きまぐれがき
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2003年12月22日(月) ラスト・サムライ

「ラスト・サムライ」をやっと見て来た。

トム・クルーズの袴や鎧姿が、日本人の中にいても違和感なく
馴染んでいるので、見ているうちに彼ではなく、日本の役者が
演じているとばかりの錯覚をおこしてしまいそう。
軍服姿で出て来たのを見て「そうだった貴方はトム・クルーズ
だったのね」とハッと我に返る。
それにあの結末、まぎれもなくトム・クルーズ!お星様キラキラ〜
やっぱりハリウッドったら、と毎度のことを感じる。

オールグレン(トム・クルーズ)と勝元(渡辺謙)が固い絆で
結ばれていく過程が冗長となっているせいか、共に戦うまでになる
オールグレンの心情がよく伝わってこないことや、武家の女性の
描き方に不満が残るけれど、いいのだ。
オールグレンの最後の台詞にもあったように、またこの映画の
タイトルともなっているラスト・サムライ、勝元の生きざまだけを
見せてくれた映画だと思えば、う〜ん違うな...勝元を演じる渡辺謙
だけを見に行ったような私なのだから、不満なんか消え去ったという
ものだ。


スクリーンを見つめている目の端に、しばしば妙に明るい光を
感じるなと思っていたら、お隣の席の女性が携帯電話の画面を
眺めているのだった。
そのうちバッグにしまい席を立って行く。戻ってくるやまた
ごそごそとバッグから携帯電話を出してきて画面を眺める、席を
立って消える。
この繰り返しをエンドクレジットがスクリーンの下から立ち昇って
来ても続けていた。
そんなにこみ入った事情があるのなら、映画を見るの止めれば。
と、言ってやりたかったが、とうとう言えなかった。



2003年12月20日(土) かけらたち

キュリオケースの室内灯を交換するのに邪魔な器をとり出そう
として、手を滑らせ割ってしまった。



かけらを集めて、購入者である小まめの許しを請う。
「ほんとだ」
この一言に、拍子抜けする。


かけらといえばもう一つ、引き出しの奥でプチプチパッキンに
包まれて、眠っているのがある。

ここに寄らなければ京都に行った気がしないとばかりに、必ず
立ち寄る骨董通り。
なかでも「てっさい堂」はとくに好きで、店内に足を踏み入れ
たが最後、店主にとっては迷惑なことだろうが、私は帰りたく
ならない。

染付けに魅せられ、京都に出かけるたびにふえてきた古伊万里。
その中の一枚を、それは古伊万里ほど古いものではないけれど、
春先にやっぱり手を滑らせて割ったのだ。

自分で買った磁器なので、誰かに許しを請う必要もないだろうが、
この磁器の100余年に亘る長い旅路をここで終わらせてしまった
ことと、これを作った名も知れぬ陶工にたいしては申し訳ない
気持ちだ。でも多分大量生産品だ。

だけど、あの通りの建ち並ぶ骨董店をめぐって、どれか一つの
染付けを選ぶことに心をときめかせ、手にとっては戻し、その繰り
返しの中からやっと私のものとなった磁器だけに、諦めがつかず
引き出しに忍ばせておいたのだった。

久しぶりにかけらを出して眺めてみる。



未練がましいと言われようが何といわれようが、
やっぱり捨てられないよぉ。


「太陽の雫」で主人公のハンガリーユダヤ系の一族も、磁器のかけら
を捨てたりしなかった。
この映画は3世代に亘る物語(レイフ・ファインズ!愛!)なのだが、
現代を生きる若者によって過去を清算するかのように、古い家具たち
と一緒にかけらが捨てられるまで、そのブルーオニオンが効果的に
使われていた。





2003年12月14日(日) ふぅ〜

2ヶ月と少しの期間、ただ付き添っていただけとはいえ、ほとん
どの時間を静かな病室で過していた身としては、人ごみは恐怖だ。
なのに、母の用事、自分の買い物などでどうしてもデパートに
行かなくてはならず、この土・日、久しぶりに梅田を歩き回っ
てどっと疲れた。
年末のアメ横の雑踏が好きだったことなど今は昔、あの頃は
ただただ若かったのね。

ひと休みに入ったお店で「ここ、前からあったかしら?」と、
荷物持ちでついて来てもらった小まめに訊いてみる。
『「運命の女」を見に来た時にも入ったじゃない』
そうだった?まったく思い出せない。
それに「運命の女」を見たって?それはいったい何時のことよ?
バッグから手帳を出して過去へと頁をさかのぼるってみる。
ほ〜〜う
確かに記述があるけれど、う〜ん記憶からスポッと抜け落ちて
しまっているなぁ。
疲れやすくなった我が身に愕然とするだけではなく、痴呆に気
づく師走かな、だなんてコワイ。




最近はもっぱらアップルパイばかり。
目移りして迷うことなど決してない、可愛げのない女。


2003年12月11日(木) 忘却とはちがう?

先日やっと母が退院した。杖と手すりにしがみついての危なっ
かしい歩行、それも数歩で疲れてしまうらしい。
筋力が落ちないよう、せめてリハビリの時ぐらいの歩数は確保
させたいのに。




母を出迎えたのは、くまの天使を抱えるサンタさん。

デパートにでも行けばクリスマス関連グッズが溢れているだろう
けど、出かける時間がなくてネットで注文してみた。


入院中に、要介護認定の申請をしておいたので、早速、市の職員が
調査にみえる。
本人に心身の状態などをいろいろと質問されるのだが、「住所は?」
と訊かれて、母ってば「知りません。そもそもこちらの住所は覚えな
かったもので」なんて答えちゃってる。

そりゃぁそうだろう。
手紙を出す時には、同居をした際にさっさと自分で作った住所と名前
の入った判子をポンと押すだけで、そのたびに押された印の住所を
確認などしなかっただろうし。
電話でタクシーを呼ぶときや、お米などを注文する時には○○幼稚園
の隣の△△(苗字)です、と言えばすんだのだし、だいたい同居して
からというもの、母の手で何かに住所を記入することなどなかったの
ではないかしら。


それで思い出したのが、以前義父が脳外科で手術をした時のことだ。
術後の回復室というのか、病室に戻るまでの2.3日を過ごす部屋
では、義父の隣のベッドに事故で手術をされたばかりの中年の女性
がいらした。

ドクターや看護婦さんが、その女性に「名前は?」「ご住所は?」
「ここは何処なのかわかりますか?」など次々と質問をしていくのが
、義父のベッドの傍らにいた私の耳にも入ってくるので何とはなしに
訊いていたところ、それまでスラスラと答えていた女性が、
「ご主人の生年月日は?」で、「。。。。。。。」突然沈黙して
しまった。

ドクターも看護婦さんも、何度か同じ質問を繰り返していたが、
いくら考えても、考えても、「うぅぅぅぅぅぅ。。。。。。」と
声が詰まって答えられない。

私は全身が耳となって緊張した。

すると、それまでじっと黙っていたご主人がボソッと
「多分知らないんだと思います」と言ったので、「なぁんだ〜」と、
ドクターも看護婦さんも私も声をあげて笑ってしまったのだった。
最初から知らないものを思い出せるはずがないものね。

それにしても、ご主人の誕生日になどまったく関心なく過ごしてきた
結婚生活って、あっぱれでもあるよなぁ。チガウか (^^ゞ




2003年12月06日(土) そばの実がこんなふうに

北海道の友人から送って頂いたソバ茶を飲んでからという
もの、この香ばしい風味にすっかり虜となってしまった。
我が家に遊びに来る友人達にも「うちではね、お茶といえ
ばソバ茶のことなの〜♪」と、飲み干すそばから注ぎ足す
ものだから、みんなお腹をダブンダブンにして帰って行く。


木曜日のお友達と呼んでいる『週刊文春』を買って、真っ先
に見る頁でもある巻末の「私の取り寄せ便」。

ここを見ると私もすぐに取り寄せて、お味を確かめてみな
くてはとってもとっても気がすまない時期があった。
全国津々浦々からやってくる宅配便を楽しみに待っていた
ものだ。
なかには、なんだぁとガッカリしたものもあったけれど、
東海林さだおお薦めの南光梅をつかった梅干は、切らさず
に取り寄せを続けて5年になるだろうか。

はい今週のお取り寄せは?と、よだれを垂らさんばかりに
眺めた後、頁を前に繰るとやって来るのが「東西食遊記」。
もう食べ物のことしか目に入らないのぉ?と軽蔑されそう。

今週紹介されていたお店は東京・市谷の蕎楽亭。
お蕎麦屋さんにしては珍しく馬刺しやだし巻き玉子などの
メニューに並んでそば茶のアイスクリームが。



こういうものがあるなんて、知らなかった。
賞味!賞味!したい!


2003年11月29日(土) クリスマスも近づいて

いつも遊びに行っているとあるサイトに、新しく「素材の頁」が
できているではないですか。
予期しない素材たちの出現に、不意打ちをくらった感じの衝撃で、
息もつかずにダウンロードしてしまった〜〜
管理人さんのセンスの一端がうかがわれる、どれも素敵な素材
ばかり。

それに!「アダルトサイトへの使用は禁止します」と利用規定に
明記している素材屋さんが多いなか、「ぜんぜん平気、アダルト
サイトでもどんどん使ってください」だって。
大らかで太っ腹な管理人さんに、おもわずシビれてしまう。

その素材を飾りたくて、TOP頁をあのように替えました。
今はクリスマスツリーですが、しばらくしたらお花のリースに
してみようかしら? それともキャンドルにしようかしら?


我が家周辺では、11月に入ると同時にイルミネーションで飾られ
てキラキラ輝きだすお宅が何件も。
お隣は数年前にケヤキに絡み付けた電飾のコードがショートした
のか、ケヤキの梢は炎につつまれ消防自動車が来るなどの大騒動
をひきおこしたことが....
それでも懲りませんね。

今年の飾りは目もくらむど派手さ。
キラキラは、屋根のてっぺんから壁を伝い、ベランダの手すりを
這い、一旦庭におりて家を囲む樹木に絡んで這い登る、これすべて
が線ではなく面で、なのだ。
その輝きたるやまさに光の大洪水。

我が家はというと、お隣のおこぼれに預かっているものの、ひっそ
りと暗く沈んで谷底深くに落っこちちゃっているよう。


2003年11月26日(水) 新しいもの古いもの



「須賀敦子のアッシジと山の町」発売されております。
新しい本の頁をパラパラめくると、あ〜ん なんていい匂い。


古い本のかび臭いにおいも好き。
掛け軸などを保管する際にいれる独特の防虫剤(これ自体が
江戸時代っぽい古さに見えて...和紙で小さく包まれた中身は
お香のような?)のにおいも好き。

でも悲しいかな、アレルギー体質がこれらのにおいに過敏に
反応するので、図書館や古物商(アンティークショップと言えって)
を覗く時には細心の注意(といってもマスクをかけて長居をしな
いぐらいだけれど。)を心がけないとクシャミがいつまでも止まら
ない。
それどころか、図書館で借りてきた本を読んでいただけで、呼吸が
苦しくなって過去に2回入院している(笑)

本の頁を繰ったがために体調急変だなんて、「王妃マルゴ」で
猛毒を塗りこめられた頁に触れて苦しむ国王シャルルのようでは
ないですか。なんて。





2003年11月24日(月) グルジア

Nステのオープニングに「グルジアで無血クーデター」との
テロップが流れる。
そういえば議会選挙の結果をめぐって、かなり混乱している
とかの記事をネットのニュースで見かけたばかりだ。

シュワルナゼ大統領は、グルジアの大統領としてよりも
旧ソ連の外相としての馴染みのほうが断然深かったような
気がする。彼はドイツへの亡命を拒否しているらしい。

グルジアというと.....
まず思い浮かぶのがプーシキンの詩「歌うな、美しい女(ひと)
よ」だ。
 http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ango/9392/poem.htm

この詩にラフマニノフが曲をつけた歌曲を、いい加減な
ロシア語でだったと思うけれど母がよく歌っていたので、
うんと子供だった私は、負けずに日本語訳を朗読していた。
お陰でーー異国の生活と遠い岸辺をーーのプーシキンの詩
そのままが私の頭に刷り込まれたのか、私にとって異国は
というと、真っ先に浮かぶのがグルジアだ。

それと武田百合子の『犬が星見た』で描かれたトビリシの町
や行き交う人たち。

いつかTVで見たグルジアの人形劇では、終幕に自ら身体に
火を放ち消えていってしまった人形がいた。
あれはどんな物語だったのだろう。

この国の行方は......ここにも米の軍隊が介在しているの
だよね。



2003年11月23日(日) 時の流れって

この間久々に「シアターガイド」の頁を繰っていて、デヴィッド・
ルヴォーがブロードウェイで「屋根の上のヴァイオリン弾き」を
演出する記事に目が留まり、らら〜私が観て来たルヴォーは何処へ
行ってしまったの?と、以外な感じをもったばかりだったのだが、
今度は蜷川演出「近松心中物語 〜それは恋〜」の出演者を見て
我が目を疑った。

寺島しのぶには納得するとしても、阿部寛だって。
下関のNさ〜ん!信じられた〜?
隔世の感をぬぐえないね〜(笑)



この作品は平幹二郎と太地喜和子の印象が強烈だっただけに、
どうしても過去の舞台にこだわってしまう。
時の流れって惨い。
平幹にあの頃の若さを、そして喜和子の命を、返して欲しいと
「時」を恨みたいほどだ。


太地喜和子とは、帝劇の「シカゴ」を観に行った折、
休憩時間のトイレの鏡の前に偶然隣同士で立ったことがあった。
鏡の中でお互いの目と目が合うと、ニコリと微笑んだお顔が
いたずらっぽくて可愛いくて、グレーのスーツ姿のウエストが
折れそうなほど細かったことと共に忘れられない。


2003年11月21日(金) ナッチのようでナッチじゃないニャンコ



この画像には訳がある〜
ポストカードのニャンコなのだが...

あるサイトの管理人さんのご実家で飼っていらっしゃるナッチと
いうニャンコとうりふたつのように思えたので、わたしめったら
このカードに恋文をしたためてお送りしてしまう。
お優しい管理人さんは、今までに見たことのないようなズシリと
重たそうで、ウソのようなドデカ〜イ愛猫にそっくりな、その
カードのニャンコを早速ご自分のHPにUPして下さった。

私、その画像を右クリックで逆輸入して来てしまったよ。
それが、これなのです。
恋文のお返事までUPしていただいて.....身に余る光栄な
お言葉の数々、喜!喜!となっております。


「たわけたことをっ!」
ああまた訳のわからないことを綴ってますか(笑)


ニャンコの髭を見るたびに思い出すのは小学生の頃、
熱を出して2.3日学校をお休みしている時のことだ。
熱も下がって、明日あたりそろそろ学校へ行けるのではないか
という夕暮れ時になると、休み中のことが不安になるのを紛ら
わすためだったのか、決まってすることがあった。

マッチ棒を火であぶって熱をもたせては、飼っていた猫の髭
や眉毛を、1本1本クルックルッにカールさせていくという
けっこう根気の要る作業。
温かくて丸っこくて、適度の重さのニャンコを膝に乗せて、
この作業に没頭していると、気持ちもなごんで不安感も
どこかに吹っ飛んだのだろう。

私は年中熱を出して休んでいたので(親は気が付かなかった
ようだけど、あれは絶対に登校拒否だったのではと思っている)、
うちの猫は常にクルリンクルリンとしたカールたっぷりの髭と
眉毛となり、外に出て行っては、ご近所の猫たちから不気味がら
れて、いじめに遭っていたなぁ。
可哀想なことをしたものだ。

と、反省したところなのに。

この画像のニャンコの神々しいまでの立派なお髭や眉毛を
見ていたら、もう一度「マッチ棒をあぶりたい、クルクルしたい」と
いう思いがムラムラと込み上げてきたぞよ。
さぁどうする。



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