きまぐれがき
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軽やかな春の装いで。。どころか、とんでもない寒さだった先週の土曜日。 私は薄物のお洋服、インナーなどはペラペラ透ける素材のノースリーブ ですよ。 出掛けに、それはいくらなんでもと家人が騒ぐので、ミンクでフワフワ と縁取られたカシミアの大判ストールを身体に巻きつけて行って正解だ った。
それでも早朝の京都駅、新幹線を待つ間ホームに立っていることができ ない寒さに、自分の年齢を省みない季節の先取りの装いは酷であると つくづく感じたのだった。
やっと新幹線に乗り込んで座席に行くと、すでに乗っている隣席の女性 はお化粧の真っ最中で、もうベースは大阪・京都間で済ませたらしく、目 の周りを塗りたくっている。 あの揺れる車内で、リキッドのアイラインをひいたのには驚いた。 友人に、鏡を見ないでアイブローを描き、口紅もぬってしまう油壷夫人っ ていうのもおりますけどね。
隣席の女性、大阪から乗って小一時間、顔で遊んでいるといった感じだっ たが、やっとお化粧が仕上がったのは名古屋の手前だった。
この駅で降りるらしく列車がホームに入って行くところで、コートをガサガ サと着たのだが、そのコートから「家を出るまで獣でもくるんでいたのです か?」と訊いてみたくなるような、動物の毛が濡れた時の臭いが漂ってき た。 それにむせてしまった私は、浜名湖辺りまで咳が止まらなかったのです けど。
東京はさほど寒くなかったとはいえ、麻実れいリサイタル(ターコさんの ことはブログ3/25を見てね)のソワレの時には毛皮を着ていらした方も見 かけた。 こうして三寒四温を繰り返し、桜の開花を迎えるのね。
明後日に上京するというのに、まだぐずぐずと微熱が下がらない。 長い風邪ひきで家に引きこもっている間に、世の中は陽射しも一段と 明るくなって春めいて来ているのだもの、冬の衣は脱ぎ捨てて、軽や かに装わなければと、美容院、ネイルサロン、デパートと周って来た。 その間、ふわふわと雲の上を歩いているような感触。熱のせいだ。
買い物も早々と切り上げて、帰宅してから内科へ行ってみると、この 間まで元気だったドクターは、ついに患者の風邪がうつってしまった らしく、熱があるのか目が潤んでカルテに書き込みされるのも辛らそ うなのだった。
私は、とにかく微熱と咳をどうにかしてほしいと手短に訴え、ゼイゼイ ひどく咳き込んでいるドクターに「お大事になさって下さい。。」と言っ て、早々と診察室をあとにした;;
「お、今日はめぐちゃんのお母さま、お雛様を飾られたのね」と、めぐちゃ んのブログを読んだあの時に、我が家でも飾ってしまえばよかったものを 。。 ぐずぐずしているうちにすっかり忘れてしまった、ひな祭り。 毎年「大安に飾りなさいよ」と気にする母も(カトリックなのに;;)どうした ことか今年は静かだったしなぁ。
ひな祭りが頭の中から抜け落ちてしまったなんて、これまでの私の人生 でなかったことですよ〜ちょっと不吉? 当日になって、はたと気がつきはしたが、いまさらジタバタしてもどうだろ う。 あっさりと、もう今年は雛たちにお出まし戴かないことにした。
だいたい微熱が続いているせいか、納戸の天井に近い棚に置いてあるお 雛様のセットを、梯子を登って降ろしてくる体力などないもの。
それでも一応娘のお雛様だし、これまた風邪の熱で寝込んでいる小まめに、 「お雛様の箱のフタを開けて、顔だけでも見てくる?」と訊いてみると、 やっぱり、梯子を登ってまで見に行く気力はないからいいと、断られた。
長風邪のため母娘ともに、体力、気力が失せてます。。
久しぶりの発熱40度でダウン。 昨夜あたりからやっと37度までに下がってきてはいるが、まだだるい。 フラフラする。
何日も前に、桃が食べたくてしかたがない時があったなぁ。 あの時、すでに熱が出ていたのだと、はっ!と気がついた。
子供の頃、熱が出て食欲が失せても、桃だけは食べることができた。 時期的に桃がなければ、缶詰の白桃でもよかった。 むしろ缶詰の桃のほうが、柔らかくて甘くて嬉しかったりしたのだ。
さなえちゃんが、缶詰の白桃を入れたガラスの器を持って、寝ている私 の枕元に来る。 缶詰の桃は半分に切った状態で、甘いシロップに浸してあってツルンと したお尻みたい。 それをさなえちゃんはフォークで一口大に切っては、寝たままの私の口 に入れてくれるのだが、「いいと言うまで飲み込んではダメ」だと言って、 上顎と舌で押しつぶして飲み込もうとする私の口元を、ずっと見張って いるのだった。
さなえちゃんのことが親よりも怖かった私は、口の中でとっくにとろけ てしまっている桃を「いい」というまで無理にかみ続けていた。 「よくかんで偉い」とほめてくれるのを待って「明日も学校、休みたい」と 訴えると、さなえちゃんはとびっきり優しい声で「休んでいいよ、学校へ 行くのは来週からでいい」なんて言ったりするので、私は熱が下がった後 も平気で何日も学校を休んで、家で遊んでいたのだ。
さなえちゃんを知らない人間は、○○家のモグリだといわれるほど、その 存在は親戚中にも、兄や私が通う学校にも知れ渡っていたので、いったい 私とはどのような関係の人なのか訊いたことなどなかったけれど、多分ず っと家にいる人なのだと思い込んでいたのだと思う。
ところが別れの時が、不意にやって来た。 小学校の5年生だった1月のある日、学校から帰って家のベルを押すと、だ いたい何時もはさなえちゃんが、お風呂場で履くビニールの靴を履いたま ま(お風呂掃除をした後は、ずっとこのビニール靴で家中を走り回っている ので有名だった)ドタドタと廊下を走って来る音がして、ドアを開けてくれ るのに、その日からはどこにもさなえちゃんの姿はなかった。
さなえちゃんはよその家に行ったと教えてくれたのは、多分泣き止まない 私を見かねた兄だったと思う。家族は知っているのに私だけが知らない、 それにも傷ついて私はずっと拗ねていた。
あれからどれだけの時が経ったのだろう。 数年前に祖母が亡くなった時、親戚や縁者でごった返している座敷で、 さなえちゃんを見つけた。 兄が「この人誰だかわかる?」と、私を指差しながらさなえちゃんに訊ね た。 さなえちゃんは慎重に考えている様子だったが「わからない」と答えたの で、またもや私を傷つけるのかぁ〜と悲観しそうになったところに、兄が 「○○だよ(←私の名前ね)」と言ってくれた。
するとさなえちゃんは「えぇーーっ!!あの真っ黒で、ゴボウみたいだっ たのがっ!?」と叫んだのだ! この意外な言葉(>_<)
それからは二人で別室に閉じこもって、桃の話をしては笑いころげたり、 泣いたりして、お互い人生が過ぎていったねなんて、感慨に耽ったのだ った。えっ?私、さなえちゃんよりふた周り近く下のはず。。
夫が出張でいない今朝は寝坊して起きられず、ゴミ出しも忘れた。 キッチンは冷え切っていて、雨戸は閉じられたまま。 ポットにはお湯が沸いていない。 食卓のセッティングもされていなければ、朝刊も置いてない。 犬たちはお腹をすかせてクフ〜〜ンと鳴いている。 何から始めていいのやら、茫然とキッチンで立ちつくす私。
日頃はそれらみんな、出勤前の夫がしてくれているのだものなあ。 お陰で私はいかに呑気な朝を迎えられているかということだなあ。 と、すこしは反省しなくてはいけない。
なのに、お昼過ぎにかかってきた夫からの電話に、朝は大変だった、 ゴミも出せなかった、小まめは遅刻した、と話すと 「しまったな。電話でおこせばよかったな。」 と、夫は即反省するのだった。
「あ〜反省されてしまったよう」と、また反省してみる私。 反省反省って、口ばっか。。今誰かがささやきながら、向こうへ 去っていった気配が。。^_^; 夫が単身赴任中は、毎朝電話で起こしてもらっていたのだ。
あれほど拘っていたフォートナム・メイソンのジャム(参照04.9.17付)は 「同じ食品を何年も食べ続けるのは危険よ」とMちゃんに言われて、 あっさりこのサラベスキッチンのオレンジアプリコットに替えました。
こちらでしたら、近くのスーパーに並んでいるので♪。。 しかしホコリを被っていたぞ。売れてないのか;;
2005年02月10日(木) |
たかが火傷とあなどるなかれ |
低温火傷は怖いときいていたとおり、一晩かかってじわじわと焼けて いった足(向う脛のやや側面)は、表面直径5cm程度の火傷ながら奥 が深く、もう少しで骨まで焼けるところだった。
お布団の中に入れておく電気アンカというのか、電気コタツというのか 四角い箱を、とにかく私は抱えて眠る。 以前は電気毛布に包まって寝ていたが、ある日、目ざめて驚いた。 身体中の水っけが吹っ飛び、全身カラカラの干物のようになっていた からだ。それからというもの、電気箱(?)を抱えることにしたのだ。
眠りながら一晩中、足がなんだかヒリヒリするなぁ、焼けているような 気もするなぁと思ってはいたが、こんな見事な火傷となっていたなんて。 「ウエルダンに焼けてますね〜♪」と確かにドクターは笑ったぞ(怒)
「骨にまでは達していない」とおっしゃったけど、ほんとかな。 かれこれ20日近くになるのに、今日も痛み止めをもらってきた。
ガーゼをはずして、表面の硬くなった部分を診せながら「あともう一息 ですよね」と言ってみると、「ダメ!ダメ!この硬い部分を取り除かな ければ」と、ピンセットで剥がしにかかった鬼ドクターめ!
「見ないほうがいい!見ないほうがいい!目から入った情報で痛みが 増す!!」とドクターは一人興奮していたけれど、私は「へ〜きで〜す」 と、ドクターのお手並みをしっかり見ていた。 「痛かったら言ってね」「言ってね」「痛いでしょ?」「痛いでしょ?」と いつまでも興奮状態のドクターを黙らせて平静にするにはどうしたら よいものか。。なんだか汗かいてしまった。
オホーツク海に流氷を見に行ったMちゃんからのお土産はマリモでした。 「網走刑務所の写真を沢山撮ってきてね」とお願いしていたのに、 すごい吹雪でなにも見えなかった。。とのことでした。
カモメよ。。
ぷはぁ〜 前回の日記でピーター・パンをピターピターと、とう とう最後までピターにしていたのを、こっそり直しておきました。。
オリバー・ストーン監督の「アレキサンダー」のポスターを見てM ちゃんは、「アレクサンドロスって呼んであげたい」とボソッと呟い た。私も激しく同意。 子供の頃に、読んでいたアレキサンダー大王の伝記を見た祖父 が「アレクサンドロスが正しい」と言ったのを忘れられないからだ ろう。 英語読みにしてしまうと、子供時代の感性でとらえた大王の人生 があやふやなものとなって、まったくの別人のように思えてしまう。
この映画は、男色についても、もちろん描かれてあるのだろうな? とぼんやり考えたのは「ハドリアヌス帝の回想」をやっと読みはじ めたからだ。 Mちゃんに「読んだ?」と訊くと、「イギリスのハドリアヌスの長城 にも行ったよ」と答えた。 ハドリアヌス帝も、カエサルのようにブリテンを訪れているのだ。
「あの広大なローマ帝国を治めるのは気が遠くなりそうだ、だいたい 紀元前後の時代を考えただけでも、私は気を失いそうだ」と言うと、 「だからハドリアヌス晩年のーーさまよう愛すべき小さな魂よーーに 心打たれるんだよ」とMちゃんは厳かに言った。
さっきまで某週刊誌のスキャンダル記事に茶々を入れていた同じ 人物とは思えん。。。(これについてはblog 2/3を)
2005年02月01日(火) |
体調が悪い時のネバーランド |
吹雪の中「ネバーランド」を見に近くのシネコンへ。 作家がピーター・パンの戯曲を書いていく過程を、見ることができ るなんてワクワクするなぁ嬉しいなぁ。
観客は私以外いないのか〜?と座席について、辺りを見回して いると急に寒気がおそってきたので、身体を温めなくてはと ココアを買いにロビーに出て、ついでにそのココアでバファリンを 飲んでみたら今度は頭痛がジンジンしてきた。
最悪だ。 ジョニー・デップの抑制の効いた演技が好きなのに、生あくびが 止まらない。 作家が公園で子供たちに出会って、ひとしきり遊び、別れるシーン までは覚えている。 不覚にもあとは眠ってしまった。。 でも頭の中では、映画の中の台詞が飛び交っていたので、私は 映画を見ながら寝ているのだとずっと意識しながら。
目ざめると、子供たちの母親の体調がかんばしくないという。 そのシーンを見た途端、物語の脈絡はさっぱり分っていないのに 突然泣けてきた。 それからというもの、とめどなく流れる涙で顔がすっかり冷えてし まった。
ピーター・パンはこうして誕生したのですよ〜が描かれていたはず の真ん中の肝心の部分をすっ飛ばしたがゆえに、母もの映画と勘違 いしてしまったのか?私。 さらに、この映画を見たかった目的って何だったの?>自分 結局、最大の見所を見ないで、完成した「ピーター・パン」を舞台で 上演するところを見て帰ってきた。 当然のことながらイアン・ハートも見逃している。
体調が悪い時には目的を果たせないことだってあるよね〜で、あと はDVD化待ちっていうことね。グッスン。
シネコンまでの風景って、まるで日本昔話の世界;
2005年01月27日(木) |
グチは続く。。グチグチと |
やっぱりワイシャツは襟とカフスが命でしょ。 白○舎から戻ってきたワイシャツの襟にくっきりと一本の皺。 それも一番目立つ前のところに。
ちょっとわかり難いですが、ほんと見苦しい皺なのです。
これが初めてではないのだ。ここ半年の間に何度もなのだから、 もう黙っていられない、文句を言いたい! 「よせ!よせ!」という家人を振り切り、白○舎の取次店へ証拠品 のワイシャツを持って家を出たのに、途中で勢いが消滅してしまい 引き返してきた。 別にクリーニング店を替えてしまえばいいだけのことだよね。
職人気質のおじさんが、窓辺でスチームの蒸気をジュウジュウ立ち 昇らせながら、神経質そうにアイロンを滑らせている手作業なんて、 今どきそんなクリニング店はないのだろうな。 このワイシャツだって、どうせ工場に送られて機械でギュッと押し付 けられて、機械でたたまれているのだろう。 「おのれの職務に目ざめろよ」と機械に言ってやりたいが、ポカ〜〜ン ??だろうし。。
母は、「あら30年ぐらい前の、町の蒸気ジュウジュウのクリーニング店 でも、ワイシャツの襟とカフスは機械でプレスしてたわよ。 洗足池のクリーニング店なんか、ベッドカバーのような大きな物はプレ スで焦がした部分を見えないようにたたんで戻してきたし、手作業も良 し悪しよ」と、この後もいかにそのクリーニング店が悪だったかという話 を延々としたのだった。
帰京したおり定宿にしているホテルで、どんなに急ぎのプレスを頼んで も、あれぇ〜〜新品?と見間違えてしまうような美しさで戻ってくる感動、 あんなふうには仕上がらないものなのかしらと、まだブツブツ。。。
米大統領就任式のTV中継時間まで、DVDに落としてもらった 「女たちの十二夜」を見ながら待っことにしたところ、これが予想 以上に面白くて最後まで見てしまった。 (「女たちの十二夜」についてはblogに。分散させてスミマセン 汗) えっ?就任式は? 当初の予定などすっかり忘れ、DVDを見終 った時点でTVを切って寝てしまったのだ〜トホホ
大国の権力の頂点、聖書に手をかざしての宣誓は陶酔の極みだ ろう。 4年後の次期就任式には、もしかしたらその手が女性の可能性も ありだし、ご夫人たちのドレス(コート姿ですが)とバッグもチェック しながら、単にショーとして楽しみたかったのに。
夕刊に掲載された就任演説の要旨を読むと、派兵されている兵士 たちや、その家族たちを念頭においたくだりは、あって当然だと思う が、なんだか一期目の政権の選択の正当性を、くどくどと説いている だけのように感じたのだけど。 この演説を格調が高いなどと言い出す人がいないよう、祈ってしまう よ。
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