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【年金一元化・徴収一元化】〜江角マキコ事件〜 2004年03月30日(火)

 国民年金の広告に出演していた江角マキコさんが国民年金の保険料を払っていなかったことが話題となっています。年金については、近々、民主党が発表する改革案も含めたご説明を政策ページにアップしたいと思っていますが、皆様に身近な事件?がありましたので、少しコメントしておきたいと思います。
 江角マキコさんは日本たばこの実業団バレーボールチームを退団(すなわち日本たばこを退社)してモデルに転身しました。退社の際に、会社員等が加入する厚生年金からは自動的にはずれますので、自由業等の人が加入する国民年金への加入手続きをしなければいけなかったわけです。江角さんは「税理士に任せていたし、年金手帳も保存していたから加入していると思った」と言っていますが、もしそれが本当だとすれば、会社を辞めて国民年金に入るべきことを知らなかったということです。
 江角さんに限らず、そういうことを知らない人も多いのかもしれません。やはりそれも、国民年金、厚生年金(更には公務員のための共済年金、議員のための議員年金)と年金制度が分かれてしまっていることが一因です。このように年金制度が分かれてしまっていることの最大の問題点は、各年金の間に大きな不公平があること(議員年金や共済年金の優遇など)ですが、江角さんのようなミスを招かないためにも、誰でも同じ年金に入る制度に一元化すべきです。民主党は年金一元化を柱とした「抜本的」改革案を提出しようとしていますが、それを見た小泉首相は突然「1年かけて民主党と議論したい」と言い出しました。政府の案があまりに「その場しのぎ」で抜本的改革にほど遠いことを自ら認めたようなものです。
 今回の江角さんの事件については「むしろ責められるべきは社会保険庁」との意見もあります。確かに、社会保険庁が、江角さんが保険料を払っているかどうか確認するのは簡単なことですが、社会保険庁の年金広告担当者が、江角マキコさんサイドから受け取った資料に「江角さんは保険料を払っている」と書いてあったのを信じてしまったことは、ある程度、同情の余地があります。あらゆる商売に当てはまることではありますが、イメージを大切にする広告という仕事(契約)においては特に、お互い(この場合は社会保険庁とタレントである江角マキコさん)の「信用」を前提として契約を結ぶわけですから。先日、結婚していたことを隠していた若村真由美さんがCMを降板させられた、というのも、そのような「信用」を失ったからです。
 また、江角さんの税理士は、江角さんが年金を払っていると思い込み、保険料控除を書き込んで税務申告をしていたということですが、これも、税金は税務署、保険料は社会保険庁、とまったくバラバラに徴収しているためチェック機能が無いことが原因の一つです。お互いのチェック機能が無いこと、非効率なこと(余計に沢山の職員を必要とすること)、税金は皆納めるのに保険料を払わない人は沢山いること、などの問題点があるため、10年以上前から税金と保険料の徴収をすべて税務署がするべき、という意見はありました。私もずっとそう思ってきました。しかしながら、厚生労働省が自らの組織・権限を失いたくないため、そしてまた、自民党政権の問題意識があまりに薄かったため、その議論はまったく進みませんでした。ようやく今ごろになって、両者の情報交換を始める方針が固まったとのことですが、私はただただ「遅きに失している」と感じるだけです。保険料の不払いを解消する最善の策は、税金と保険料の徴収一元化であると私は考えていますし、民主党もその方向で議論を進めています。
  


ベンチャースピリット 2004年03月29日(月)

 今日、グッドウィルグループが東証一部に上場を果たした。新聞の全面広告を見た方もいるかもしれない。グッドウィルは人材派遣がメインの企業だが、子会社の介護関連企業コムスンの方を知ってらっしゃる方の方が多いかもしれない。私が折口雅博会長に初めてお会いしたのは6年前、ちょうどグッドウィルがコムスンを買収した頃。若手起業家が中心の勉強会で、グロービス(ビジネススクール)の堀義人氏や木村剛氏などそうそうたる顔ぶれだった。
 私は、様々な逆境を乗り越えて活躍している起業家の方々をとても尊敬しているし、多くの方とお付き合いしてきた。グッドウィルの社是は「弛まぬベンチャースピリット」であるが、まさにそのスピリットを持っている方々からは触発されることが多い。そもそも、政権交代を目指し民主党でチャレンジする精神は、ベンチャースピリットと相通ずる部分が多いと思っている。
 ベンチャースピリットあふれる起業家の方々の中でも、折口会長は特にすごい(私が言うまでもないが)。ジュリアナ、ヴェルファーレと一世を風靡したディスコをプロデュースした後、95年にグッドウィルを立ち上げわずか9年で年商620億の会社にしてしまった。コムスンを買収した直後の拡大路線がいったん見直しをせざるを得なくなった4年ほど前、マスコミのバッシングはすごかった。「出る杭は打つ」という日本的風潮の典型のようだった。しかし折口会長は、そんなバッシングはものともせず「出すぎた杭は打たれない」レベルまで駆け上がった。東証一部上場を心よりお祝い申し上げたい。
 超多忙な折口会長だが、財務省を辞めたときから期待をかけて頂いていて、先日も静岡に講演でいらっしゃった後、1時間ほど2人でお話しする時間を頂いた。
 そのときにも話に出たグッドウィルグループの社訓は、私もとても好きなのでここに掲載させて頂く。
 一、お客様の立場にたて、究極の満足を与えよ
 一、夢と志を持ち、常にチャレンジせよ
 一、困難の先に栄光がある、逆境を乗り越えよ
 一、物事の本質を見抜け、雑音に動じるな
 一、原因があるから結果がある、公正に判断せよ
 一、積極果敢に攻めよ、守りは負けの始まりなり
 一、スピードは力なり、変化をチャンスと思え
 一、自信を持て、謙虚さと思いやりを持て
 一、笑顔と共に明るくあれ
 一、正しくないことをするな、常に正しい方を選べ

 私も、田村事務所の所訓?を、作り上げたいと思っている。ぜひ皆様のアドバイスをお願い致します。
 私も、弛まぬベンチャースピリットで頑張ります!

 
 


秘書・田中幸太郎くん登場! 2004年03月27日(土)

 今日、田中幸太郎くんが清水に引っ越して来てくれた。私の右腕として、これから二人三脚(イニシャルが2人ともKTのコンビ)でのスタート。彼は24歳。昨年春に大学を卒業し、大好きなプロレスの仕事をしたいと、レスラーのマネージャーになったのだが、激務にも関わらずとても食べていけるだけの収入も得られず、続けることを断念。私の非常に親しい大海雄一郎さん(→リンク集)に紹介してもらい、10月から1ヶ月間、泊り込みで選挙を手伝ってくれた。富士宮事務所で、その誠実な人柄で支援の輪をどんどん広げてくれた。選挙後、大阪の実家に帰り、就職活動もして、会社の内定ももらっていたが、その会社の条件より遥かに悪い条件に関わらず、私の思いに共鳴して、もどってきてくれた。
 思えば昨年は1月から4月まで、五里霧中の孤軍奮闘。5月に財務省の後輩の鈴木明久君(今は国会議員の政策秘書。1月2日の日記参照)が来てくれて活動範囲も広がったが、当時はまだまだ支援して下さる方は数えるほど。何をどうお願いしていいかもよく分からなかった。今は、多くの方々が、私がご挨拶に伺うのを待って下さっている。皆様のお気持ちがさめる前に、2人でどんどん動かねば。
 なお、「秘書はやはり地元の人じゃないと」というアドバイスも頂いた。これから地元出身の人も見つけるべく努力していきたいと思う。
 ともあれ、これから、たむけん&こうたろうコンビをどうぞ宜しくお願いします!


朝の街頭活動再開/組合回り 2004年03月26日(金)

 今日は、参院選の新人候補・藤本祐司氏が清水地域の組合の挨拶回りをするため来清。
 朝は清水駅前で街頭活動をすることに。明日には秘書の田中君が登場することもあり、私も今日から、平日毎朝の街頭活動を再開することとした。あいにくの雨ではあったが、朝6時半、駅前でノボリを立てるときからワクワクしてきた。思い返せば、清水での駅頭活動を開始したのは昨年の1月末。一人でノボリを立てることさえ気恥ずかしくて、なかなか車から出る勇気が無く10分20分と時間が経過したことが懐かしい。今では、そんな羞恥心は全く無くなり(もちろん「いい意味で」です)、むしろ、準備をしているときでも、その姿を見て応援して下さっている方々がいる、と前向きな気持ちになる。
 藤本氏の陣営が到着するまで一人で傘を差しながら演説。一年前に始めた頃は、民主党の支持率が最低の頃であった上、清水には民主党は全く浸透していなかったこともあり、民主党候補ということはほとんど言わずに話していたが、今は「おはようございます、民主党の田村謙治です」と始める。それも私にとっては隔世の感がある。一年前はとにかく話すことに一杯一杯だったが、今は話しながら、前を通り過ぎる方々の表情を見る余裕が出来た。そして何より、笑みを投げて下さったり「頑張ってね」「おい!今度は頑張れよ!」と声をかけて下さる方々がいる。「皆さまのご期待を決して無駄にしないよう、田村は頑張ってまいります」と自然に声に力が入る。
 話はやはり年金を中心とした。年金についての話は、この日記で気軽に書くにはあまりに重いテーマなので、近いうち、まとめてアップしたいと思っています。
 藤本氏より先に渡辺迅くん(渡辺周議員の弟&秘書)が到着。さっそく私のチラシ配りを始めてくれた。「いやぁ、受け取る方々の評判いいですねぇ」とのコメントも励みになる。
 7時半に藤本氏と秘書2人が到着。演説を交代して、後は私もひたすら藤本氏のチラシ配り。雨の日は皆、傘を指していて手がふさがっているため、受け取ってもらいにくいのだが、かえって、出来るだけ多くの方に受け取ってもらおうと燃えた。小振りの中、私は傘もささずに腰をかがめて、通り過ぎる方々の傘の下を覗き込み、笑顔で「民主党です!」。一年前、私が駅頭を始める前は、清水で選挙以外のときに駅頭をしていたのは共産党だけだったため、私がチラシを配ろうとしてもケゲンな顔をしながら通り過ぎる方がほとんどだった。今は「あ、また田村だ」というような苦笑いでも手を差し出して下さる方々がいる。女子高校生の2人組が「あ、たむけんだぁ」と言いながら通り過ぎていったりする。久々の街頭ということもあり、私もますますハイテンションになった。このテンションをこれからも維持していかねば!
 あっと言う間に8時半になり終了。労働組合の清水地域協議会の小塚議長がいらっしゃる小糸労働組合へ。小塚議長と合流し、私が運転手をしながら藤本氏の各組合への挨拶回り。思えば、昨年1月、私が一人で各組合を挨拶回りしたときは、ほとんどの方が「前回の総選挙に民主党で出た人も、すぐにいなくなっちゃったからねぇ」とおっしゃり、「田村はどこまでやる気あるんだろう」と内心疑ってらっしゃる感じだった。今日は「こんにちは!運転手の田村です」と挨拶すると「おい、次こそ頑張ろうな!」と暖かい声をかけて下さる。20ほどの組合事務所を回って、4時半に終了。静岡県全体を走り回る藤本氏の大変さをシミジミと感じる。
 私も、皆様のご期待を決して裏切らないよう頑張ります!


【尖閣列島】 2004年03月25日(木)

 昨日、中国の活動家が尖閣列島に上陸して逮捕されました。日本の領土に不法侵入した者に対する、当たり前の対応であると思います。
 尖閣列島は1895年に政府が領土として編入し、明治・大正時代の最盛期には250人もの日本人が住んでいました。第二次大戦後も、他国から何の異議も無く、日本政府は当然のこととして領有を続けていたわけです。それが1970年代になって、周辺に石油資源が埋蔵されている可能性が発表されてから、突如、中国政府・台湾政府が領有権を主張し出しました。国際法上も、というか国際関係における常識からも、本来あり得ないことなのです。
 政府の最も大きな使命の一つが、国民の生命・財産を守ることであることに異論をはさむ人は誰もいないでしょう。その「財産」に領土はもちろん含まれています。国民の生命・財産を侵害する者には厳然たる対応を取ることは、万国共通の国家政府の最小限の任務なのです。
 マスコミも、さすがに本件について政府の対応を批判する論調は見当たりませんが、一方で、中国での抗議行動を大きく報じています。しかし、それに惑わされてはなりません。政府の対応で重視すべきは、第一に、国民の生命・財産の保護であり、対外関係はその次であるべきなのです。また、尖閣列島に上陸した者も在中大使館前で抗議行動をした者も皆、中国民間保釣連合会という過激な反日団体のメンバーであり、決して中国の世論を反映しているわけでは無いということもしっかり認識する必要があります。
 マスコミには、この抗議行動を靖国神社参拝に対する抗議行動と同列にとらえるような報道をするところもありますが、本件は、靖国問題とは全く次元の違う問題であるという認識を是非とも共有したいと思います。
 本件について、アメリカ国務省の副報道官は「尖閣列島は日本の行政下にあり、日米安保も適用される」と明言する一方、「尖閣諸島の最終的な領有権については、いずれの立場にも立たないというのが米国の長年の方針だ。領有権を主張する国と地域が平和的に問題を解決することを期待する」と中立姿勢を示したといいます。日本の同盟国である米国が、このように中国に配慮した態度を取ることに割り切れない思いを感じるとともに、アメリカの「自国の国益最優先」の姿勢がはっきりと現れた場面なのかな、と痛感しました。
 ちなみに余談ですが、魚釣島は埼玉の実業家が所有しているとのこと。いったいどういう方なんでしょうね?


【歴史教育】 2004年03月23日(火)

 今日は、清水の同世代の数人とゆっくり話す機会がありました。中の1人が、「今の歴史教科書は、伊藤博文がどのような素晴らしいことをしたのかは少ししか触れていないのに、伊藤博文を暗殺した人の名前まで出して、それも暗殺ではなく射殺と書いている。おかしい!」と切り出したのが最初。その後、1時間以上、熱く議論させてもらいました。
 20日のトークライブ(日記参照)で榛葉議員も言っていました。イスラエルの人々は、皆、ユダヤ教の成り立ちから今に至るまでの歴史を非常によく知っている。そしてユダヤ教、そしてイスラエルという国家に大きな誇りを持っている。日本も皇紀2664年の誇るべき歴史があるのに、日本人は非常に意識が薄い。という問題提起をしていました。
 私も、今の小中学校での歴史教育には大いに問題意識を持っています。今の日本の教科書は、とにかく知識を詰め込むことが第一。その上、文部科学省の様々な指導により、あの薄い本に多くの事項を詰め込むため、単なる知識の羅列になってしまっています。大学受験の際に相当暗記した方だと思われる私でさえ、受験が終ってしばらくすると、相当のことは忘れてしまいました。今のような知識偏重の歴史教育は、多くの日本人に無意味だとさえ思われます。
 例えばアメリカの学校の歴史教科書は非常に分厚いものです。わずか200年そこそこの歴史に関わらず。その中には、様々な先人がどのようなことをしてきたかという「物語」がたくさんのっています。先生はその中からピックアップしながらそれを教え、そして生徒の意見や感想を聞いたり、時にはディスカッションをしたりするのです。
 誰が何年に何をしたか、というような知識は、皆、大人になれば忘れてしまいます。教育として重要なのは、誰が何をしたという「物語」から、各々の生徒が何を学ぶか、何を得るか、ということなのです。聖徳太子が法隆寺を建立したのが何年かということより、彼が行ったことがいかに先進的であったか、そして普遍性を持っているものだったか、ということの方が大事なはずです。浮世絵で有名だったのが誰かということより、浮世絵が、世界的に見ても、いかに画期的なもので、欧米の画家にどのような衝撃を与えたのか、ということの方が、よっぽど重要ですし、学ぶ方にも面白いはずです。
 だから、歴史教科書は、もっと「物語」がふんだんに盛り込まれた、面白いものであるべきです。それこそ、漫画日本の歴史や、偉人の伝記などを副読本にしてもいいと思います。
 私は、教科書検定は廃止すべきと考えていますが、この歴史教科書においても、教科書検定が大きな弊害になっていると思っています。


【民主党は弱腰か?べたなぎ政局?徹底論戦vs審議拒否】 2004年03月22日(月)

 今日の日経朝刊2面に、覇気のない自民党と戦略に乏しい民主党の相互作用で「べたなぎ政局」となってしまい、国会審議も盛り上がっていない、という記事がのっていました。
 野田佳彦・民主党国対委員長は、一昨年12月に就任以来、一貫して「国会の場で徹底的に政策論争をする。むやみな審議拒否はしない」との方針を取っています。そして、本会議・各委員会の場で、沢山の民主党議員が丁々発止の政策論争を展開しているのです。今の国会においても、審議時間は過去5年で最長を記録しています。お互い馴れ合いの審議をしているのは、内輪同士の自民党議員であって、民主党議員は、しっかりと民主党の政策を提示しながら、小泉政権の政策を糾弾しています。そして重要法案において民主党の主張を取り入れた修正をいくつも勝ち取っています。
 ただ、残念ながら、その模様というのはほとんどメディアでは取り上げられることがありません。メディアがそこそこ取り上げてくれる小泉首相と菅代表の討論でも、菅代表はしっかり民主党の政策を訴えているのですが、メディアが取り上げてくれるのは、菅代表が舌鋒鋭く首相に迫っているシーンだけです。そのため、今だに「民主党は批判だけ」「菅代表は批判だけ」というイメージが強くなってしまっているのです。
 確かに数年前まで、審議拒否がしばしば行われ、メディアでも大きく報じられていました。しかし冷静に考えてみれば、審議拒否というのは、万年野党の政党が、自らの「現実的な」対案が無いことを棚に上げて、とにかく政権与党の政策を完全否定する、という極めて稚拙な手段なのです。野党がメンツを保つために、与党自民党がお付き合いしていた出来レースにしか過ぎません。審議拒否によって、現実の政策は何ら影響を受けることはありませんでした。
 日経の記事には「野党の国会戦術は、突き詰めれば予算や重要法案を人質にして、審議を拒否することである」とまで書いてありました。私は、メディアにも、そのような「古き」55年体制の感覚をそのまま引きずっている人がいることをとても残念に思います。ワイドショー的な審議拒否はハデに取り上げても、自民党vs民主党の政策論争については少ししか報道しない、というメディアの姿勢が、早く変わってくれることを強く願っています。
 メディアの姿勢がこのような中、民主党としては、いくら報道されなくても、「地味」であっても、国会の場では徹底的に政策論争を行い、そして各議員・候補者が各々の地元で有権者に分かりやすくそれを伝える、ということを続けていくしかないのだと思いますし、私も静岡で、皆様に政策をしっかりお伝えすべく頑張ります。
 なお、この日記をご覧になって下さっている方には、ぜひお時間があるときに衆議院TV(http://www.shugiintv.go.jp)や参議院TV(http://www.webtv.sangiin.go.jp/webtv/index.php)、あるいは各議員のホームページ(私のリンク集にもあります)の国政報告ご覧になって頂きたいと思います。


榛葉賀津也トークライブ 2004年03月20日(土)

 今日は、静岡市の喫茶店で榛葉賀津也参議院議員のイスラエルについてのトークライブ。イスラエルに留学経験のある24才の青年が、メールで榛葉議員にアプローチして、とんとん拍子に話が進んだとのこと。25名ほどの参加者はほとんど20代。田村も、知り合いの学生4人に声をかけて参加。ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の歴史から中東諸国の関係まで、幅広い話題を短い時間で分かりやすく話して下さった。中味はもちろん、話し方等々、色々と勉強になった。また、こういうアクションを起こす20代の人たちに会えたこともとても嬉しかった。当日の写真はこちらをどうぞ。
http://www.k-shimba.com/activity/activity_local.html
 私も、20代・30代の人たちをもっともっと巻き込んで、いろいろなことを企画していきたい。 ちなみに、会場となった喫茶店、cafe pissaway(http://pissaway.at.infoseek.co.jp/map.html) は、若いスタッフもフレンドリーで、アットホームな落ち着く空間。皆様もぜひお立ち寄り下さい。


誕生日/記者との懇親会 2004年03月19日(金)

 私は今日で36才になりました。そう年男なのです。秘書もいない私は、ここしばらく、収支報告等の事務作業に追われ、事務所に引きこもりがちでしたが、そろそろメドがついてきましたので、次の衆院選に向けた活動を本格的に再始動したいと思っています。
 来週には、選挙前、泊り込みで選挙のボランティアをやってくれた田中幸太郎君(24才)が、正式に秘書としてやって来てくれます。

 日記の更新が滞っている間も、色々なことがありました。佐藤観樹議員の件は私にとっても衝撃でした。辻元氏の逮捕などがありながら、その後も、秘書の名義借りを続けている議員が民主党にいたとは、党の一員として、ただただ皆様にお詫びを申し上げるしかありません。
 私として出来ることは、とにかく静岡4区内の一人でも多くの方に直接お会いして、民主党への、そして政治への信頼を持ってもらえるよう、地道に活動していくことだと思っています。

 今日の夜は、民主党静岡県連と県政記者クラブの方々(県政担当記者が国政も担当)との懇親会。参議院候補(新人の藤本祐司氏と現職の海野徹氏)と、つい数日前に佐藤議員辞職に伴い繰上り当選した津川祥吾氏が、乾杯前にご挨拶。立食でのなごやかな雰囲気の歓談の後、シメは、裾野市議の八木長生氏が学生時代に応援団だった経験を活かした「フレー、フレー○○」の音頭。参議院選挙に向けた素晴らしいシメとなった。


民主党新人議員・候補予定者研修会 2004年03月15日(月)

 今日から明日にかけて那須高原のホテルに缶詰になり、民主党新人議員と候補予定者の研修会。研修担当の玄葉光一郎議員から「東京を会場にすると、皆が他の予定ですぐに抜けてしまう。東京からちょっと離れたところで、ひざ詰めでとことん話をすることにした」との説明。
 菅代表、岡田幹事長、野田国対委員長、前原誠司「次の内閣」ネクスト外務大臣ほか10名の議員が、各自の選挙戦術のお話。菅代表からは、初当選前に3回落選の経験談や、新人議員へ国会での論戦のやり方の伝授。岡田幹事長からは、町内会単位で小さい後援会を沢山つくっていくための、座談会とローラー(地域を決めて個別訪問)。前原議員からは、街頭演説の継続、名簿管理の徹底など。玄葉議員からは、「選挙は人間学の勉強」と考えとにかく歩くこととミニ集会を徹底することや、「ウソをつかない、ごまかさない、いばらない」というキャッチフレーズが有権者の印象に残ったことなど。野田国対委員長からは、歩きながらの街頭活動など、とにかく新人としてのサプライズを、大道芸人と呼ばれるくらいまで追究すること。などなど。
 それぞれの多様な戦略は、とても勉強になった。また、地元の地方議員との関係について、ときには対立することもよしとする議員から、対立は絶対に避けてできる限り親睦を図るべく努力するという議員まで、あるいは陳情について、一切受け付けないという議員から、きめ細かく対応するという議員まで、それぞれの議員のやり方がまったく異なることは、非常に興味深かった。
 夜は、先輩議員、新人議員、候補予定者が入り混じって、忌憚の無い意見交換。温泉に入る時間も惜しんで、夜中まで沢山の先輩(=議員)や同志(=候補予定者)と語り合った。大きな刺激をもらうとともに、政権交代という「戦い」に向けた連帯感がさらに強まったと思う。


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