今日は、昼すぎまで同世代の方に色んな方を紹介して頂いた。昼すぎに、今日オープンのラーメン屋さんに昼食がてら顔を出し、その後、更に、別の支援者の方に何人かご紹介頂いた。
お忙しい中、お仕事の時間を割いて、私のために動いて下さる方々に心から感謝。
ただ、昨日の夜2時ころまで、政治の研究者と様々な意見交換(専ら、情報を教えてもらうことの方が多かったが)していたため、一日中、疲れが抜けず、どうしても顔に出てしまっていたように思う。初対面の方に大変失礼なことだし、体調管理はしっかりしないと。
今日の夕方5時半から6時半まで、通勤の車で混んでいる交差点で街頭活動をした。友人にノボリを持ってもらい、田村はひたすらショートスピーチを繰り返す。駅頭では、人通りが途絶えることがあるため、しゃべりを休むことも出来たが、道路沿いでは休み無くしゃべり続けるため、慣れていないこともあって、いつも以上に疲れた。友人がいくつかアドバイスをくれて感謝。今まで、朝の駅頭でしかやったことがなかったので、朝以外の時間帯も、駅以外の場所も初めて。これからどんどんやっていこうと思う。
今日の朝は、初めての蒲原駅前で6時半から9時前まで鈴木君と。通行量が多い道に接していたので、鈴木君がせっせとチラシを配ってくれている間、田村は車に向かっておじぎの連続。この蒲原で、旧静岡4区(旧清水市と庵原3町)の駅はすべて1回は街頭活動をしたことになる。
今日は、もっぱら事務所で事務作業。コピー&ファックスが入り、これでようやく事務所の最低限の備品が揃った。後は、留守番を兼ねて下さるボランティア事務員さんを何とか探さないと。
今朝は、静鉄の御門台駅前で一人でチラシ配り。
今日はスタッフの鈴木君は久々の休暇。1か月前に来てくれて、休暇はこれが2日目。本当に良くやってくれている。彼は、財務省での4年間、主計局、そして金融庁とずっと忙しい部署にいた。平日は毎晩、夜中(時には2時や3時)までずっと仕事。それでも週末にゆっくり休めたし、朝のスタートは遅いし(だいたい10時頃)、やはり今の仕事の方がキツイと言う。
霞ヶ関には「自分達の仕事は本当に激務」と思い込み、それを半ば誇りにしている人が多い。週末の土日はちゃんと休んでいても、平日は夜中の1時2時まで仕事だからキツイキツイと言っている。私はそれに大きな違和感を持っていた。例えば起業した人など、休日は一切無く働き続けることの方がよっぽど大変だと思う。何より、自分で全てのリスクを負う精神的プレッシャーは、官僚には想像も出来ないだろう。私の今の活動も、個人営業と捉えれば似ている部分も多い。もちろん、起業家の方々には、私に想像もできないご苦労があると思うが、それでも一日も休み無く、テンションを維持して走り続けることの大変さは実感できる。自分より激務な人が沢山いることを知らない、井の中の蛙となってしまっている官僚が大勢いることを悲しく思う。
さて、先週1週間かけて、家内がホームページに色々と手を加えてくれた。まず、イメージカラーのオレンジに統一。更に、後援会入会とご意見投稿のフォームを作ってくれた。早速、何人かの方から後援会入会の投稿を頂き感激。皆さま、このホームページについてのご意見もお待ちしてます!
今日は昼から民主党静岡県総支部連合会(→リンク集)の年に1度の定期大会。静岡駅前のホテルアソシアターミナルで。
来賓の挨拶に続いて、野田佳彦国体委員長の30分の講演。昨年9月の党代表選のとき、静岡県連の議員のほとんどが野田支持で結束し、野田議員の地元千葉を上回る全国一の得票率で関係者を驚かせた。野田議員は「この静岡の、それも盟友鈴木康友議員の依頼とあれば、妻の40歳の誕生日でもお断りできなかった」とのこと。野田議員と鈴木議員は松下政経塾の同期。
野田議員の演説のうまさは民主党内でも定評がある。随所に笑いを取りながら、ポイントはしっかりと胸に響く訴え方。田村も大いに感動した。国対委員長としての仕事の話の中では「野党共闘も大事。野党4兄弟の長男として、きかん坊次男・自由党、理詰めの三男・共産党、駄々っ子四男・社民党をたばねるのは大変」。党の目指すべき方向性として「党が1人に頼るのは危うい。それで細川政権も新進党も崩壊した。これからの民主党は、宇多田ヒカルや浜崎あゆみに頼るレコード会社では無く、モーニング娘。のように後藤真希が抜けても新たな人が入って盛り上がる、そういうチームととしての安心感が大事」「皆、ド真剣に考えている。それにしっかりと耳を傾け、受けとめることのできる政党であるべき」。
野田議員の講演に続いて、田村は議長として議事進行。最初に少しだけご挨拶。やはり緊張してしまった・・・。野田議員の講演を受けて「私も早くチーム民主党に加わりたい」と言ったのはまぁ良かったかな、とは思うが、やはり口調をしっかりしないと。
人事・会計・活動方針案などの議事を担当議員が説明。新体制として、代表・細野豪志、代表代行・津川祥吾、幹事長・藤田寛(県議)の3役。他の国会議員は皆、副代表。筆頭格の総括・渉外担当副代表として榛葉賀津也。来るべき総選挙に向けて、若さを前面に出した布陣に。田村は、県議や市議とともに常任幹事(広報担当)に。
3役の挨拶に続いて、細野新代表の音頭で「ガンバロー」。さぁ田村もガンバルゾー!
今朝は興津駅で初めて。6時半から9時頃まで2人でひたすらチラシ配り。
今日は、富士川町出身の田中健くん(→リンク集)が、彼の選挙を手伝った学生2人とともに凱旋帰省。昼すぎに合流し、多くの人を紹介してくれた。「僕も、早く田中先生に続くべく頑張ります」と言うと、大体の方は「健ちゃんが先生だなんて」と笑い、「けんちゃん2人で頑張ります」と言えば気持ちが通じて、とても気持ちのいい挨拶回りだった。
夜は、同級生を数人集めてくれて飲み会。夜中まで楽しいひととき。
朝6時、富士宮の仲間の家から直接、富士市での会合へ。その会合も、細野事務所の田原さんにお誘い頂いた。同世代の方が何人かいて、暖かく迎えて頂き嬉しい気分に。
東京から、以前から応援して下さっている方お2人が出張の途中に寄って下さった。吉田直人さんは、携帯のサッカー新聞「オーレ!ニッポン」を配信する会社(株式会社イオレ→リンク集)を経営している人。もう1人は、サッカー日本代表のサポーターの取りまとめ役の松下さん(ニックネーム「まっつん」。J-SupportersというNPOを設立準備中)。エスパルスの話を色々と伺った。世の中複雑だなぁ、と・・・
細野豪志候補と最初に出会った学生、関根義人君(日大三島4年。細野豪志著「パラシューター」参照)から電話があり、今、友人と静岡にいるとのこと。ちょうどいいタイミングだったので、関根君と友人の岸君も合流。楽しい夜になった。
午前中に、細野事務所の大番頭の田原さん(細野豪志著「パラシューター参照」)がわざわざ草薙の田村事務所に来て下さり、スタッフの鈴木君に色々と指導をして下さった。大感謝。
昼前に富士宮へ1人で(鈴木君は清水で事務作業)。富士宮では、4月に市長選と市議選が両方あり、どれかの候補の応援に関わった人は、私に会うと、当たり前のように他の方を紹介して下さる。本当に有難いこと。夜は、仲間数人で飲む。途中、仲間の1人の父親が合流し、大いに激励して頂いた。飲んでしまったので、車を運転して帰るわけにもいかず、仲間の家に泊めて頂く。大晦日に静岡に引っ越して来て以来、上京したときを除けば、外泊は初めて。夜更けまで選挙談義。
今朝は、初めて西富士宮駅で。到着が遅れて7時半から8時半まで1人でチラシ配り。露骨にイヤな顔をする人がいて「まぁ初めてだからしょうがないか」と思っていたのだが、仲間によると「あそこではいつも共産党がチラシ配りしてるから、きっと間違われたんだよ」とのこと。次回は、今まで使ったことが無い民主党のノボリを使ってみようと思う。
夜は、東京でお世話になっていた中島光一郎さん(人生蘇生プロデューサー http://homepage2.nifty.com/pica-ittuko)が出張でいらっしゃり、ご一緒した。日本の地方を200か所以上回った方で、1時間ほど街を歩き回れば、その街の雰囲気・トレンドなどが分かるとのこと。中島さんイチオシの串焼屋「金の字」へ。火曜日なのに混んでいるし、客層もいい。何より美味しい。おまけに私を知って下さっている方に声までかけて頂いた。
中島さんと別れた後、友人に呼び出されて合流。会社の経営者の方を紹介された。「今の民主党はねぇ」という話になり、ついつい真顔になっているのに途中で気づき、一昨日の教訓(1日の日記参照)を思い出し、つとめて笑顔に。するとその社長さんが「おぉ、その笑顔いいねぇ」と会話もはずんだ。やはりちょっとしたことで違うものだなぁ、と。
今朝は6時すぎから8時半まで清水駅で。7時すぎまでは鈴木君と2人でチラシを配り、それ以降、田村はメガホン。
9時から静岡で民主党静岡県連の会議。7日の県連大会以降の新体制の協議。「若さと起爆力」が決め手となり、静岡県連の顔(代表)は細野豪志議員に。全国で最年少の民主党県連代表だろう。これからますます楽しみ。