昨日、小泉首相が訪朝し、拉致家族の5人が帰国した。小泉首相は、金総書記との会談において、10名の安否不明者の再調査を約束させ、日朝平壌宣言の誠実な履行を確認するとともに国交正常化交渉再開することで合意し、更に、日本からの人道援助を再開することとしたという。
5人の帰国については心から喜びたい。そして、無事帰国した子供たちが今後、日本において平穏な人生を過ごせることを願っている。しかしながら、あまりに問題が多すぎる訪朝だったと言わざるを得ない。小泉首相はじめ首相訪朝を評価する人々は、拉致家族帰国を大きな成果と強調しているが、小泉首相本人が行かなければならなかったのか?拉致議連の平沼衆議院議員も「自分でもよかった」と言うように、他の自民党幹部でもよかったのではないか?
援助を要請する側の元首が、援助を行う国を訪問するということが世界的常識・礼儀(人対人でさえ当然のこと)である中で、日本の首相が北朝鮮を自ら訪問するというのは、外交上「最後の最後のカード」であることはいくら強調しても足りない。そういう常識さえあっさり覆してしまう、日本の三流外交を本当に悲しく思う。
1年半前の小泉首相の電撃的訪朝の際に結ばれた日朝平壌宣言は、その後、北朝鮮の核開発の実態が明るみに出たことにより、全く履行されていないことは明白となっている。そのような状況の中で、何ら具体的な核廃棄のスケジュールも無しに「日朝平壌宣言の誠実な履行を確認した」と言っても、全く意味をなさない。例えていうなら、金総書記が「宣言は守ります」と言ったことに対して、小泉首相が「ウソをついているのは分かっているが、とりあえずそういうことで」と答えたに等しい。
90分の会談も、通訳が入っていることを考えれば実質45分。そんないい加減なやりとりの中で、10名の安否不明者の再調査を約束したと言っても、金総書記が本気で考えていると誰が信じるだろうか。
安否不明者の10名というのも、北朝鮮が拉致を認めた人に過ぎず、実際には数百名に上るという説もある。北朝鮮に対しての経済支援等による友好的な外交が、拉致問題について何の効力も示さなかったことは過去の歴史が証明しているのだから、拉致問題を本当に解決しようとするなら、今国会で審議中の経済制裁法案や特定船舶入港禁止法などで、北朝鮮を追い詰めるしか方法は無いはずだ。
小泉首相は、年金問題をかわすために、あっさり「最後のカード」を切り、人道援助を再開し、経済制裁は行わないなどというリップサービスまでしてきた。拉致問題や核問題についての、今後の進展は望むべくもないだろう。
日本の首相が、迎賓館で金総書記が登場するのを直立不動で待たされ、そして別る際にも、直立不動で金総書記が去っていくのを見送っている姿を見て、悔しくて涙が出そうになった。そして、まだ家族が帰国していない拉致被害者家族会の方々や、拉致されて未だに北朝鮮で暮らしている人々のことを思い、悲しくて涙が出そうになった。
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5月30日の県議選の今日が告示。9時半から事務所前で出陣式。田村は司会。細野県連代表、石井連合会長に続いて本人の挨拶。ガンバローコールの後、選挙カーで出発。田村は自らの車(ホンダCR-V)を後続車として出した。民主党のロゴが入った紙製のメガホンで声を張り上げる。今日は、街頭演説はせずに市内全域を一通り回る。午後6時に、静岡駅前に原候補と静岡の民主党議員(細野豪志・榛葉賀津也・渡辺周・津川祥吾)と小宮山洋子衆議院議員が集結。それぞれのノボリをスタッフが持って桃太郎。これだけの国会議員が集まっての行進は、滅多に見られるものではなく壮観。そして6時半から青葉イベント広場で必勝集会。上記国会議員に加え、更に河村たかし衆議院議員も駆けつけ、あの独特の口調が広場に響き渡った。
国政でも言えることだが、補欠選挙の場合、応援弁士に蒼々たる議員が集まってくれて、本当にうらやましい限り。
夜、原よう子事務所で選挙の打ち合わせをしている最中に、妻から「小沢氏が代表辞退」とのメール。菅代表辞任騒動もようやく終って、小沢氏の豪腕への期待感が高まりつつあった中、あまりに突然で一瞬言葉を失った。
新代表は岡田幹事長ということで一致しているとのこと。岡田幹事長は、「ジャスコの御曹司」(父親がイオン会長、兄が社長)としての方が有名かもしれないが、通産官僚を辞職して36才で初当選、今50才。一昨年9月の代表選の際も若手代表として推す声が多かったが、本人が固辞したため、若手グループは野田佳彦氏・前原誠司氏の擁立に動いた。そして、5月14日の日記にも書いたように、一昨年12月、鳩山由紀夫氏が辞任に追い込まれた際に決断して代表選で菅氏と対決。菅代表の要請を受けて、党ナンバー2の幹事長に就任。菅氏を支えることに徹してきた。
昨年7月に清水に応援に来て下さり、ミニ集会でお話しをしてもらったのだが、当時、地元の方々に聞いてみても岡田氏のことを知っている人はごくわずかで、例えばTVタックル等に頻繁に出演している原口一博氏や河村たかし氏の方が知名度が高い(逆に言うと、党のナンバー2の知名度がそれだけ低い)ことに、ショックを受けたことを思い出す。ただ、岡田氏のミニ集会に参加して下さった方々は、「テレビで見るとかたそうだけど、とても気さくだった」「誠実でいい方」と口をそろえておっしゃっていた。
2年前の代表選以前から私がよく口にするのは、「鳩山氏や菅氏がさきがけを立ち上げたころ、2人とも40代半ばだった。96年の旧民主党結党以来、両氏がずっと代表を務めているが、民主党も世代交代・新陳代謝をどんどん進めなければ、自民党を倒すほどの新しいうねりを生むことはできない」とういこと。岡田氏も、あるい意味「もう50歳」。いわゆる「若手グループ」には入っていないし、メディアでも老・壮・青の分類だと「壮」に入るようだ。岡田氏が絶大なる支持を集めるということでもなければ、9月の代表選では、更なる世代交代の動きが強まることはほぼ確実と思われるので、これから3か月で、岡田新代表の真価が問われる。
小沢氏や菅氏のようなハデさは無いが、その誠実さ、実直さ、「原理主義者」とも言われる一徹さが、どれくらい国民の支持を集めるのか、大いに注目したい。政治不信が極まった今、かえってそういう人が国民の信頼を集める可能性があるのでは、という期待も込めて。
午後2時から、静岡駅南の原よう子事務所にて、30日の県議補選に向けた事務所開き。細野豪志県連代表・榛葉賀津也参議院議員・渡辺周衆議院議員が次々と挨拶。そして応援に駆けつけて下さった、石井・静岡連合会長、佐野愛子県議、田中正史君が激励の言葉。田中正史君は県立大学4年で、田村が昨年3月頃に出会ったのだが、6月から半年間アメリカ留学していて、私の選挙が終わった後に帰国。最近は、よく私の集まりにも出てきてくれる。原稿をチラチラ見ながらも、アドリブもきかせてなかなかしっかりと挨拶してくれた。
その後は、ホビーショー(静岡に地元の田宮模型主催の大規模なプラモデル展)を開催中のツインメッセの前で、細野豪志議員も一緒に街頭活動。大勢の人ごみの中で、原さん本人も本番ノリで頑張っていた。さらに、静岡駅南口前、商店街のスクランブル交差点と場所を変え、8時に街頭活動を終了。街頭活動中、色紙を手に「原陽子さんと写真をとってもいいですか?」という青年まで現れてビックリ。若い人たちが少しでも県政に関心を持つきっかけになればと願っています。
原よう子のホームページもリニューアルしました。こちらです。
PS 12日の日記も追加しました。
昨日、日記を書いた直後に小泉首相が北朝鮮を訪問するというニュースを知った。ア然・・・
小沢氏の新代表受諾と首相本人の年金未加入の発表にぶつけての発表。「してやられた」としか言いようがない。拉致家族の帰国で湧き上がっている中で参院選に突入してしまえば、民主党としてへの追い風は期待しようがないかもしれない。
民主党は、菅代表辞任表明後、年金未納閣僚への反転攻勢を始めたが、北朝鮮にかき消されたしまいそうな雰囲気だ。その上、ニュースキャスターが続々と自分自身の年金未納・未加入の告白を始めた。世論を代弁して諸問題を追及することもキャスターの大切な使命であるにもかかわらず、年金未納議員への矛先が鈍ってしまうようでは、正直に告白すること自体が良かったのかどうか考えてしまう。
参院選に向けて、小沢新代表がいかに年金問題を大きなテーマとして浮上させることができるかどうか、その手腕に期待するしかない状況になってしまった。
今日の夜は富士宮へ。私が親しくさせて頂いている30代40代の方々のNPO設立総会。その後、富士宮のまちづくりや政治で中核的役割を果たしてらっしゃる大先輩からお話を伺った。市町村合併から参議院選の政局まで、勉強になることばかりだった。
小沢代表代行が、ついに菅氏から党代表を引き継ぐことを受け入れた。任期は9月の代表選までのわずか4ヶ月。
月曜日に菅氏が辞任表明をして以来、岡田幹事長が調整を一手に引き受けて走り回った。県議補選候補・原陽子の事務所でも「岡田さんは寝る暇あるんですかねぇ」「うーんほとんど無いだろうね」といった会話が。思えば一昨年、鳩山氏辞任後の代表選で、岡田氏は党の刷新を掲げて菅氏と対決して破れたにも関わらず、菅氏の要請で幹事長を受けてからは、菅代表の「代理」「スポークスマン」「黒子」に徹してきた。複雑な思いがある中で、ただただ政権交代を実現する(そして、日本の政治を変革する)ためには民主党がもっと一致結束して成長しなければならないという信念のもとに、わが身を捨てて、全身全霊を傾注している岡田幹事長の姿は田村の胸に焼きつくものがあった。
そして小沢代表が誕生する。小沢氏については2月20日の日記に書いているので是非見て頂きたいが、参謀に徹しようと考えていた小沢氏も、緊急事態に及んで決断したということなのだと思う。1か月以上前に、小沢氏は、党内の旧社会党グループのリーダーである横路氏と国連部隊(自衛隊とは別に国連の方針に従って海外で活動する部隊)の創設という提案をまとめたが、それも、民主党がより結束していくための尽力だった。小沢新代表が、年金を中心とする諸問題でどこまで自民党・公明党を攻めることが出来るか、そして、小泉政権と民主党の支持率はどう変わるか、注目していきたい。もちろん、年金未納閣僚を辞任に追い込むことができればベストではあるが、そこまでの世論を巻き起こすことができるかどうか・・・
GW明け直後、「年金一元化について、与党と民主党で協議する場をつくり3年かけて検討する」という附則を、政府の年金改正法案に付けるという合意が、与党である自民党・公明党と民主党で合意された。
これは、結論から先に言えば、極めてわかりにくい合意だった。
5月8日から10日にかけて、菅代表が、自らの未納問題で追及されるのを覚悟で出演した沢山のテレビ番組でも一生懸命説明しようとしていたが、これは、政府の年金改正法案について、民主党は本会議に出席し(=採決の際に欠席せず)、かつ、法案本体と附則を別々に採決するという前提のもとに、附則には賛成するが改正法案本体には反対するというもの。
私自身の情報収集不足ではあるが、6日に3党合意の朝刊記事を読んだときは、てっきり、附則を付けることを条件に法案本体にも賛成するものと勘違いしてしまった。私のような者でもそうなのだから、一般の多くの皆さんが「民主党も、菅代表の未納問題もあるし、年金改革についても、与党に妥協した」と捉えてしまって当然だと思う。
民主党が野党である以上、いくら反対しても、政府案(=与党の案)は「数の力」で押し切られてしまう中で、せめて少しでも本当の抜本的改革につなげるために、そのための協議機関をつくる、という気持ちは分からなくもない。しかしながら、年金に限らずあらゆる抜本的改革を先延ばし(=棚上げ)している自民党政権が続く限り、年金の抜本的改革は無理というふうに考えるならば、年金の抜本的改革は政権交代によってのみ実現するもので、与党自民党との協議機関をつくるというような中途半端な対応は、実質的にほとんど意味が無い、と私も考える。そもそも、法案の附則については、その書きぶりにもよるが、今回のように「3年を目途として検討する」というような書き方の場合には、協議機関はつくるが、年金一元化を実現するかどうかは分からない、という意味なのである。
今日の午前中、参議院比例候補の藤末健三氏(5月9日の日記参照)の講演が富士宮であり、田村も駆けつけた。100名以上の参加者。参議院静岡選挙区候補の藤本祐司氏も同席。藤末氏の応援演説。司会の方も「皆さんおなじみの田村さんです」と暖かいお言葉。9日の榛葉賀津也議員の演説(特に笑いを誘う部分)を参考にしながら、藤末氏&藤本のPRとともに、「民主党も菅代表辞任でゴタゴタしていますが、榛葉賀津也議員や細野豪志議員、そして私も30代。藤末氏や藤本氏は40代。30代40代の若手が中心になって頑張っていきますので、長い目で御支援下さい」と訴えた。ちなみに、笑いを誘う部分というのは、「このお2人について自信を持ってお勧めできるところは2つ。まず年金をちゃんと払っています。そして留学についても経歴詐称していません」。爆笑を誘えるのは話している方としては嬉しいことだが、その背景については、複雑な心境。
夜、清水での10名余りの会合に顔を出させて頂き、20分ほどお話をさせて頂いた。自己紹介と、ごく簡単に財政・年金の話。ある業界の方々の集まりで、本来、自民党色が強いはずだが、熱心に話を聞いて下さり感激した。民主党についても「私が公認内定をもらった一昨年末は、ちょうど鳩山さんが辞任して、さらに熊谷さんが離党した直後でした。『なんで今さら民主党で』『民主党も一年以内に分裂する』と厳しいご指摘を沢山頂きました。民主党はまだまだ成長過程にあります。ぜひ長い目、温かい目でご指導下さい」と訴えた。
昨日も今日もほとんど、原陽子・県議補選候補の選挙準備。よく、選挙において、「選挙本番になれば、候補者はみこしの上に乗るだけで、それをかつぐスタッフが全てお膳立てをする」と言われるが、実際、昨年の総選挙においても直前1ヶ月位前から、私は、スタッフのつくったスケジュールにしたがってひたすら動くのみ、という感じだった。従って、後3週間を切った県議補選に向けてのスタッフという立場は、色々と勉強になることも多い。静岡県内の何人かの国会議員から派遣された秘書数名が、役割分担をしてどんどん作業を進めているのを見ていること自体が新鮮だったりする。ちなみに私は、候補者の日程調整と街頭活動が主な担当。
原よう子事務所のスタッフは、候補をはじめ私や議員秘書は20代30代が数名、そしてベテランの方が数名、和気あいあいとした雰囲気。これが、あと3週間でどこまで盛り上がるかが勝負です。
今日も1時間ほど、事務所周辺の商店街を原さんと挨拶回り。原さんの紹介と、藤本ゆうじ参議院候補の紹介。私が「とにかくどんどん握手しなきゃ」とけしかけても、原さんはどうも遠慮がち。聞いてみると、過去2回の衆院選では「社民党の・・・」と挨拶するだけで相手にされなかったことが多く、色々とツラい思いもしたらしい。4年前から細野豪志氏・榛葉賀津也氏・津川祥吾氏が築いてきた、「民主党=若い力」という静岡でのイメージに、原さんも乗って、どんどん風を起こしていかねば。
ところで、昨日、予想通り、菅代表が辞任を表明。菅氏は早期の辞任を選択しなかったばかりに、本人が再び代表となる可能性を無くしてしまうとともに、民主党自体の支持を失い、自民党への反転攻勢の力を弱めてしまった。
後任として予想されていた小沢代表代行や岡田幹事長は、固辞しているとのこと。確かに、今、代表になっても、参議院選挙で負ければ責任問題となるし、そもそも、9月にまた代表選がある。そんな「火中の栗」を拾う人は確かになかなかいない。代表も若手(前原誠司氏、野田佳彦氏、枝野幸男氏など)に代わるべきという若手議員は多い(私もそう思っている)が、今は、多くの議員が必死になって小沢氏や岡田氏を口説いているのだろう。今回は小沢氏でまとまるのがベストと私も思うが、もし両者とも固辞しつづけた場合、それこそ、河村たかし氏のような伏兵が手をあげることもありうるかもしれない、などと、つい他人事のように考えてしまった。