林よしくに県議の決起集会でお会いした方のところに訪問したところ、民主党掲示板(その上に田村のポスター)を外の塀に取り付けてくれた。清水の地域で第1号。「民主党」と大きく書いてあることに抵抗感がある方が多いであろう中で、私が針金で掲示板を固定するのを手伝っても下さり感激。望月義夫議員の自民党掲示板は何百枚とあるのだろうし、いざポスターを張り出そうとすれば、数日のうちに全部貼ってしまうのだろうから、田村陣営も頑張らないと。
夜、富士市での「男女共同参画条例」についての勉強会に参加。富士宮・清水・静岡など各地から20名ほど。男女共同参画については、田村も非常に不勉強だったのだが、富士市の広報誌の表紙に「ぼくたちだって、ひなまつり。」とあるのを見て、ア然。女の子にはひなまつり、男の子には「子供の日」(という呼び方には問題もあるかもしれないが。)があるのだから、男女不平等にはならないと思うのだが・・・。女性の社会進出はまだまだバックアップしなければならないことは沢山あると思うが、守り伝えていくべき文化・伝統というものもあるのだと思う。
夜、清水で、30代後半の会社経営者が中心の交流会に参加。建築・土木関係の人も結構いる集まり。皆、小規模ながら、大企業の下請けに甘んじることなく、お互いに助け合い、切磋琢磨しながら頑張っている。そういう彼らから「最近は、大手ゼネコンが、小さい仕事にまで入ってくる。破格の価格で受注し、下請け企業にそのしわ寄せがいっている。国が大手ゼネコンを保護しているせいで、我々零細企業はますます苦しくなっている」という声があった。大手銀行が、ゼネコンに対する数千億円の債務を放棄し、結局は、それを、銀行に対する公的資金投入でカバーする、という悪循環は、何とか断ち切らねばならないと思う。税金のムダ遣いを徹底的に削減するためには、「従来型の」公共事業は大幅に削減せざるを得ない、という状況において、全てのゼネコンが経営を維持していくということは不可能であるし、経営不振を取り繕うために合併したからといって、結局は弱者連合で、りそな銀行と同じような結果となってしまうだろう。
午後、富士宮の小林要市議と後援会幹部とお会いして、田村の選挙について数々の貴重なアドバイスを頂く。小林先生は社民党。しばしば「民主党は右と左がバラバラ」とご批判を頂く。しかしながら、自民党現職に民主党新人が挑む場合、社民党支持者(あるいは旧社会党支持者)の御支援を頂かず、自民党支持者層を切り崩して現職に勝つということは、民主党支持層が極めて少ない現状において、都市部以外では不可能であると思う。田村も、昨年後半、議員秘書として山形での衆議院補選に応援に行ったり、そしてこの静岡4区で回ってみて、ますます痛感することである。富士宮においても、中選挙区時代は社会党代議士がトップ当選したりしていたこともあり、未だに社民党支持者は結構いるが、民主党支持という人は非常に少ない。
連合(労働組合)との関係においても様々な批判を頂く。しかしながら、都市部以外では、民主党の地方議員さえほとんどいない(ましてや党員は全くいない)中で、自前の後援会組織だけで勝とうとすれば相当の年月が必要であろう。
連合や社民党支持者は、「打倒自民党」という大義では志を共有する応援団として、色々と御指導・御強力を頂きながら、その一方で、自分の信ずる方向性(政策)については芯を曲げず、初心を忘れず、頑張っていきたい。
小林先生との面会の後、支持者の方に連れまわして頂いた。そのうちの1軒は、快く民主党掲示板(先週、事務所に到着。「民主党掲示板」という大きな文字の横に田村のポスターを貼る。)を家の外側に貼り付けて下さった。第1号。感激。
更に、西富士宮のとんかつ屋「かつら」に立ち寄る。店長の桂巻さんは、先週ポスターをお渡ししたところ、早速お店の前にドーンと貼って下さった。今日も突然立ち寄らせて頂いたにも関わらず、お忙しい合間をぬって、何人かの方をご紹介下さり感激。
今朝は、JR清水駅の東西を結ぶ自由通路の開通式。新人田村は招待されるはずも無いが、民主党参議院議員の堀利和先生(清水市出身。比例選出)が、目の不自由な堀議員の補助者として随行させて下さった。テントの中での数人の挨拶、通路内でのテープカット、屋外での記念植樹。目の不自由な方の補助も初めてであったし、関係国会議員・県会議員・市会議員勢ぞろいの式典に参加させて頂き、貴重な経験となった。
堀先生の御兄弟の家で昼食をご一緒させて頂いた後、静岡大学へ。ESSのディベート大会に顔を出す。田村も17年前に東大ESSの部長をしていた。活動は専らディスカッションだったが、ディベートも1年生のときにサークル内の大会に参加したことがあり、とても懐かしかった。
今朝は6時半からJR清水駅前で。いつものように鈴木君がチラシを配って、田村はメガホン。駅頭活動を始めて4ヶ月が経つが、イマサラながらようやく、前を通りすぎていく人々の表情を見る余裕がでてきた。「頑張れよ」と声をかけて下さる方、笑顔を送って下さる方、本当に励みになる。1月末に駅頭活動を始めてから、ほとんど反応が無いながらも、高校生に「おはよう。いってらっしゃい」と声をかけていたのだが、高校生が2人ほど「
田村謙治さん、頑張って下さい」と声をかけてくれたのも本当に嬉しかった。これからも頑張ろう!
夕方、清水での大先輩方の異業種交流会に参加。色々な方から励ましのお言葉を頂く。
その後、富士川町へ。1月中旬、細野豪志議員と新富士駅で駅頭活動をしたときにお会いした経営者の方にお誘いを頂き、会社の幹部懇親会に顔を出させて頂いた。そういう機会は初めてだったし、暖かく迎えて頂き、感激。こういう「輪」(と言うのも僭越だが)をどんどん広げたい。
夜は、訪問理容やケアマネージャーとして福祉施設に関わっている方々とお会いした。皆、活き活きと活動している姿に大いに刺激を受けた。
今日の夜、ホームページのアクセスが10000を突破した。1月末に開設し、3月初旬に知人に周知してからカウンターの回転が速くなったものの、先月の数週間、日記の更新をサボったために、いっきに回転が遅くなったが、最近ようやくまた見てくれる人が増えてきた(もどってきた?)ようで嬉しい限り。もっともっと充実させるべく頑張ります。10000をゲットした方、ぜひメール下さい。
今朝は友人のアドバイスで富士宮市役所前で街頭活動をすることに。朝7時半から8時半まで。当初、応援部隊が2人来てくれるはずだったので、田村はメガホンでしゃべろうと思っていたのだが、2人とも都合が悪くなってしまったため、田村と鈴木で手分けしてひたすらチラシ配り。さすが市役所の人だけあって(?)、ほとんど全員受け取ってくれた。市役所内で少しは話題になっていればいいけどなぁ・・・
昼間、いくつかの支援者のお宅を回った後、再び市役所へ。組合事務所で意見交換。市役所の入口で偶然に、支援者に2人もお会いし、ポスターをお渡しして非常に有意義な市役所訪問(?)となった。
夜は、急きょお電話を頂いて、清水での会合に顔を出させて頂いた。そのときも「○○さんが、『田村はセンが細いのでは』と心配している」とのご指摘。やはりまだまだ、「気迫」「悲壮感」がしっかりと伝えられていない。日々、心がけないと。
午前中は、富士川町でふれあい広場というイベントがあった。いくつかの屋台があり、挨拶回り。望月義夫議員の庵原郡担当の秘書も回っていた。民主党の「選挙の鉄人」上田清司衆議院議員の「現職議員は、地元秘書が最低5〜6人いるのだから、秘書が1人くらいしかいない新人は、効率3倍、時間2倍頑張らないといけない。3×2=6でようやくどっこいどっこい」という言葉は、しばしば思い出し、気持ちを奮い立たせているが、田村陣営も、それを目指して頑張ります。
今日は、朝8時から丸1日、支援して下さっている方に引き回し(知人の紹介)をして頂いた。その方を田村の車(ホンダCR−V)に乗せて、私が運転。途中、本屋の経営者の方が、入口の横の壁にポスターを貼って下さった。第1号!やはり感激。これからどんどん貼らなければ。
午後4時から県連の広報担当常任幹事として記者会見に臨んだ。内容は、「静岡空港問題検討プロジェクトチームの設置について」。津川祥吾座長の下、週1回程度開催し、7月中旬に県連常任幹事会に答申を出す。田村はプレス担当としてメンバーに入った。記者もそれほど集まらない気軽なものだろうと思っていたら、カメラもあるし(実際には放映されなかったが)、記者も沢山いて驚いた。不必要に緊張してしまい、「プロジェクトチーム」という言葉がうまく言えなかったり、反省点は沢山。どんなことでも事前準備をしっかりしないと。
夜は、かねてお世話になっている方々と、清水港の活性化についての意見交換。そのテーマに長らく取り組んでいらっしゃる方々からのご意見は本当に貴重だった。