者からの視点から、見つめなおすことが、少し出来たような気がした。的確に、私という人間を言い当てる・・・そういう稀少な人がいるということも、改めて認識した気がする

午後(と、いっても14時過ぎ)、昼食で訪れた都心のとあるカフェ。のんびり食事をしていると、向こう側の席に、結婚式帰りの人たちが席に座った。よーく見ると・・・某民放局のアナウンサーさんと、とてもおなじみの在広のタレント・レポーターの方々!こうしていつもテレビで見慣れてる人たちが、ずらっとそろっていると、とても華があっていいなと思いました

きょうも、ありがとうございました
あしたは、私にとって、ある心に残る言葉について
すてきな本の紹介は、火曜日にしますね。
あすは、所用が終わって、時間出来たら、一人またカフェでまったり、そして本探しかな?天気よければ、カメラもって散歩するのもいいかも。

みなさんにとって、よいお休みになりますように
成人の日、20歳のよき思い出がのこる1日になりますように




2008年01月12日(土)
君は、僕の何をみてきたのか?

先日購入した、スローライフ雑誌「自休自足」
最新号は、「旅の途中のカフェ」本当にすばらしい、旅の途中の、田舎のカフェがたくさん、素敵な文章と写真とともに紹介されている。その中で・・・私の感性にぴったりはまったのが、おとなり岡山県井原市にある「三村珈琲店」昭和5年に建てられた、西洋風建築の古い郵便局だった建物に、若い夫婦が2人移り住んで始めた珈琲店。その佇まい、空気、ご夫婦のひたむきさ、純粋さ、レトロな世界は、読んでいて魅了されました。奥さまは、パディシエをされてたそうで、手作りのケーキがご自慢だそうだ。お二人の、カフェに対する想い、ゆったりとした生き方に、非常に興味を覚えました。ぜひぜひ、書店でお手にとって見てもらいたい!

「自休自足」公式サイト内の、三村珈琲店紹介ページ
http://www.yumeinaka.net/jikyu/20preview04.htm

三村珈琲店のホームページ
http://mimuracoffee.com/

ことし、機会作って、行って見たい。
ひとりのんびり過ごしてみたいと想わされた。本当に・・・

スローライフというものを、もっと意識した生き方が出来れば、幸せなのだが。夫婦も、家族も、自然体で。着飾らず、シンプルに。本質を見極め、おだやかな時間を好み、人を愛し、街を愛し、自然を愛し・・・生きることを見つめなおすと、いきつくものがある。スローライフという概念って、まさにそこに近いのかもしれない。この三村珈琲店のお二人も、そこに行き着いたのかもしれないですね。


<話すということ>
きょう、夕方前、三越前のタリーズで、親しい方と待ち合わせる。限られた時間だったが、お互いいろんな胸の中にあるものを、お話した。僕も、このときだけは、胸の中の一部を話し、少し楽になった。ささやかでも甘えさせてもらいました。もちろん、相手の愚痴も聞かせてもらって。人から元気つけられたことって、最近なかったなぁと感じた。反対の立場ばかりで。人を元気つけることばかり、人を想うばかりだったもの・・・いままで、本当に自分の心を割って、話すということが、まったくなかったんだなということに、改めて気がついた。いったいこの数年、私は本当になにをしていたのだろう・・・私が私でなかったのか?私を許してくれる人がいなかったのか?


<ソレイユへ>
もう7時過ぎになったが、どうしても手に入れたい本と食べ物があったので、ソレイユへ立ち寄った。アバンセ前の広場に、マツダ車がたくさん展示されていた。たくさんの人が乗ったり触ったり。マツダの車って、ほんと若々しくなりましたよね。カラフルで。こと、新型デミオのカラーバリエーションって、なかなかいいとおもう。マツダ車は、赤が似合う。RX−8から、デミオまで。それは、かつてのファミリアからの伝統のような気がした。土曜日の、まったりした夜のソレイユ、意外と好きな時間帯です。人々の幸せそうな姿をみているのもいいし。適度に人がたくさんいて、寂しくないし。ソレイユは、私の一番身近な珈琲をいただくスポット。だから、また珈琲を!と想ったが、きょうはやめておいた。


きょうも、ありがとうございました。
メトロポリタンカメラも更新しました
あしたも、みなさんにとって、笑顔の多い、すてきな日曜日となりますように、願っています。
あすも、3つの文章で日記を書いていきます。1つは、すてきな本の紹介でもしましょね。

さ、この後は、おまけの日記です。よかったらどうぞ↓

<私という私>

私は、自分という人間をよくわかっている。思い詰めるくらい、いつも考えて、本当に傷つきやすくて、一途すぎて、相手を想う余り、いいたいことを、胸に収めがちで、人をしっかりと本質を見すぎる・・・私は、本当に悪いところばかり。きっと、人はそんな私を見つけたときに、見切ってしまうのだろう。そして、私はひとり取り残される。私という人間は、常に慎重にブロックを積み重ねていく。しかし、思いもよらぬカタチで、その積み重ねたブロックのひとつを引き抜かれると、もろくもすべて崩れてしまう・・・だから、絶対引き抜くようなことをしない人と、深く付き合おうとする。でも、やはり引き抜かれ、もろくも崩れ去る。そしてまた長い時間をかけて、ひとつひとつ積み重ねていく・・・その作業が繰り返される。

きっと、人はそういう私を知らない。
私は、おおらかで、人を傷つけるようなことを決していわない、まじめで、笑顔で、いい人だと想っているのだろう。でも、実際は、違うのです。最初出逢ってから、人は勝手に創り上げた先入観があるのかもしれない。そこで判断されることは、本当に辛いのだ。そんなに私は完璧じゃないといけない?なぜ、私の本質、私のこころのおくに秘めている強いものを見ようとしない?なぜ、私を信じない?なぜ、裏側にあるものに気がつかない?なぜ、私の弱さを出すことを許してくれない?そう、叫びたいときがときどきある。私は、人のことをしっかり聞いて、きちんと待って、相手がどういうときでも、ずっと変わらないで、どんなこと言われても、信じている・・・と想うのは、自分勝手な言い分だ。自分だって、人のことをすべてわかるわけではないから。それを求めるのは、酷かもしれない。人と人が、本当に分かり合えるのは、難しい。(だから、信じ、待ち、許すことが必要なのだろう)

君は、私の何を見てきたのか?たくさんの人に、そう言いたい。
それは、やはり贅沢なのか?


私の悲しい
ただただ、せつない毎日は、
まだまだ続くみたいだ



とはいえ、あしたはやってくる。またもうひとつの、自分で。笑顔の元気な自分で・・・だって、人を悲しませたりしたくないもの。以上、愚痴ってみました。


2008年01月11日(金)
「切に生ききる」ということ

雨の1日。でも、笑顔は忘れずに・・・
みなさん、こんばんわ。コバルトです。きょうはどんな1日でしたか?いろんなことを想いながら、過ごしている私ですが、きょうのようなシトシトとやわらかい雨が降る日、都心の街は、とても好きなのです。喧騒を、上品な雨音が静かに消し去るから・・・私のせつない気持ちにはちょうどいいのです

きょうも3つの文章で書いていきます。メトロポリタンカメラも更新しました。みなさん、どうぞお付き合いください♪


<切に生きる>

「吾れ、常に、ここにおいて切なり」
先日の日記で、私の座右の銘のお話しましたが、この言葉は、作家・瀬戸内寂聴さんの座右の銘。切っても切れないもの=しているものになりきること・・・食べることも切、眠ることも切、愛することも切、学ぶことも切、今日生きることも切、すべて一瞬一瞬、切に生きなさい。そうすれば、やがてくる、死や、やがて来る別れに取り越し苦労する間がない。切に生き切れば、死に襲われても悔いがないのではないかということだそうです。ふーむ。私は博学ではないので、こうして本を読むことで、深く考える機会を与えられるのだが・・・切に生きることか、何ごとも。人生は長いようで短い。ならば、切に生きるべきなのかもしれない。悔いのないように。きのうの日記ではないが、大切なのは、「愛する」「生きる」ではなく、「愛しきる」「生ききる」ことなのかもしれませんね。みなさんは、どう考えますか?

私は、いつ死がくるかわからないのが人生だと思っています。だから、人に対しても、好きな人に対しても、真剣に想い、きちんと想いを言葉にして伝えなくちゃいけないと想ってる。ひたむきに愛さないととおもう。たとえ、別れてしまっても、自分がこの世からいなくなっても、その言葉、想いのひとつひとつが、やさしい想い出のひとつひとつが、ずっと人のこころの中に生きてくれれば、自分は悔いはないような気がするのです。愛してるなら、懸命に愛したいと想う。ひたむきに何かに傾けるのならば、ひたむきに

生きることって、案外大変で、難しいことでもある。悲しいことも、不条理なこともある。それでも生きなくちゃいけないから。いろんな現実を直視しなくちゃいけないし、そのためには、強さが必要だと思います。強くあるためには、「なにかを守るため」というものがあるかないかが、重要な気がします。生きる以上は、切に生きたいものです。私はまだまだ未熟者ですが、そうあるように、切に生きてきたつもりなのだが・・・難しいお話になったので、この辺で。



<その街の片隅で我何想う>
買い物をするので、帰りに基町クレドに立ち寄った。ひとつひとつ、品を選ぶ。バーゲンも、もう終わりに近いので、そういうものをあえて狙わず、いいものを買いました。ファッションに、妥協はしません(笑)パセーラの様子を写真に。新年の雰囲気がよーく伝わりますよね。買い物は、一人で行くことがほとんど。独身者だから、当たり前か(笑)ただ、ときどき、気分一新したいと想って、ガラっと姿をイメージチェンジすることがある。まさにいまがそうみたいだ。おかげで、財布が軽くなりました。

私のこれからの自分の方向性はきまっている。
あとは無心にやるのみです。


きょうもありがとうございました。
あしたも、みなさんにとって、やさしい時間が流れるように。こころから願っています。
あすも、もう少し早い時間に日記をUPできたら。3つの文章で書きます
では、この後はおまけの日記。よかったらお読みください↓

<斉藤さん>

水曜22時。日本テレビ系。たまたま見たら、これがとても痛快で面白かった。幼稚園の母親たちから嫌われている、同じ幼稚園の保護者である一人の母親が主人公。観月ありさが演じている。なぜ嫌われているかというと・・・曲がったことが大嫌いな母親だから。カフェで子供が駆け回っていると、子供と母親を厳しくしかりつける。街で、男の歩きタバコが、ミムラ演じる母親の息子の顔にぶつかったときには、その男を叱り飛ばし、喧嘩になって、男にケガさせられる、自転車マナーの悪い高校生も厳しくしかりつける・・・などなど。でも、正義感が強く、融通は利かない女性かもしれないけれど、社会的に間違っていないし、最後には、それは正しくて。奥に秘めたやさしさもちょっとだけ垣間見せて・・・というように彼女の魅力として描かれていく。ミムラさんは、唯一彼女を理解しだすけれど、他のお母さんたち(高島礼子や浜田マリら)からは、いつも嫌われ、煙たがられている。まぁ、そういうわかりやすいストーリー。ほら、昔は街に、ひとりくらい、他人の子供の悪さを、厳しく叱るおじさんっていたでしょ?藤子アニメに出てくる「神成さん」みたいな。あれを、いまの若い母親に当てはめた感じでしょう。こういう人って、案外ひとりくらいいたほうがいいかもしれない。(私も、曲がったことが大嫌いなので、似てるかも)



コバルト

広島在住
文筆とカメラとここちよい暮らしが好き
ホームページ⇒http://www.geocities.jp/cobaltblue21jp/

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