メール|
Twitter
カレンダーって、最近使わないなぁ・・・
仕事場にも、いろんな会社のカレンダーが集まってくるけれど、もらって帰ろうという人は少ない。
かく私も、部屋にここ3年はカレンダーを置いていない。
まぁ、見たかったら携帯もあるし、手帳もあるし、部屋には日付の出る電波時計もあるし。
ただ、インテリアの一部としてカレンダーを選ぶのは楽しいとも思う。ロフトや東急ハンズへ行くと、さまざまなカレンダーがあって楽しい。僕はロフトにあった、「ボーリング」「ビリヤード」「ダーツ」「野球」のゲーム型の大きなカレンダーに興味をそそられた。でもカレンダーとして使うというより、ただ遊びたいだけ(笑)
今年のカレンダーで、売れ行きがものすごく伸びているのがやはり「動物もの」です。ワンちゃんにゃネコちゃんの愛くるしい姿のカレンダーはここ数年、売れ行き好調。あっ、それと、脳トレ系も人気だとか。
最近は、お店の景品としてもカレンダーって少なくなっている
昔は、卓上・壁掛けとも、たくさん年末には家に集まっていたものだが。御用聞きの人や、銀行の人がわざわざ自宅に挨拶に訪れて、カレンダーを渡していた。最近はないですねー
僕がいつも行っている文具店では、いまだにカード型のカレンダーをレジにおいている。(裏面には、どこかの外国の景色と、お店の名前が入っている) なんだかほっとするものです。いつも手帳にはさんでいる。
ところで、子供のころ、時計のバンドにつけるカレンダーってありませんでした?アルミっぽい素材で、つめを折って、バンドにつけるカレンダー。いまもそういうの取り扱っているお店ってあるのかな?カレンダーが書いてあるペン立てとか、湯のみとか・・・もう絶滅かな?
メール|
Twitter

モノブログ、メトロポリタンカメラを更新しました。
1日遅れの七草粥です。
たしかに、ちょっぴり胃がもたれがち。やさしいお粥でいたわってあげました。とてもおいしい!!
「自由にやっていく」
生きていく中で、そういうファクターも、必要なのです。
ほぼ日手帳を世に出した糸井重里氏いわく
「この手帳は、とにかく自由になんでも書いてほしい。それが大切。いつも持ち歩いて手放さない。」と語っている。
この時期、手帳の書き方の本が書店にならぶのだけれど、あくまでそれは参考であって、そういうマニュアルに縛られて、手帳を使っていこうとすると、失敗することもある。
要は、1日1ページに、落書きでも、詩でも、お店の情報でも、なーんでも思いついたことを、すぐ書くこと。とにかく書くこと。書かないとはじまらない。別にスケジュールを書かなくちゃとか、考えなくていい。もちろん、写真や名刺やレシートや雑誌の切り抜きを貼ってもいい。
なんでも考えすぎて、こだわりすぎるものよくなくて。なんでもいいから書いて、使い倒すことが一番の手帳術だと、最近僕は思ったりする
マニュアルや型にはまって、物事を進めることも、最初は参考やお手本として必要ではある。でも、仕事にしてもそうだけれど、その過程の中から、自分なりのやりかた、カラーというのを見つけて確立していくことって、楽しいし、ずーっとなんでも長続きしていく秘訣のように思う。人に惑わされたり、右にならえではなくて。
自由に書いてみること。
自由に将来の夢を描いてみること
束縛されず、自由に感じたり、考えたり、伝えたりすること
無論、それは、一定のルールの上ではあるが。
メール|
Twitter


こんばんわ。3連休の中日、みなさん、ゆっくり過ごしていますか?
けさの雪にはびっくりでした。広島でも、街が白く変わっていました。さすがに雪だるま作ったり、雪合戦するほどではないけれどね。
私は、また仕事もはじまり、バタバタした毎日を送っています。でも、あらゆることを心機一転して、またいろんなことをスタートして、この1年に向き合っていこうと思っています。それにしても、お正月からの時間の進み方がはやいことはやいこと。それでも、時間は進んでいる。まだお正月気分の人もいるだろうし、ゆったりしている人もいる。でも、時間の進み方は容赦ないですねー
みなさんは、今年の目標ってなにか立てたりしてるのかな??
僕は、毎年同じことを目標にしている気がします。元日の手帳にそれを大きな字で書いて。だけど、おおげさなことじゃなくて、とりあえず、健康で、無事1年を生きてゆきたい・・・それがもっとも重要な目標かもしれないな
毎年、書いてる気がするけれど・・・
成人式は廃止すべき!って僕は思っています。そもそも行う意味がわからないし。いまの成人式って、税金をたくさんかけて、単に形式だけで行って、内容的にまったく無意味な気がするから。主催してる自治体に感謝してる人なんて少ないでしょうしね。
もしも、それでもやるのであれば、小中学校単位とか、地域ごとに、自分たちが企画して、公民館や母校の体育館で手作りで行えばいいのにって、思います。せめて、広島市ならば、区単位とか。少なくとも、無駄なお金かけずに、こころの通った式が出来るし、幼馴染とゆっくり過ごせるし、小さな式ならば、「荒れた成人式!」ってニュースも減ると思うけれどなぁ。首長や議員の祝辞なんてまったくいらない。それより、恩師の言葉のほうがずっと意味があると思うよ。最近、平成の大合併で、遠方から、市のホールまでわざわざ出向いて、(たとえば、県境の町から、沿岸部の市のホールまで行くなど)まったく知らない人いっぱいの中で出席するなんて気の毒な気がします。