きまぐれがき
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2004年02月14日(土) |
タイタス・アンドロニカス |
google 、バレンタインのキスがあまりにも可愛いので、勝手に 貼り付けてしまいました。
☆当HPからリンクで遊びにいけるたぷろうさんの「へなちょこ頁」が、 長い眠りから目覚め更新されつつあります。 まずは日記を設置されて、BBSへ書き込みしていただいた皆様へ 徐々にではありますが、ご挨拶をされていらっしゃいますのでお訪ね くださいませ〜 眠っている間にすっかり好みが変ってしまった?よくあることです? スティーブン・マッキントッシュよりも小栗旬にご執心らしい..... 可哀想なマッキン。仕事してるか?マッキン。
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Cinema/1992/
1月のある日。 阪急インターナショナルのカフェの入り口の数段高いところに立ち、 NさんWさんの姿をさがしてだだっ広いフロアーを見回わしていると、 すぐ前のテーブルで食事をされていた白髪のおばあ様と目が合う。
そこのテーブル、階段下のすぐのところで埃っぽくはないのかな、 などと思っているところへNさんがやって来た。 Wさん、それにTさんもやって来たので席に案内してもらい、 なにしろ私は1年ぶりに逢ったことだし、積もる話が喉からはみ出し そうなほどだったので、地すべりのようにしゃべり始めていると、 先ほどのおばあ様が席を立って歩いていかれる姿が目に入った。 見るとはなしに、その姿を目で追っていて気が付いた。 おばあ様だとばかり思っていたが、女ではなく男で、萩原流行なの だった。
そして「タイタス・アンドロニカス」観劇。 報復が報復をよぶむごたらしい殺戮の連鎖、シェイクスピアの テキストを読んではいないけれど、アンソニー・ホプキンス主演の 映画でそのおぞましさは充分に味わっている。
なので、血のりべったりはイヤだなぁと思っていたら、流れ出る血、 吹き出す血すべてリリアンのようなフリンジのような、真紅の紐状の ものが、長く幾筋も、傷口から垂れ下がっているのだった。 これが純白の舞台にいい効果をあげていた。
エアロンの台詞だっただろうか?「その人のものはその人に」。 これを訊いたとたん一瞬時が止まった。 どこかで訊いたぞ...... そうだ「カエサルのものはカエサルに」の聖書の言葉だ。 シェイクスピアはここに、この言葉を引用したのかと暗闇で ニンマリしてしまったけど......原著ではどのような台詞なのだろう。
すさまじく残酷な物語ではあるが、現実にだってどの世紀でも 同じようなことが繰り返されてきていることを、21世紀に生きる 私たちは知っている。 タモーラの遺体の前で タイタスの孫がタモーラの遺児を抱いて 絶叫するところで終わるのを観て、この敵対した者同士の子供達に 希望を託したいという思いが、そう簡単にいくことではない、今 地球上で起こっている紛争をみてごらんよ、と打ち消されてしまい そうになる。 その一方で、和解への祈りをこめて切実な思いで観てしまうのも事実だ。 と、シェイクスピアを観るたびに、思いはあれこれ彷徨う。
観劇後、何箇所かに場所を変えながら演劇話に興じる。 ギャハ!と驚いたのは、Tさんが『レイフ・ファインズの「ハムレット」 を観た』とさりげなく言った時だ。 ブロードウェイでたまたま空席があり、観ることが出来たのだ そうだ。 こんな身近に、見逃して身もだえするほど悔しかった舞台を 観た人がいたとは。いやはや世間は狭いことよ。
2004年02月10日(火) |
1月のある日 能登半島 (3) |
今朝も雪が降っている。 帰りの列車のチケットは3時過ぎなので、和倉周辺をあてどもなく ぶらぶらと巡ろうか? 他の旅館の温泉にも入ってみよう、私たちより1週間前に和倉に 来たたぷろうさんが話してくれた、野鳥公園の名物おじさんにも 逢ってみなければと、早朝から温泉につかってあれこれ本日の スケジュールを考えていると、またもや突然ペコちゃんが「やっぱり 金沢に寄る」と言い出した。
この列車を逃したら次の列車は1時間後だというので、9時過ぎ 食事もそこそこに支払いを済ませ、旅館のキャデラックリムジンで 和倉の駅まで送ってもらい、ペコちゃんがめざした列車にどうにか 乗ることができた。 なぜ私がペコちゃんの思いつきの行動に、あたふたとしながらも付き 従って行くかというと、協調性に欠けている者に逆らって気まずい 雰囲気にしたくないだけ。 情けだと思ってほしいヨ、ペコちゃん。
金沢では当たり前のように兼六園へ連れて行かれる。 平地にあるとばかり思っていたが、小高い山に造られた庭園だった のね。 積雪が60cmはあるだろう、池は凍りついている。 雪の兼六園は素晴らしいと訊いていたが、これではちょっと積もり すぎではないだろうか。 雪吊りの樹木だけが印象に残って、どのような庭園なのか分らない とペコちゃんにうったえると、「趣の分らない人ですねぇ」と厭味を 言われてしまった。
その雪吊りの樹木をカメラで撮るべく、足元が滑らないように 両足を開いてふんばって構えている股の間を、向こうからお尻を ふりふり歩いてきた鳩が、平然とくぐり抜けて行った。 もう!観光地の鳩ってば人馴れしているんだから。 この鳩、群れずに一羽だけでひょこひょことひたすら散策して いるので、もう一度雪をかき分けた細い道ですれ違ったりした。
香林坊の武家屋敷が続く路地を歩いていたら、 神楽坂の黒塀のある路地を歩いているかのような錯覚にとらわれた。
兼六園周辺や金沢の駅ビルのお土産屋に入ってみると、ペコちゃん はどのお店のおばさんやお姉さんとも顔馴染みで「あ〜ら、来てたの」 なんて声をかけられたり、「2割引でいいからね」なんて言われている。 金沢にはここ2年の間だけでも、仕事でかなり頻繁に来ているのだそうだ。 仕事は早々にきりあげ、お土産屋さんを覗き廻っては話し込んでいるらし かった。
3日の滞在で、7回温泉につかった私のお肌はしっとりツルツル〜 帰宅して10日経ってもまだしっとりツルツル〜 どんな化粧品のしっとりタイプをぬりこんでも、エステもどきで みがいても、このしっとりツルツル〜感にはかなわないだろうな〜
が、11日目には元のお肌に戻っていた。あ〜あ。
2004年02月04日(水) |
1月のある日 能登半島 (2) |
目覚めると今日も雪。 窓から眺める七尾湾は灰色に霞んでいる。
輪島行きのバスはペコちゃんと私だけを乗せて出発。 朝市は休みだと訊いていたのに、ペコちゃんが突然輪島に行くと部屋を 飛び出したので、私はスニーカーを履くまもなく、かかとをふんずけた まま旅館を出て、バスに間に合ったのだ。
バスは能登半島を横切るかたちで、雪が吹き付けるなかを輪島へと 向かう。窓から見下ろす山間の村は、深い雪につつまれ静寂に支配 されているかのよう。
輪島のバスターミナルの辺りには、人一人いない。 道の遠くを見渡しても人影は見えない。地図を頼りに輪島塗のお店 を訪ねて、積もった雪をざくざくと踏みしめながら歩いて行く。 何軒か見て歩いても、値段的に手が届くのは手鏡かお箸ぐらいだ。 輪島塗は高価だねぇと認識を新たにしたようなものだけど、工程を 知れば致し方がないのかなぁとも思う。
朱色地に手書きの桜が描かれた手鏡が気に入ったので、ケースから 出して見せてもらう。 「これは塗りむらですか?」とくぐもった箇所を指差すと 「多分指紋か何かで.....」 店員さんがその箇所に、ハァーと息を吹きかけ布で拭きはじめたとこ ろ、手を滑らせたのか手鏡はピユーンと2m先に飛んでいき床に落下 した。 私とペコちゃんは同時にギャ!と声をあげて、落ちた手鏡を見つめる。 店員さんは「こんなことはべつに珍しいことではないです」とでもいう ように、ゆったり歩いていって拾って戻ってくると、床に当って塗りが 剥げてしまった部分を撫ぜながら「別の模様で気に入ったがあれば.....?」 と、無表情で言った。 動揺しているのは、私とペコちゃんだけのようだった。
もったいないな〜〜 ごくりと唾を飲み込みたくなるところだ。 でもやっぱり、この桜模様が欲しかったので、手鏡の入っている箱を 一つ一つ開けて探してもらい、やっと同じものが見つかった時には、 「あった!」と思わず声をあげて喜ぶと、ずっと冷静だった店員さんも 喜んでくれた。 ペコちゃんはというと、お箸を一膳選ぶにも塗りの仕方から模様の入り 具合まで、こんこんと説明をしてもらってから買っていた。
帰りのバスも乗客は私たち二人だけだった。
一旦和倉に戻ってから七尾城址へ、今度はタクシーで行く。 東京の白金にある、荏原製作所の創業者でいらした畠山一清氏の コレクションを収蔵した畠山記念館は、親戚の家に行くたびにその前を 通るので、よく立ち寄っては展示してある国宝や重要文化財の茶道具や 書画などを見せていただいていた。
(白金にある畠山記念館のHP) http://www.ebara.co.jp/culture/hatakeyama/index.htm
なので、先祖にあたる能登守護大名だった畠山氏の居城があった七尾 城址には、かねがね行ってみたいと思っていたのだ。
タクシーの運転手さんは、能登畠山氏と上杉謙信との合戦の様子を、 武将の声色まじりで話してくれる。 私は上杉謙信がどんな武将だったか忘れてしまったので、学生の頃に 読んだ「天と地と」を思い浮かべて、頭の中で頁を繰っていくが、 毘沙門天の「毘」の旗印しか思い出せないのだった。 運転手さんの話はどんどん熱がこもってきて、ハンドルから両手を離して ジェスチャーまで入るようになったので「お願いだから手を離さないで」と 怯えてしまったよぉ。
それにくわえて、後ろのシートにいる私たちの反応を確かめるように、 頻繁に振り向くのだもの、狭い雪道なので怖い。 こちらに振り向かせないように、私は懸命に相槌をうち、ついに落城する ところでは絶望して悲しみ、ちょっと大げさに反応を示してみたりした。
城址は雪が深くて登っていくことが出来なかったので、麓にある城史 資料館で刀や武具、冷泉家からの文など展示品を見て周る。 白金の記念館でおなじみの、畠山家の○の中に二が入った家紋を、懐かし い思いで眺めたりもする。
お隣には180年前の庄屋の茅葺きの住居が、当時のまま保存されている ので、内部を見学。 ここでは、おじさんが付きっきりで展示品を一つ一つ説明してくださる。 ペコちゃんはこの時代には興味がないのか、話に聴き入ると言うことが できないらしく、展示品の着物をさわろうとしたり、器を持ち上げよう としたり態度が悪いったらないので、にらみ付けると「なんで?」という顔 をしたので、さらに思いっきりにらむ。 また落ち着きなくバシッバッシとストロボをたいて、展示品を撮りまく っていくので「そんなことばかりしていないで、ちゃんと説明を聴いたら (怒)」 小さな声で言ったつもりが、なにしろ3人しかいない6畳間なので おじさんに聞こえてしまったらしい。 「いいですよ。どうぞどうぞ。写してくださいね〜」と機嫌よく撮影を許して くださる。
「ああこれこれ、これは撮らなくてもいいんじゃないですか。天井裏に むささびが住み着いて、天井板に穴を開けたものですから。 フンが落ちるんですよ」 次の間へ移動したところ突然出現した、畳の上に広げてある新聞紙は、 そういう訳だったのだ。
待っていてもらったさっきのタクシーで旅館へ。 帰りも運転手さんは、派手なジャスチャーで私たちを怯えさせたが、 楽しい気分にも充分ひたれたので、またここに来たいという思いが ふつふつとわいてきたのだった。
ペコちゃんが寝たあと、私は一人で館内にあるシアタークラブとかいう ところへ、雪月花歌劇団なるもののショーを観に行った。 お色気ショーを期待しているらしい酔っぱらったおじさんたちの団体や 家族連れ、カップルに混じって、一人で観に来ているのは私だけだ。 隣の席にいた熟年カップルは不倫旅行なのかもしれない。 男が、ゆかたに厚化粧付け睫毛ばっちり女に 「うちのおかあちゃんはな...」 「うちのおかあちゃんがな...」とおかあちゃんの話を盛んにしている。 こんなルール違反をおかしている男を愛してしまったらしい女は、動じ る様子もなく黙ってしなだれかかっているうちに、男の膝の上にうずく まってしまった。
おじさんたちの野次など何処吹く風の品行方正なレビューは、解散した OSK日本歌劇団のメンバーだったのねと、帰宅後にネット検索で知っ たのだが、あきらかに客層の異なる環境、彼女たちの心中は複雑だろう なぁ。
今夜も「美しい魂」の続きをよんでいるうちに、眠りの中へ。
2004年01月30日(金) |
1月のある日 能登半島 (1) |
昨年の紅白で石川さゆりの「能登半島」を聴いているうちに、 むらむらと私も能登に行きたくなった。 能登に行くなら温泉だ。温泉なら和倉がいい。 和倉なら加賀屋しか知らないよぉ。それではそこに行こう。 ということで今回のプチ旅行となった次第。
問題なのは一緒に行く人物のペコちゃん。 ペコちゃんは目を開いている間中は常に騒々しく動き回っていない と気がすまない性質なので、周囲の人間だけではなく犬やネコをも 疲れさせるのだ。 そんなペコちゃんと、ただのんびり温泉につかっているだけでも いいと思っている私とが四六時中一緒では、ふ〜ぅ 行く前から ため息。
前の列車が踏み切り事故に遭い、2時間遅れで金沢に到着。 払い戻しの証明印をもらう列に並んでいたら、数年前に亡くなった 金沢に住むOさんのことを思い出して悲しくなった。 Oさんはこの改札を通って、英語を教えに京都の高校に通い、その 合い間に東京や大阪、神戸、NYへと舞台を観に出かけていたのだ。 神戸のオリエンタル劇場で「ハムレット」を一緒に観た時には、 退院したばかりだったにもかかわらず、いつもと変わらなく元気で、 イヤリングのルビーの輝きが顔の表情をより明るくみせて、とっても 美しかった。 また以前のOさんに戻って、国内外を忙しく飛び回るものだとばかり 思っていたのに、訃報が届いたのはこの2ヶ月後のことだった。
和倉までは、スムーズに接続する列車がなくなってしまった為、 各駅停車で地元の学生達の中に混じってガタゴトと行く。 扉は手動で開けるようになっている。 私は京都を出てからずっと額を窓にくっつけるようにして、 外の風景を眺めっぱなしだったので首周りがこわばってしまった。
人や獣の足跡のついていない雪の原に、まだ深々と降り積もる雪。 冬のさなかに北国へ旅したのは何時のことだっただろう。 スキーにも行かなくなってずいぶん経つので、軒下に下がる5・60cm はあろうかと思われるつららや、こんなに深い雪景色を見たのは ほんとに久しぶりのことだ。
日もとっぷりと暮れた頃、宿に到着。 部屋は七尾湾に面した11階。窓の外は闇だけど明日の朝に見る 景色が楽しみだ。 ポチ袋に用意してきた心付けを、仲居さんにお渡しするタイミングが はかれずぎこちなくしている私を、ペコは漆塗の座卓の向こうから ニヤッと見ている。
それにしても二人で3部屋だなんて、背後に広い空間があるのって 落ち着かない。 寝るところは洋室なんだ?とフローリングにベッドの部屋を覗いて 呟いた私に「アナタが、洋室込みの部屋にしてって言ったじゃない」 せっかく旅館に泊まるのになんで?って思ったと不満そうなペコの声。
食事はお懐石。絶妙のタイミングで運ばれてくる料理のお味と器を 楽しんでいるところに、料理長や副社長が次々と挨拶にみえる。 そのたびに私は座布団からすべりおりて、ご挨拶をかえしているという のに、ペコは蟹の身をはがすことに夢中で「よろしく〜」と言うだけなので にらみつけて目で怒る。
温泉に入りに行くと香港(あれ?台湾だったかな?)からだという ツアー客が2人、着替えをしているところだった。 関空から長野を周って和倉に来たのだそうだ。雪見ツアーなのかな? と思っていたら、明日は東京へ行くと言っていた。 「これで旧正月のお休みは終わり」。そうか旧正月のお休みを利用して 来てくれたのね。 それでロビーや売店でも中国語が飛び交っていたんだ。 日本は海外から訪れる観光客が少なくて、アジアの中でも低迷して いるらしいので喜ばしいことだ。
お部屋に戻るとフルーツの用意がしてあったので、掘りごたつに あたってテレビを見ながら頂く。 いったい何時の頃のドラマなのだ? 30代じゃないかと思わせる、いしだあゆみと黛ジュン(多分?)が 出ていた。小林薫らしい俳優も出ていたが、違うようにも思えるので、 薫だと確信がもてるまで見ることにしたら、どこまで見ても確信できず 結局最後まで見てしまう。
ペコちゃんはとっくに寝たので、私一人窓を開けて外の暗闇に目を凝ら したり、深夜の静まり返ったロビーに下りてから、各階に飾ってある 九谷焼や輪島塗を眺めたりしてのんびり過すうちに夜も更けて...
島田雅彦の「美しい魂」を読みながら、眠りについた。
久しぶりにY子ちゃんに逢う。 そのY子ちゃんおすすめの居酒屋で遅まきながらの新年会。
夫のある身で、恋をしてしまったら..... 日頃冷静沈着で、常に理性の人であるY子ちゃんの話に、 「由々しき事態である」とぶったまげるやら慌てるやら。
老婆心という言葉が頭をもたげて、先行きのない暗黒へと 突き進んで行く前に阻止しなくては.....でもこれは人の恋の 邪魔をすることになるのでは....と心が揺れそうになった時、 ほっけの身を骨からむしり取っていたY子ちゃんが言った。 「もう切った」 恋は、自ら終わらせたと。 そうかそうか。
しかしこの話、結末から訊いていれば、私の老婆心は出る幕 などなく、駄目!駄目!と否定ばかりしなかったことよのぉ〜 と、一旦は思ったのだが、違う違う。 恋におちるのに理由などない、あの理性が勝っているように みえるY子ちゃんが、この先だって恋の病(今どきこんな言葉を 使うのかしら?)に侵されていることに、ある朝目覚めとともに 気がつくなんていうことだってあるかもしれないのだから。
ところで私...すっかり脂っけが抜けちゃったなぁ。 この病、私だって侵されるかもしれないとは考えないのだもの。 自分の恋の形見を拾い集めて、懐かしがる歳でもないのに。
おお〜今夜の冷え込みは厳しい。 毎年この時期には冬眠している私が、週末から能登半島。 今、着て行く予定のダウンジャケットを着てみたところ、 わきの下辺りがきゅうくつで肩がこりそう。 昨年末に着たときには、ゆとりがあった。お正月を挟むとこれだ。
2004年01月15日(木) |
新しい役への挑戦って どんな気分? |
見ちゃった、見ちゃった!「エースをねらえ!」。 やっぱりお蝶夫人は縦ロールで出てきてくれましたね〜 ただこの一点だけを確認すればよかったのだけど、最後まで 見てしまった。 宗方コーチが内野聖陽! 漫画の宗方と内野では、肌の感じがまるで違うぞ。 くふふ。。。あの目線、なんだかテレて背中がむず痒かった。
唐沢の財前教授だって何回か見ているうちに、原作との違和感が なくなってきたのだから、(でも「白い巨塔」は、唐沢の力みすぎ演技 に、見ていて疲労困憊するので、もう見ない)こちらもそのうち慣れ てきちゃうのでしょうけど。
今年の私の舞台初めは、「タイタス・アンドロニカス」。 下関、京都に住む友人たちは、私の観劇日に合わせてくれるという。 昨年の同じ時期に、同じドラマシティ、同じ蜷川演出で「桜の園」を 観て以来、1年ぶりに逢うことになるので楽しみだ。
この舞台、アンソニー・ホプキンスがタイタスを演じた映画で、 ジェシカ・ラングが演じたタモーラを麻実れい。 麻実れいにとって、デビット・ルヴォーやジャイルス・ブロックなど 海外の演出家との出会いが、演技の幅を広くし型にはまらない柔軟な 演技力の備わった、貴重な女優に成長させたのだと思う。 それにくわえて他を圧倒する美しさに存在感。
彼女を見ていると、世阿弥の「風姿花伝」にある真の花、 今まさにその時を生きている人なのだとの思いがする。
松もとれ、慌ただしい日常が戻って来た。 お正月のためだけに使ったお重箱や来客用の食器、飾り物の 羽子板などを片付ける。 今年も出しただけで、誰もしたがらなかった百人一首も片付ける。 最後に札を並べたのは、何時だったか思い出せもしない遠い昔だ。
幼い頃からずっと変わらずに好きで、この札だけは人にとられたく ないと闘志に燃えた
君がため春の野にいでて若菜つむ わが衣手に雪はふりつつ
の歌は、小雪が舞う日には今でも必ず思い出すというのに。
お遊び用羽子板。 お正月に限らず、この羽子板で遊ぶのが我が家ではちょっとした ブームになっている。 羽根というのが、そこそこ向こうに飛んで行ったとみえて、己の 足元にふんわりと落ちたりして、スピード感に慣れてしまっている 我々には、調子が狂ってしまうなんとも御し難い代物なのだ。
着物を着ていた時代では、まとわりつく裾や袖元をふり切りながらも、 ある程度制約されてしまう動きにかなった遊びだったのだろう。 カ〜ンカ〜ンと羽根突きの音がのどかで、郷愁を誘われていいんだな〜
さっき松もとれと書いたけれど、この松とはお正月飾りの門松の ことですよね? ああ無知。 そういえば私が子供の頃には、門松をたてた家が結構あった。 最近では、たまに可愛い鉢植えのミニ門松を見掛けはするが、 植木職人さんが設えたような重厚なものは、マンションの エントランスで見たことがあったぐらいで、普通の民家では とんと見ることがなくなってしまった。 ニュータウンのこの辺りの住宅では皆無だ。 だいたいプロバンス風、ヴィクトリア風、スペイン風... もろもろの今風住宅には合いっこないしね。
そのかわり、お花や動物たちの絵柄をほどこしたトールペイントの Welcomeボードが1年中門扉にぶら下がっていたりして、これも時代の 移り変わりとはいえ、なんかだんだん子供っぽくなって来ないか? あの方たち(ヤ○○ですね〜)の組事務所には、立派な門松が 飾られていそうだが、どうなのでしょうね〜?
初詣は平安神宮にするはずが、乗り換え駅で気が変わり、京都とは 反対方向の電車に乗って橿原神宮へ。
後方に見えるのが大和三山のひとつ畝傍山。
万葉集に、畝傍山を額田姫王にたとえて中大兄皇子が詠んだ歌が ありますね。
香具山は 畝傍ををしと 耳成と 相争ひき 神代より かくにあるらし いにしへも しかにあれこそ うつせみも 妻を 争ふらしき
神代の昔からそうなのだから、いまの世でも妻をめぐって争うのだよ、 などと勝手なことを言って、中大兄皇子は弟の大海人皇子から額田姫王 を奪ってしまったのでした。 お正月そうそうから、古代宮廷の華麗なる三角関係に酔ってどうする。 あやかりたいのか? 左に見えるぶら下がった板のようなものは、特大絵馬です。
その特大絵馬の前では記念写真を撮るべく長蛇の列。 しゅくしゅくとすすんでいく様子を少しだけ眺めてから参拝に。 うちの二匹の犬の分も、犬の気持ちになって願い事を頼んでおく。
今年も破魔矢の絵馬が可愛い。 この干支の木目込みもどきは日本で作ったものなのだろうか? 破魔矢についている鈴をリンリン鳴らしながら、昨年と同じこと を考え考え帰って来た。
2004年01月01日(木) |
今年もよろしくお願いいたします |
紅白(15・6年ぶりぐらいに見たのであった)の余韻、 天童よしみの「美しい昔」などを口ずさんでおりました ところ、ただいま新しい年がやって参りました。
明けまして おめでとうございます 皆様にとりまして 良い1年でありますように
大晦日の夕方には手抜きながらおせちも揃い、リビングに 置いてある見苦しいものは、取敢えず納戸と化している 和室に押し込んだので、かろうじて新年を迎える準備は 整った、とみなそう。 急な来客があってもこれで大丈夫。しかし和室の立場は どうなるのだ(汗)
朝1番に作ったごまめをつまみながら、その後のおせち 料理を手がけていたら、年を越した今も喉が渇いてたまらない。 50余匹の噛み砕かれたイワシがお腹の中に。
さて、朝まで生テレビの今回のパネリストは? 姜尚中、小林よしのり、吉田康彦...よ〜し見よう!
2003年12月28日(日) |
グズモードからの脱却 |
つつがなくクリスマスを迎え(といっても各々が、それぞれの お約束のディナーに出かけて行った家族離散の宵だったのだ)、 翌日からは、家の片付けにとりかかろうと思ってはみたものの、 どうも気合が入らずPC周りだけで、まる1日かかっても整理が つかない。
雑誌やパンフレットや通販カタログ、それに数多の紙ゴミを前に 、捨てるべきかとって置くべきか悩む私はハムレットだ。
結局積んである本を、ただ積みなおしただけのようなもの。 でも、この本たちの間から1万円札がのっぺりと出てきた時は 嬉しかった。 何故ここから? の疑問などどうでもいい。 札束だったらもっと感激したかしら? 札束がさらに束になっていたら、私も気持ちが舞い上がり どこかのタワーの展望台からヒラヒラとお札をまき散らしたり しちゃうのかしら?
と、脱線してしまったが、私はほんとに片づけることが苦手だ。 これはきっとグズな性格に起因しているのではと、帯の文字 「グズにつける特効薬!」に吸い寄せられて「いま やろうと 思ったのに」という本を読んでみたりした。
それによると、どうも完璧さに対するこだわりが、私をグズに しているらしいのだが、教えてほしい。 いったい何時、私が完璧などというものにこだわったりしたの だろうか。思いもよらぬことではないか。
グズ克服完全マニュアルには、ゴミ箱と友達になれとも書いて ある。とにかく溜め込むな捨てろ捨てろと。 物を捨てられないから、常にグズモードで生きているのだぞと。 ならばと、大きなゴミ箱を買いに出かける。
昨日はデパート今日はスーパと、歩き回って探したが気に入った ゴミ箱が見つからない。 あら、これって完璧を求めているのかしら? お正月を迎えるというのに、ゴミ箱ゴミ箱と、ゴミ箱のことしか 頭になくて困っている。
スーパーまで、40分かけて徒歩で行ってみた。 車で出かける何時もとは違って、周囲の風景を眺めながら のんびりと遊歩道を歩いて。
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