きまぐれがき
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2003年11月15日(土) そこから青い闇がささやき

新聞記事の切り抜きを入れた額がある。



「悲しみを抱いてチトーは逝った」。
旧ユーゴスラビアのチトー大統領が亡くなった時の追悼記事で、
1980年5月6日毎日新聞に掲載されたものだ。

この記事の最後の方に「チトー死後の国内の複雑な民族問題、
そして一層きびしくなるであろうソ連の圧力は、ユーゴを多くの
苦境にたたしめることだろう」とあるが、民族間の混乱は予感し
たとおりとなって、そこには大国の利害も絡んで旧ユーゴは
解体してしまった。
またソ連も、ーーーこの当時、ソ連が地球上から消えてしまう
などということを誰が予想し得ただろうかーーーあっけなく崩壊し、
東西冷戦の時代が終幕を迎えたのは周知のこと。

その間にユーゴで起きたことは、民族浄化という悲劇の深層を
なかなか理解できないまでも、目を覆いたくなるような悲惨な
ものだった。



そして.......
ついこの間。

書店で、表紙の美しさに、それも謎を秘めたような眼差しに
惹かれて手にした一冊の本。

チトー時代のサラエボに留学して現地に住み続け、チトーの死を
見送り、その後のNATO軍の空爆を経験した詩人山崎佳代子氏の
エッセイ「そこから青い闇がささやき」には、日本にいて報じられる
ものを見たり読んだりしただけでは見えなかったことが、たくさん
溢れていて胸がつまってくる。


帯にある一文が悲しくて苦しい。

ーーー最初は、死者が名前で知らされる。
それから数になる。
最後には数もわからなくなる.......
この地上のどこに、
爆弾を落としてよい場所、焼いてよい村、
ころしてよい命があるのだろうか。ーーー



娘をしっかりとその腕で抱きしめる母。
この油絵のタイトルをそのまま本のタイトルにされたそうだ。


2003年11月06日(木) 老兵なんて言わせない

「あのギャラリーは賑やかなおばあちゃんたちで圧倒
されるんだから」と、看護婦さんに訊いたからには
遊びに行ってみたい。

入り口に立って室内を覗いている私に気がついた、
一番奥のベッドで寝ているおばあちゃんが「おいでおいで」
と手招きしている。
そばに行くと「退院が決まったので嬉しくて」と初対面の
私におっしゃる。ベッドにかかっている札を見ると、入院は
2ヶ月前の日付が記されている。
「それはおめでとうございます。2ヶ月ぶりにお家に帰れるの
ですね」「そやねん。年寄り仲間がみんな待つてくれてるねん」
お布団を跳ね除けてガバッと起きるや、両手を胸の前で合わせて、
恋人に抱かれるかのように、うっとりとした表情をされたので
私も嬉しくなった。
このおばあちゃん82歳。

そのお隣では、たまにトイレでお会いするスキンヘッドの
おばあちゃんが、ゴソゴソとベッドの上で着替えをして
いらっしゃる。仕切りのカーテンを開け放しているので
一部始終を見させていただく。
サササ〜としなやかに着替え終えたおばあちゃんは、墨染めの
お着物姿となってベッドの下からゾウリを探し当てスルリと
履かれる。尼さんだったのだ。

「よいお天気でございますね。これから出かけてまいります」
檀家にでも行かれるのか一時外出なのだそうだ。
杖をつかれてはいるが、お迎えの方にもたれかかるように
出て行かれた。
このおばあちゃんは83歳。

あちら側では「子供も孫も、だれも来てくれない」と、やおら
ベッドから降り不自由な足で靴を履きだしたおばあちゃんに、
こちら側のベッドから、昨日手術をしたばかりで「痛い痛い」と
唸っていたおばあちゃんが「廊下にでたらあかん!転んだら
危ないやろ」とすごい勢いで怒鳴っている。
あちらのおばあちゃんも、こちらのおばあちゃんも86歳。

怒鳴ったおばあちゃんに付き添っている初老の娘さんは、
「うちは痴呆がすすんでもいるんやけど、口は達者やねんよ」と
本人に聴こえるように言ったのでハラハラする。

空いているベッドを指して「このベッドにいたおばあちゃんは
96歳やったけど、リハビリ頑張って老人ホームに帰りはった」
と教えてくれたおばあちゃんのお顔をよく見ると、この間、杖を
つかずに廊下を歩いているところをドクターに見つかって叱られ
ていたおばあちゃんだった。
「ちょうどおこられているところを目撃しちゃった」
「そや。さっきはスリッパで歩いていて、また見つかってん」
大腿骨を折って、まだしっかり歩くことができないのに、
リハビリ用の靴ではなく、子供が大人のスリッパを履いている
みたいに、自分の足よりもたっぷりとかかとが余っているスリ
ッパでトイレに行ったり、電話を掛けに行ってしまうらしい。
「いちいち靴はくの、めんどうやしな」
このおばあちゃん87歳。

「付き添って面倒みているのは、どこも実の娘でんな」と、
お隣のおばあちゃんに話しかけているおばあちゃんは88歳で
入院5ヶ月目だそうだ。
嫁との間に何かあるのかと思わせるような発言だ。
オールバックがりりしくて、一瞬おじいちゃんが混ざっている
のかとドキッとしたが、女だった。
長い入院生活で髪の手入れだって大変なのだろう。
ならいっそうのこと、という訳だ。

「あのお方は耳が遠いさかい一方的に話しよりますねん。
話終わると同時にコトッと眠りはるよって羨ましいです」と、
話しかけられた方のおばあちゃんはクスクス笑っておっしゃる。
83歳、そのお顔のあるベッド周りは、ぐるりとぬいぐるみの
お人形で埋まっていて、どれがおばあちゃんのお顔なのか、
まじまじ見ないことには判断がつかなかった。


なんだって私、年齢ばっかり訊くのだ。
こんな不躾な変な女の出現にもお気を悪くされることなく、
おやつまで下さり、帰り際には「また遊びにおいで」と
手を振って見送ってくださった80代のおばあちゃん達。
骨折して、手術をして、入院当初は付きっ切りだった家族も、
日が経つにつれてたまにしか顔を見せなくなったりして
さみしい思いをされることもあるだろうに。
それでも数ヶ月の入院生活に耐えて、逞しいんだな。





2003年11月04日(火) それぞれのつぶやき

遊び道具のテニスボールを、落ち葉の塊のなかから
探し出してくるのもおつなもんです。
秋の匂いというおまけがついてきますからね。





はらはらと散った落ち葉も、風がひとたび吹いただけで
いつのまにか掃き清められたようになってしまうのなら、
今年の落ち葉は 風まかせ。





2003年10月27日(月) 我が心の故郷

ここのところずっと2・3時間の睡眠時間につきフラフラ。
昨夜は、早く寝ようと新聞を片付けながらふと目にした
TV番組欄に「寺田瀧雄メモリアルコンサート」とあるのを
見つけてしまったので、その試みは見事くずれた。
深夜1時からだなんて非情な。
録画をしながら、結局最後まで見てベットに倒れこんだのは
4時だった。

2000年に交通事故で急逝された先生が、宝塚のために
残された曲は3000曲に及ぶという。
このコンサートで歌われたどの曲を聴いても、当時の舞台が、
心を焦がした甘美な思い出とともに甦って来てたまらなく懐かしい。


紫の花ぶさが 風にゆれて
おまえの心が わたしに触れた

紫の花ぶさが 雨にぬれて
わたしの胸に 涙があふれる

...........

確か原作は山本周五郎の作品だったと思うが
「いのちある限り」で歌われた大好きな曲だ。
この曲を歌う鳳蘭の宝塚時代とかわらない、娘役をいとおしむ
ように見つめる眼差しに出合うと、私は今だって胸がときめく。

ああそれだけではない セ・シャルマン うたかたの恋 
花夢幻 我が愛は山の彼方に あかねさす紫の花
白夜わが愛 彷徨のレクイエム 哀しみのコルドバ.....



今日は母の病室で朝っぱらから思いつく限りの寺田メロディーを
歌いまくって、突然台詞なども思い出したりするので、
「将来....? わたしたちに将来があるのでしょうか?」なんて、
不安げにルドルフ皇太子に寄り添うマリーになってみたりしながら、
寺田先生への独り善がりの追悼とした。






2003年10月24日(金) ラブレター

『夜空を華麗に彩る打ち上げ花火。
勢いよく天に昇って、つぎつぎに美しく開花しては
儚げに散っていく様をまばたきしないでみつめている。

地上の花と、空の花......
あのような美しいものに値する魂をさずかりたい。
これは夢なのだろうか.........



いつも私を幻想の世界へと誘ってくださる木霊(こだま)へ。

大いなるパワーをいただきました。
優しい眼差し、あたたかい手のぬくもりを身体中で感じて
います。
泣きたいほど抱きしめたいほど愛がいっぱい。』


この日記を読んでくださる方には、なんのことやらさっぱり
分からないではないか!と、どうぞお怒りにならないで
下さい。
これはあるサイトの管理人さんへ、私からのラブレターなのです。
血迷ってますか?許して下さいね。



2003年10月20日(月) ナイチンゲールのように?

数日前から病室に泊まらず、消灯を待って家へ帰ることに
したのだが、この日はナチスの女看守(母に注意しておきながら、
結局私自身もこう呼んでいる)が夜勤と知り、帰るのはやめ
ようかと一瞬迷う。
しかし『おうちのベッドでゆっくり眠りなさい』と、母も
言っていることだしと、帰宅する旨を告げにナースステーション
に行った。

『今からうちに帰りますので、よろしくお願いします』
のあとに『大丈夫かしら?』を付け加えたのがまずかったのか。
女看守は『大丈夫かしらといわれても、そんなこと知らない』と
不機嫌に言い放った。

『大丈夫かしら?』と言ったのが、信頼していないがために
口から出た言葉と受け止められて、女看守のプライドに障った
のだろうか?
私としては入院以来ずっと夜間も付き添ってきたので、病室に
母をひとり残して来るのが不安でもあり、そう訊いてみたの
だけれど。
ある種正直な返答なのかもしれないが、その職務に誇りを
持っているのなら、それなりの言い方ってものがあるだろうに。


翌朝、夜明けと共に病院に行き、夜勤明けの女看守に『夜の間、
なにか問題はありませんでしたか?』と訊ねてみたところ
『さぁ、なかったんじゃないですかぁ〜』と答えたのには、もう
唖然としてしまう。
この方『おはようございます』とご挨拶をしても、ふんという
ように首をあげるだけだ。

中年を過ぎた年恰好で当たり前の挨拶さえもできないなんて、
どんな殺伐とした人生を過ごしてきたのだろと、よけいな思い
をめぐらしてしまうではないか。
こういう方の言動は不快そのもの。疲労感が増すだけだ。
訊かなかったこと、見なかったことにするしかないな。



2003年10月16日(木) いつのまにかの秋

朝夕めっきり冷え込んでまいりました。
黄金色に染まった稲穂は重くうな垂れ、刈り入れの時期を
今か今かと待っている様子です〜

ご心配をお掛けしましたが母の手術は無事にすみ、
週明けからはリハビリにはいります。
母は初夏から内科的な疾患をかかえて体調が悪かった
こともありますので、私はずっと病院に泊り込み日に2回
ほど家の様子を見に帰るといった日々を過ごしております。

たえず鏡を覗いては「ここにいると、なんだか鼻毛が
伸びちゃうのね」などと呑気なことを言っている母の
付き添いって.....大きな声では言えませんが結構
くたびれます。
丸めたティッシュを私に渡さないで、自分で手を伸ばして
ゴミ箱に入れたらどう、ってな具合に。
まったく笑顔をみせずに、乱暴にタオルケットを剥ぎ取り、
骨折した足をわしづかみにして身体の向きを変える看護士さん
がお一人いるのですが、その方のことを「ナチスの収容所の
女看守」などと呼んだりするので、「ちょっと聞えちゃう
でしょ。ちいさな声でいいなさいよ」と、いさめなくては
なりませんし。

そんなこんなの今回のゴタゴタで、すっかり更新が滞って
しまいました。ごめんなさい。
須賀敦子のアッシジ...(タイトルは『須賀敦子のアッシジと
丘の町』だそうです)近々発売されますね。
更新記録をご覧下さい。


2003年10月04日(土) お世話になってます整形外科

夏の初めに体調を崩した母が、完全にとはいかないまでも
ほぼ元気を取り戻しつつあった先日、廊下で滑って転倒し
大腿骨を骨折して入院となった。
来週火曜日が手術。

私はといえば、あんな状態の時にあんなことをしたせいで
(↓9月24日の日記を)今度は酷い腰痛となり、部屋の隅で
ただ転がっているだけの日々を送っていたのが、どうにか
歩行だけは可能かなぁ〜PCの前にも座ることが出来る
かなぁ〜と思っていた矢先のことだったので、慌てに慌てた。


昨日、母の入院先から家に帰って来ると、夕闇の中でなにやら
甘く濃い香りが漂っている。 あぁ金木犀が咲く季節だったん
だと気がつく。
家での用事を済ませて病院に戻る時、枝を何本か手折って
持って行くと、ベッドの上で身動きの出来ない母は
「今年も金木犀の時期がきたのね」と枝のなかに鼻を埋める
ようにして、香りを吸い込んでいた。


メールを頂戴している方々へのお返事が、気になりながらも
大変遅くなってしまい申し訳ありません。


2003年09月24日(水) ひたすら

外はどしゃ降り。
犬たちはそれぞれのハウスで、憂鬱でしかたのない雨を
なるべく見ないようにして、うずくまっている。

私は今日も室内で、昨日までの脳天へ突き抜けるような
酷い痛みは消えたものの、やっぱり這いつくばって過ご
すのね。
それならば、今日こそは、2年も前に4体買って1体のみを
完成させただけで放っておいたお人形の残りを仕上げて
やろうじゃないかと、這いながらパーツを見つけ出してくる。

雨の音を聴きながら、ひたすら糊付けにコテ当て。
なにしろ腹ばいになった形で寝転んで両ひじで支え、時たま
痛みをこらえて横座りをして一息つくのもほんのつかのま、
また腹ばいにもどりこれら全ての作業を行って、気がつけば夕方。
あ〜あ はかどらなかった。

かろうじて完成。      残ってしまった2体はいずれまた。 
 

なにもこんな状態の時に、こんなことをしなくても.....


2003年09月22日(月) 尾てい骨打撲

昨日階段を踏み外し尾てい骨をしこたま打った、と同時に
あれよというまに踊り場まで一気にすべり落ちた。
小豆の部屋から持ち出した「栗の小枝」チョコをしっかり
握りしめたまま。
食い意地がはっている、というのは本当ね。

週末からの突然の冷え込みで、厚手のソックスをはいていた
ために足元の感覚が鈍ってしまったのだろうか。それとも
末端が麻痺している?老化じゃないのか。

で、一夜明けてみたら尾てい骨から背骨へと痛みがおよび、
家の中を赤ちゃんのように這って移動するはめに。
這うなんて動作、それこそ赤ちゃん時代以来だ〜と感慨深い
ものがあったりして。
したがって今日はインターホンが鳴っても居留守を決め込み、
床に置いたPCの前でこれまた這いつくばって、あちこち
ネットを流離ったりしていた。

石原慎太郎のHP、「日本にLong-form nameをつけるとしたら」
のアンケート結果が結構面白い。
アメリカに「それは駄目駄目、わが国はわが国のやりかたで。
口出ししないでくれぃ!」なんて言ってみたいんだな〜


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