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細野豪志県連代表辞任と県連常任幹事会 2004年07月21日(水)

 今日の午前中は、民主党静岡県連の常任幹事会。牧野聖修議員と鈴木康友議員を除く、県内の全ての民主党国会議員・地方議員が集まった。
 参院選投票日翌日の記者会見において、細野豪志県連代表が2議席独占を目指しながら海野議員を落選させてしまったことの責任を取って辞任すると表明しており、そのことが焦点となった。「そもそも、記者会見よりこの常任幹事会で先に辞意を表明すべきだった」「そうは言っても、もう対外的に表明してしまった以上、それを覆すことは混乱を招く」「選挙の度に、代表が責任を取ってやめるということになったら、これからも代表が次々と入れ替わることになり好ましくない」「戦後処理もしっかりと行って、今後の県連の道筋をつけることこそが、代表の責任だ」などなど様々な意見が出たが、結局は、細野豪志議員・渡辺周議員に県議1人・市議1人を加えた4人の選考委員会が次期代表選出の調整に当たることとなった。
 私も、民主党の次々世代のホープである細野議員が短期間(1年あまり)で県連代表の座を降りることは大変残念だが、昨年4月に「自分自身の衆院選が大変な中、代表をお受けするのは正直気が進まないが、皆さまがおっしゃるなら」ということで代表に就任し、代表として積極的に職責を果たした細野議員本人が「衆院選、5月の県議補選、そして参院選と、十分にお役目は果たした」と言うのももっともかな、という気もする。
 ともかく、県連の一員として、次期代表がすんなり決まることを願うばかり。


【たむけんblog】 2004年07月16日(金)

 blog(ブログ)というものをご存知でしょうか?ネット先進国であるアメリカか韓国では、ホームページの進化形として数年前から広がりだし、昨年の韓国大統領選挙でも大いに威力を発揮したらしい。日本でも、昨年あたりから、急速に普及してきている。
 私は遅ればせながら今年の年初に存在を知り、さらに親友の藤末健三氏(参院選比例で当選)が政治活動開始直後からblogを使った日記を公開して、それを毎日見るようになってから、私自身もいずれは使ってみたいなぁ、と思うようになった。
 1か月ほど前に、選挙情報サイトとして有名な「Election」が、議員と候補者を対象としたblogサイト「ele-log(エレログ)」をオープンし、早速私も登録した。書き込む内容は基本的にはこの「たむけん日記」とあまり変わらないが、blogのいいところは、管理人(田村のblogでは田村自身)の書き込みに直接、他の方がコメントを書き込んだり、さらには、他の方のサイトに引用のためのリンクをすること(「トラックバック」といいます)ができること。
 blogを使っている人(bloggerという)同士のネットワークが相当広がっているようなので、これからの展開が楽しみ。
 私のblogは「たむけんblog」。この日記を読んで下さっている方々のblogと相互にトラックバックしあう、なんていう日が来れば、ますます楽しそうだ。


同志 2004年07月15日(木)

 昨晩遅く、大学時代からの親友が訪ねて来た。彼とは、私が政界への転身を決意した5年前頃から、お互いに「政治を変えねば」と意気投合していた。その後で小泉政権が誕生し、彼は小泉改革に期待したいと政界への転身を辞めたという経緯があるが、その彼が再び立ち上がる決意を固めてくれた。今日は、新人候補がどのような生活・活動をしているのか見学に来てくれた。
 お互いに忙しいスケジュールをぬってなので、昨晩夜中に東京から来て、今日の昼前に帰るという強行軍。寝る間も惜しんで、できる限りのアドバイスをした。それなりにはお役に立てたようで、親友としてとても嬉しい。
 一人でも多くの同志と政権交代に向かって頑張っていきたい。


【自公vs民主】 2004年07月14日(水)

 参院選が終わり、各新聞では選挙を振り返る特集が掲載されている。私もすべてに目を通しているわけではないが、昨年の衆院選と今回の参院選で明らかになったのは、自民党の公明党・創価学会への依存がより一層強まったこと。公明党が「実現力」をキャッチフレーズにしていたが、「ある意味」それは真実を表している。
 しばしば、「民主党は旧社会党から旧自由党までバラバラ」ということが言われるが、それに対して、私は機会があるたびに、「民主党衆議院議員の中で、当選4回以下、すなわち、日本新党・さきがけの時代以降に議員になった人が4分の3。旧社会党の人は、世代的にもベテランのごく一部であり、民主党議員の大半は保守系になった。派閥の集合体でしかない自民党の方がよっぽどバラバラ」と説明してきた。
 それに付け加えるなら、自民党と民主党を比較するのがそもそも間違っていて、「自民党+公明党」と民主党を比較すべきなのだ。そのとき、今の政権与党(自公)は、憲法をはじめとするイデオロギーでも、民主党よりはるかにバラバラであるし、その溝は埋めようがない。民主党は、あくまで単独で政権を取ることを目指しているし、それが日本の未来のためになると私も信じている。


アクセス40000突破! 2004年07月13日(火)

 ホームページのアクセスが、今日、4万を突破致しました。2月22日に3万を超えて約5ヶ月でした。途中、日記の更新を数週間怠ったりした中でも、引き続きHPを見続けて頂いた方、本当に有難うございます。
 参院選が終わり「次は自分の番!」という、いいタイミングでもあります。日記以外の部分の更新を含め頑張っていきます。引き続きどうぞよろしくお願いします!

PS 4万をゲットした方、ぜひご連絡下さい。


参院選・民主躍進!/いよいよ「次」へ! 2004年07月12日(月)

 昨日の参院選、民主党は躍進しました。政権交代に向けたホップ(昨年の衆院選)、ステップ(今回の参院選)、ジャンプ(次期衆院選)の過程の中で、大きなステップとなったと思います。全国で、民主党候補を応援して下さった方々、本当に有難うございました。
 私がトップページにリンクをはって応援した、友人の藤末健三氏(比例)、色々とお世話になっている浅尾慶一郎氏(神奈川)、僕の友人が何人かスタッフに入っていた蓮舫氏(東京)は順当に当選しました。御支援頂き、有難うございました。
 特に友人の藤末氏は、私も選挙期間中に丸一日、選挙カーの遊説を担当したこともあり、喜びもひとしおです。藤末氏のポスターは、私の選挙区内におそらく200枚以上貼られていて、藤末氏の支援者の多さを実感しましたし、私の支援者も藤末氏のことをお伝えした方はほぼ皆、藤末氏に投票して下さったようで、とにかく嬉しかったです。
 そして肝心の静岡選挙区。当初の予想通り、自民新人の坂本由紀子氏がトップで早々と当確が出ましたが、2位を、同じ民主党の現職・海野徹氏と新人・藤本祐司氏が最後の最後まで争い(全国で確定したのも最後)、わずか7000票差で藤本氏が振り切るという歴史に残るような激戦となりました。定数2のうち1議席は維持しましたが、様々な意味で波紋を起こした選挙でしたし、今後の静岡民主党の展開が気がかりではあります。 
 また、候補者と面識は無いが個人的に大いに注目していた選挙区で、福田・中曽根・小渕の自民王国・群馬で新人がトップ当選を果たしたことや、激戦が伝えられていた秋田・滋賀・奈良・岡山・長崎・大分の1人区での快勝は、政権交代への着実な前進を大いに実感したものの、山形(私と同じ官僚出身の女性。選挙戦を中心で支えた近藤洋介衆議院議員は馴染みの方)、香川(私と同じ年の女性。選挙戦を中心で支えたのは私の同志・小川淳也)、佐賀(日銀出身)は、本当に僅差の惜敗であり残念でなりません。ぜひとも、私と一緒に次の衆院選を目指して欲しいと勝手ながら願っています。
 ともあれ、参院選が終わり、ある意味で、今日は私にとっては私自身の選挙戦のスタートです。5月の県議補選とこの参院選で得たことをしっかりと糧にしながら、頑張っていきます!


政党車 2004年07月06日(火)

 国政選挙では、候補者の名前をドーンと書いた看板をのせた選挙カーと、あともう一つ、政党の名前を書いた看板をのせた政党車を使うことが認められている。今日は一日、民主党の政党車を私が担当した。
 朝7時から9時まで清水駅前で街頭活動。車のスピーカーを使えるのは朝8時から夜8時までなので、8時まではひたすらマニフェストを配る。我々が活動し出してしばらくすると、数人の中年の女性の方々がかたまって、我々の政党車を指差している。何か問題が?と一瞬心配になったが、しばらくすると女性党の車がやってきた。8時ちょうどから田村がマイクで話しだすと彼女たちは去っていった。早いもの勝ちの世界でまずは一安心。
 駅前街頭終了後は、ひたすら、住宅街の細い道に入り込みながら、話し続ける(ウグイスの男性版をカラスと言います)。思えば、一昨年、財務省を辞めて議員秘書をしていたとき、議員とともに山形の近藤洋介候補(現議員)の応援に行った際、「君も練習で話せ」と急に言われたのがカラス初体験。意味も無く緊張して数分ともたなかった。昨年の総選挙では、3日目から声が枯れてきてしまったため、カラスはほとんど出来なかった。今まで、なんとなく苦手意識があったが、今日は、とにかくしゃべり続け、だんだん調子に乗ってきた。
 手を振ってくれる人がいると、車を降り、民主党と参院選候補のPR。1週間前に選挙カーで回ったときよりも、格段に反応が良くなっていることを実感。


若手官僚が霞ヶ関を去っていく〜「論座8月号」〜 2004年07月05日(月)

 発売したばかりの「論座8月号」(朝日新聞社)の中の「若手官僚が霞ヶ関を去っていく」という記事に私のことが少しのっていますので、どうぞ本屋ででもご覧下さい。
 勝手連BBSでも少し議論になりましたが、私も、この記事にあるように、霞ヶ関は、やりがいを求める人たちをどんどん中途採用できるような人事システムに変革すべきと考えています。
 なお、「40代以上は右肩上がりの成功体験しか知らないですから危機意識がない。何を言っても新人の遠吠えです。大蔵省でも若手の3分の1はこのままではいけないと思っていますが、行動できる勇気はないんです」という私のコメントが載せられていますが、正確には、「40代以上の先輩は、80年代までの成功体験がしみついていて、危機意識が薄い方が多い」「若手の3分の1はこのままではいけないと思っているし、その中には、やはり政治を変えなければと思っている人もいるが、選挙となると博打になってしまうので、そこまでは踏み切れないという人もいる」というようなことをお話ししました。30代20代の官僚には、私も尊敬する仲間が結構いますし、彼らのことを「勇気がない」とは決して思っていませんので、念のため。
 ちなみに、記事の冒頭に取り上げられている「風雲友」の人たちや経産省出身の福島伸享君も私がライターに紹介しました(リンク集に入ってます)。また、財務省の後輩、高田英樹君の、英国財務省を参考にした霞ヶ関改革提案についてはこちらをご覧下さい。
 ついでですが、この「論座」に「イラクの教訓・真のアラビストがいた時代」という記事を書いている内田優香氏は、古くからの友人。在イスラエル大使館調査官の経験もある中東のプロで、今は民主党政策調査会スタッフ(要は党職員)。彼女のような優秀なスタッフを民主党もどんどん増やしていくことは、民主党の政策立案能力の向上にとても大切なことだと思う。


参院選も後半戦へ 2004年07月01日(木)

 参院選もいよいよ後半戦に突入しました。
 私は、朝、駅頭でマニフェスト(ダイジェスト版)を配ったり、昼間は選挙カーに乗ってカラス(ウグイスの男性版)をやったり、街頭演説をしたり、すっかり日に焼けました。候補の選挙カーは、県全体を走り回るため、私の地元(静岡4区)に入るのは本番中にトータル3日にもなりません。その限られた日程で、できる限り広い範囲をカバーするため、どうしても選挙カーのスピードは速くなってしまい、支援者の方々がせっかく家から出てきて下さっても、もう選挙カーは遥か遠くということも多く、申し訳なく思っています。
 それでも、多くの方々に声をかけて頂いたり、手を振って頂いて、候補者はもちろんのこと、私もとても元気づいています。
 皆さまの民主党へのご期待になんとか応えられるよう、私も頑張ってまいります。


参院選本番突入 2004年06月24日(木)

 いよいよ参院選が始まった。17日間の長い戦い。この静岡県は、自民と民主がそれぞれ現職と新人を擁立して2議席を争うという、全国有数の激戦区。注目度も高い。
 朝からの公設掲示板へのポスター貼りには、多くの人に御協力頂いた。私も、途中からポスター貼りに参加。晴天の上、カーナビがあったのでまだなんとかなったが、ナビがなかったら、あるいは雨が降っていたら、さぞ大変だろうなぁ、と実感。
 マスコミによる直前の情勢調査では、自民党が2議席独占の可能性も出てきたという。民主党の躍進のために、とにかく全力で頑張ります。


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昨日 明日

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