清水の友人が、その人の地元の神輿会に私を誘ってくれて参加。久しぶりの快晴。最近、晴れた日がほとんどない中で、それだけでも気分がいい。
おみこしというと、昨年・今年と富士宮の御神火(ごじんか)祭りで、おみこしを担いだが、それは1つの大きな神輿に80人以上がすし詰め状態で担ぐもの。今日の神輿は、もっと小さい神輿だが15人前後で担ぐ。左右でお互いに押し合いながらなので、非常に体力を使うし、一人一人の役割が重要で気合が入る。11時から、適宜休憩を入れて3時ころまで、大声をあげながら地区を練り歩いた。秋晴れの空の下、本当に気持ちがいい。休憩のたびに飲むビールも最高(笑)。
お神輿の後は、打上げ。そして、さらに夜は、演芸会があり、地元の方々のカラオケを聞きながら、さらに飲む。昼から夜中まで、体を動かしていないときは、ひたすら飲んでいる、ある意味、とても幸せな一日だった。
誘ってくれた友人、そして、私を快く仲間に入れてくれた神輿会の方々に深く感謝します。
今日、しばらく前から読み進めていた「次郎長と明治維新」という本をようやく読了した。この本を読もうと思ったきっかけは、しばしば参加させて頂いている勉強会で著者の田口英爾氏(次郎長研究の第一人者。元長銀総研理事長の竹内宏氏とは小学校から高校まで同級生)が講演をなさるという案内をもらったこと。
そもそも、清水と言えば次郎長。次郎長の功績については漠然とは知ってはいたが、恥ずかしながら、まとまった知識は持っていなかった。清水みなと祭りでは次郎長道中にも参加して、ますます関心が高まっていたので、ちょうどいい機会と思い読み始めたものの、なかなか、まとめて本を読む時間が取れず、電車での移動中やちょっとした合間に読み進めてようやく読了した。
次郎長というと、私が生まれた昭和43年頃までは毎年4、5本の次郎長映画が作られていたそうだが、映画などで取り上げられているのは、次郎長がヤクザの親分だったころのいわゆる任侠話。それはそれでもちろん面白いのだが、次郎長が後世まで名を残したのは、明治維新の時代において、ヤクザの世界から足を洗った後、富士山の麓(富士・富士宮地域)の広大な地域を開墾したり、清水港の近代化に尽力したり、英語の私塾を開いたりと、様々な社会的貢献をしたこと。
明治時代の清水、そして次郎長の活躍に思いを馳せ、私も平成維新を担う一人として頑張りたいと、思いを新たにしました。
今の私の事務所の体制を紹介します。
春から田中幸太郎くん(もうすぐ25才。元女子プロレスのマネージャー。昨年の総選挙で1ヶ月ボランティアスタッフ)が秘書として一緒に活動してくれています。そして、板谷さん(50代男性)とみち子さん(女性)がボランティアで、週に何日か事務所の手伝いをして下さってます。(平日の朝から夕方まではいつでも事務所を開けている、という体制にはなっていませんが・・・)
さらに、夏から、2人目の秘書として久保田さんが登場!久保田さんは、清水生まれ、清水育ちの42才男性。本業は理髪店経営で、さらにNPOを立ち上げて老人福祉施設への訪問理髪も手がけているのですが、その合間をぬって、私と活動を共にしてくれています。地元出身の秘書を探していた私には願ったりかなったりの人。
最近は、幸太郎・久保田さんと手分けして、岡田代表の座談会のご案内をすべく支援者回りをしています。
夕方、友人に誘われて、笛の演奏会に行った。会場は鉄舟寺(廃寺同然となっていた久能寺を明治16年に山岡鉄舟が再興)。笛は、源義経が父の形見として大事に所持していたという400年以上前の横笛で「薄墨の笛」と呼ばれ、鉄舟寺で大事に保管されてきた。
400年以上前の笛が今でも吹奏できるというのは驚きである。清水・静岡の有志の方々により5年前に補修され蘇ったとのこと。それ以来、毎年、鉄舟寺で演奏会が行われている。今年も300名もの人が集まった(キャンセル待ちの人が100名近くいたらしい)。
横笛奏者の赤尾三千子さんが、他にもいくつかの横笛を用意して吹き比べをして下さった。私にとっては、横笛の演奏会は初めての体験だったが、演奏を利きながら、源義経が牛若丸と呼ばれていたころ横笛を吹いている姿を想像したり、歴史に思いを馳せる素晴らしい機会となった。
演奏会にご尽力なさっている方々にも深い敬意を表したい。
台風22号が伊豆に上陸した。年間で上陸した台風の数も記録更新の上、東日本で上陸した台風では過去最強の部類に入るという。
実は、私は、台風が上陸したまさにそのとき伊豆半島を車で走っていた。清水エスパルスのサポーターグループが旅行で伊東に行っていて、その宴会に合流しようとしたのだ。昼すぎに清水を発つ時点で、すでに熱海・伊東間の電車が止まっていたので、やむを得ず車で行くことにした。伊豆の韮山まで来たのは4時半。そのころ台風が伊豆半島上陸。豪雨・暴風の中、なんとか伊豆長岡まではたどり着いたものの、そこから伊東へのルート(5、6本あると思うが)がすべて、冠水か土砂崩れで通行止めとなってしまった。すべての道が大渋滞。渋滞が終ったと思ったら、その先は通行止めで引き返す、という繰り返し。消防団をはじめとする地元の人たちが総出で、一生懸命、交通整理などをしている姿に胸を打たれた。私は、伊東行きを断念。
私は無事に清水に戻って来れたからいいものの、ニュースでは大きな被害が報道されていた。
被害を受けた方々に、心よりお見舞い申し上げます。
民主党の岡田克也代表が、25日(月)に私のところへ来て下さることになった。昨年7月、岡田氏が党幹事長だったときも来て下さって(活動報告参照)、ミニ集会を開いた。私もまだまだ支援者が少なく、30名ほどの集会であったが、参加して下さった方々の多くは、岡田氏の実直・誠実な人柄に好印象を持って下さった。当時の岡田幹事長は、TVタックルに出ている河村たかし議員や原口一博議員よりも知名度が低いという印象だったが、今や、「次の総理にふさわしい人は」という世論調査で、安倍晋三・石原慎太郎の次に来るほどの人気。隔世の感がある。
一回りも二回りもスケールが大きくなった岡田代表が、座談会でどのような話をして下さるのか、私もとても楽しみだ。
忙しいスケジュールをぬっての来訪であるため、時間的制約もあり、街頭演説や大規模な演説会は開かず、午後の1時間ほど、私の事務所で座談会を開く予定。ご希望の方は事務所にご連絡下さい。
今日とうとうイチローが大記録を打ち立てた。年間259安打という大リーグ84年ぶりの新記録。私は夕方のニュースで見たが、本当に感動した。スポーツや文化・芸術は、いとも簡単に国境を越える。イチローは、アメリカ人の日本人に対するイメージを大きく変えただろう。韓国でも日本の音楽や映画が解禁されて、韓国の若い人の間で、日本に親近感を持つ人が増えているという。長い間「経済1流、政治3流」と言われててきた日本のつたない外交を補って余りある影響力を発揮している。
日本と他の国との関係だけではない。イチローの記録達成について若い日本人が「日本人として誇りに思う」と嬉しそうにインタビューに答えていた。サッカーやオリンピックでも、皆、必死になって日の丸の旗を振り、そして勝利や金メダルは、日本人が日本に対して誇りを持ついいきっかけになっている。かねて私は「日本人はここまで頑張って今の日本をつくってきた。もっと日本に、そして日本人であることに誇りや自信を持つべき」と思ってきた。今日のイチローも、大きく貢献していることは間違いない。
日本人が、日本に、そして日本人であることに、より一層、誇りや自信を持てるよう、政治も変わらなければならない。そのために田村も頑張ります。
今日、ホームページのアクセスカウンターが45000を超えた。45000というキリ番をゲットしたのは、中学3年の「たまけん」君。「たむけん・ず・バー」(勝手連BBS)の「ひとこと掲示板」でそのことを教えてくれた。
今の中学3年生は、5年後には20才。民主党は、マニフェストの中で、成人(選挙権も含めて)を18才にすると宣言しているので、18才まではわずか3年。日頃、朝の駅前での街頭活動でも出来るだけ中学生や高校生にもチラシを渡すようにしているが、これからも、そういう世代にも響く訴えができるよう頑張っていきたい。
小泉首相が内閣改造を行った。私は民間人女性のサプライズがあるかと予想していたがはずれてしまいました。打診したものの断られてしまったのかもしれません。
新閣僚の顔ぶれには、色々な切り口があると思いますが、例えば、大蔵省出身が3人(文部・公安・防衛)、通産省出身が3人(外務・官房長官・科技)で、官僚出身が17人中6人を占めています。私も「官僚出身なのに、なぜ自民党から出ないの」とよく言われますが、今50代60代の現職議員には、省庁である程度のところまで出世してから、自民党の大物のバックアップを受けて出馬、という定番コースで議員となった人が多いのです。そういう方々は、政策通ですが、官僚と対決することはせず、官僚と自民党政権の橋渡し役をやってきました。俗に「官僚支配政治」とも言われてきた体制に、一役も二役もかってきたのです。そういう意味でも「実務家」をそろえたのだと思いますが、「改革実現内閣」にはほど遠いと言わざるをえないでしょう。
また、官僚出身ではない11人のうち5人(総務・国交・行革・財務・経産)は2世か3世。そして小泉首相と、官僚出身の2世(外務)を合わせれば、18人中7人が2世か3世です。
小泉首相は「郵政民営化実現内閣」と銘打ち、次の首相を狙う平沼氏・古賀氏・高村氏らを「中2階」と揶揄して入閣させませんでした。郵政改革を軸に、派閥の領袖や中2階の人たちを「抵抗勢力」として、対決姿勢を鮮明にすることにより、支持率のアップを狙っているのだと思いますが、もはや多くの国民は、そのような自民党の内輪もめが茶番劇であることに気付いています。民主党は、党内は岡田代表のもとでしっかりと結束し、徹底的に政策論議で自民党と対決していきます。
自民党の新幹事長には、武部氏が就任しましたが、武部氏と言えば、農林水産大臣だったときにBSE対策等のいくつかの問題で、危機管理能力を問われて大臣ポストを去った人。新聞に「山崎拓氏のかいらい」と言われても仕方がないかもしれません。小泉首相が、山崎拓氏以外に、参謀役となる議員仲間がいないことが改めて露呈されたと言えるでしょう。古賀潤一郎議員が辞職して、来年春に福岡2区の補欠選挙が行われますが、民主党は、魅力ある候補を立てて、総力をあげて闘わねばなりません。
余談ですが、中山・文部科学大臣の奥様は、北朝鮮拉致問題対策の中山参与ですが、中山参与は数少ない大蔵省女性キャリアのOBで、省内カップルだったわけです。また、村上誠一郎・行革等担当大臣の妹が岡田克也代表の奥様であることは、私も初めて知りました。知り合いでもある岡田事務所の秘書に聞いてみたところ、岡田代表と村上大臣は大学の親しい同級生だったそうです。
今日の昼すぎから、小糸運輸(小糸製作所の運送部門子会社)の労働組合の定期大会に来賓として参加させて頂き、さらに夕方からの、労組役員の懇親会にも参加させて頂いた。大型トラックの運転手で、関東地方から九州まで運送するので20代30代の若者がほとんど。不規則・長時間連続の勤務体制のため、私と同じ年の書記長は「ようやく生まれた子供にも1週間に1度しか会えない」とぼやいている。その上、職員全員の待遇改善などに奮闘する労働組合の役員としての活動はいわばボランティア。休日をつぶして会議などの活動をしている。なかなか積極的に手をあげる職員は少なく、人選に苦労するそう。夜中まで、さまざまなお話を伺えて、非常に有意義な夜となった。
これからも、さまざまな労働組合の方々をはじめとする現場の方々との親密な意見交換をできるよう、積極的に色々なところにお邪魔させて頂きたいと思っています。