きまぐれがき
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朝、半ば眠ったままキッチンでラジオをつけると 声高らかに、それも大音響で流れてくる「六甲おろし」。 これには何年もの間、身体の芯から目覚めさせて いただきました。
ABCラジオ「おはようパーソナリティ道上洋三」。 「六甲おろし」が歌われるかそうでないかで、前日の 試合結果の明暗をおのずと知ることになり、今年の タイガースは早い時期からご機嫌に突っ走っていたことを、 いくら野球音痴の私でも知っていました。
くる日もくる日もシャキっと目覚めさせていただいた今年の タイガースに感謝をこめてとでも申しましょうか。 私もはしゃがせていただきます。
買ってしまいました。 阪神タイガース優勝記念グッズ。
2003年09月14日(日) |
ラグビーも忘れないで |
関西では、阪神タイガースの胴上げが間近となり、数日前から いくら注意されても道頓堀川に飛び込む若者などがいて、 誰にも止められない状態で沸き立っているわけだが、それに 比べるとかなり地味目に、ジャパンラグビートップリーグが開幕した。
花園ラグビー場に三洋電機対近鉄の試合を観に行くMの顔に、 日焼け止めクリームをたっぷりぬりこんでみた。 顔中浮き立ったように真っ白となり、志村けんのバカ殿みたいに なっちゃったよ〜と二人で笑い転げる。 ちょっと分量が多かったかなとも思ったが、すぐに馴染んで 元とおりになるからと安心させたのに、洗顔しなおし、タオルで ゴシゴシこすって出かけて行った。
チーム名を新たにワイルドナイツとした三洋電機。 野武士軍団にふさわしい名前となったところで、勝ち進んで行って かつての栄光を甦らせておくれ〜〜〜
ラグビー場では「どうしたのその顔?」と笑われちゃったと、 帰宅するなり言うMの顔を見てみると、クリームをぬりこんでから 7時間も経ち、洗い流してもいるというのに、まだかすかに 白く光っている。 やっぱり分量が、取り返しのつかないほどに多すぎたのだ。
美容室の予約が正午だったので、休日で家にいる3人分の お昼食としてオムライスをチャッチャと作って慌ただしく家を 飛び出す。今日も暑い、汗も噴出す。 さっき玉ネギのみじん切りと一緒に爪も刻み込んでしまった ことは黙っておいた。
カットの後のスキャルプエステが楽しみなために、近頃では こまめに美容室に行くようになったのだ。 頭皮活性化をはかって毛穴のお掃除とでもいうのか、これが 実に気持ちいい。 オイルを頭部に擦り込んでいくと、メンソレーをぬったかの ようにスースーとしてくる。そこで丹念にマッサージ。 髪の毛を触られるのがたまらなく好きな私は、頭皮に人の指先 が優しく動いて、髪がその指に絡みつくのを感じながら、 いつしか眠りの中に落ちていく。
数年前にショートヘアーにしてからというもの、私のカルテ には梅宮アンナやオードリー・ヘップバーンや渡辺真理ちゃん の写真がベタベタと貼り付けられてある。 『今回はアンナで』というように、どれも私が雑誌から切り取 って持っていったものなのだ〜
「どの面さげてぬけぬけと! アンナやオドリーだと!?」
の、美容師さんの心の声がビンビン刺さってくるようで、 そりゃあ勇気が要る。 毎回うつむき加減になってしまうのだが、時には開き直りも必要ね。
で本日は、ダイアナ妃が、離婚が成立した途端にセクシーな ドレスを着だして、パパラッチを熱狂させた頃の写真が切り取って あったので、それを持参。 それまでのお妃ぜんとした髪型とはちがって、ナチュラルでよく 似合っているのだもん。
だからといって、その髪型が自分に似合うかどうかってところに まで考えが及ばないのよね、と帰宅した私を見て、小豆はフンと 鼻で笑った。
くやしい。
2003年09月09日(火) |
あわただしく友に逢う |
「3時間ほど時間があいたのだけど逢えるかしら?」という Mちゃんを訪ねて、大阪での彼女の定宿リッツ・カールトンに 出かける。
TRCの近辺まで出かけるPの車に乗せてもらったはいいが、 その車の汚れようったらない。砂嵐にあったわけでは あるまいし、ガラスまでも土ぼこりにまみれているなんて あんまりだ。 さらにシートは、犬の毛だらけに加えて食べこぼしが散らばって ベタベタしているではないか。 洋服までも汚れてしまいそう。 バッグからウエットティッシュを出して、これ見よがしに 拭いてみたけど。
電車にすればよかったなと後悔したとたん、「玄関につけないで いいから。手前で降ろして」。ついに口から出てしまった言葉に Pはむくれた。
「汚いからでしょ。見栄っ張り!」と機嫌をそこねながらも、 程よい場所で降ろしてくれる。ほっ!
Mちゃんは東京の進学塾の講師。 毎年女子中学御三家だとかへの合格率が高く、評判の塾なのだ そうだけど、最近の塾事情は私にはさっぱりわからない。 「困り者のお母さんっていうのが、どこにでもいるのよね」 周囲が見えない、子供への過剰評価、あげくに怒鳴り込んできたり して大変なのだそうだ。 「まぁ何時の時代でも、頻度の差があれ目にする光景ね」なんて、 現場を知らない、けれど想像は大いにつくのに私の言葉は生ぬる かったか。
ともあれ懐かしい友に逢い、食事を堪能し、他愛もないおしゃべりは なによりの美酒となって、御茶ノ水の聖橋からスモッグに霞む夕陽を 眺めていた頃に戻ってみたいと、青春時代へのノスタルジーにしばし 陶酔したところで別れの時間。
「あっ!そうだ!関西には無いって嘆いていたから」と、バッグの 中をゴソゴソと引っ掻き回して取り出したものは紅茶の缶。 私のお気に入りダロワイヨブレンドだ。 早速今夜は久々に温かい紅茶を淹れて、月と火星の大接近を眺める としよう。
人からは、コースに出たらどうなのよと言われながらも、 「日焼けしたくないものイヤ」と、ゴルフの練習場 (打ちっぱなしですね〜)で満足しながら、毎日のごとく 通っては積もりに積もったストレスを弾き飛ばしていたのが 数年前のこと。 ところがある日、左肩甲骨に激痛がはしりゴルフどころでは なくなった。今度は整形外科通いとなって、それなりに揃えた クラブは納戸の奥に放り込まれ、ストレスは倍増した。
今では痛みは薄らいできたものの、冷房の室内に長時間いると てき面にやられる。劇場とかデパートなどの広い空間下では なんともないので助かってはいるのだが。
そんな訳で、ここ盆地の連日の熱帯夜でも(冷夏だといわれて いるのが信じられない)、寝る時の冷房なし。寝る前に部屋を 冷やしておくこともしないので、浅い眠りしかとれないために 寝不足気味となり、常にぼぉっとした状態。 処かまわず細切れでもいいのでウトウトしたい。
さっきも、PCに向かっていたはずがキーボードに頭を突っ伏 して、いつのまにか居眠りしていた。
「テレビ!見て見て」
の小豆の声に、うす目を開けテレビを見つめて驚いた。
天地真理! どうしちゃったのだろう?体型はまぁまぁ太ってしまって、と 仕方がないにしても、この人、歌など歌っていいのだろうか? 所属の事務所は、もうすこし彼女を守ってあげるべきではないの かと思ってしまうほど痛々しく感じたのだが、最近の天地真理は あのようなキャラで芸能活動をしていたのだろうか? おかげですっかり目が覚めた。 出演者の一人に、柴田光太郎の姿がチラリと見えたのは、なんだか とっても嬉しかったなぁ。
目覚めたついでに、今宵こそはしっかり見るぞとの決意も固く 「スパイダー」をDVDドライブにセットする。 これで何度目だ? 何度挑戦しても、最後までたどりつかないうちに眠ってしまう... のではなく、なげてしまう。 クローネンバーグとの相性が悪いのだ。 なら見なきゃいいのだけれど、レイフ・ファインズだもの。 購入してしまった以上は.....ふぅ〜
朝日新聞、今日の天声人語に「1000の風」が欧米や日本で 静かに広がっているとあった。
私が、「1000の風」の収まった小さく心細げな本を手にとる きっかけとなったのは、ジャーナリストの柳田邦男氏が、ご子息 の自死で絶望していた時にこの詩に出合い慰められたと、何かで 読んだことによってだったと思う。
どこの書店でも見つからず、手元に届くまでにずい分時間が かかったのではなかったか。初版から2年が過ぎた頃で、 すでに3刷になっていたところをみると、当時もひそやかに 読まれていたのだ。
この詩を読んだからといって、大切な人を亡くした喪失感が そう簡単に癒されるものではないけれど、死が自分だけに降り かかる問題ではないというあたり前のことを受け入れる心構えと 勇気と、不思議なやすらかさを与えてくれる、なんて優しい詩 なのだろうと、私にとって忘れられない1篇となっている。
天声人語では、作家の荒井満氏が訳され曲をつけてCDとなった 詩(へぇ〜CDになってるのか〜)が紹介されていたが、南風椎氏 によって訳された「1000の風」は.....
あとに残された人へ 1000の風
私の墓石の前に立って 涙を流さないでください。
私はそこにはいません。 眠ってなんかいません。
私は1000の風になって 吹き抜けています。 私はダイアモンドのように 雪の上で輝いています。 私は陽の光りになって 熟した穀物にふりそそいでいます。 秋には やさしい雨になります。 朝の静けさの中で あなたが目ざめるとき 私はすばやい流れとなって 駆けあがり 鳥たちを 空でくるくる舞わせています。 夜は星になり 私はそっと光っています。
どうか その墓石の前で 泣かないでください。
私はそこにはいません。 私は死んでないのです。
気が早いけれど2004年の我が観劇初めは、蜷川幸雄の 『タイタス・アンドロニカス』になりそうだ。 彩の国シェイクスピアシリーズは、これで何作目になるのだろう? この作品に決まったらしいことは、だいぶ早い時期に翻訳家の 松岡和子氏のHPで知ってはいたが、配役は予想とおり蜷川作品 の常連になりつつある麻実れい。うむうむ納得。 タイタス役は、誰だった?忘れた。
アンソニー・ホプキンスがタイタスを演じた映画では、 アラン・カミングの異様さだけが、毎度のことだけど印象に 残ってしまって...まだまだ時間があることだし、もう1度 戯曲をじっくり読んでいこう。
やはり麻実がイオカステを演じた蜷川の『オイディプス王』は、 夏にアテネでも上演されることになっているとなると、K子さ〜ん! 来年は忙しいことになりそうね。おっと訂正!「来年も!」だった。
そして『エリザベート』。 主な配役の顔ぶれは、初演時とさして変わりはないようだ。 あらら〜 ルドルフ皇太子がまだ決まっていないのかな? 苦悩する皇太子は、背中の孤独感がたまらなかった井上君であって ほしいけれど、いまや彼は売れっ子になってしまったから、 どうだろうか?
大磯の友人が小躍りしている様子が目に浮かぶ。 彼女に引きずられるように何度劇場に足を運んだことか。 こんこんと言って訊かせられた内野聖陽賛歌で、とうとう終電車に 乗ることができず劇場隣接のホテル、阪急インターナショナルに 泊まるはめになってしまった日などもあって。
うぅ〜思い出してきた。 たしかに内野の死神トートは、当初酷評された歌やダンスが、 日を重ねるにつれてどんどん良くなっていくのがわかるので 某BBS(2ちゃん..なんとか)など見ないようにして、 私だって感動に打ち震えていたのですぞ>大磯!
突然ですがユキです。 元気です。
パソコンや周辺機器のコードがこんなふうにグチャグチャだから、 そのうち足に引っかけるだろうな、とは思っていたけれど、ついに やってしまった。 足に絡みついたコードをそのまま引きずって何歩か歩いたところで、 机上のコーヒーカップがカタン!と倒れて、ピチャ!とコーヒーが..... この間買い換えたばかりのPCにこぼれ散ったのだぁぁぁ キーボードがビチャビチャ。
PCから出ているコードがピーンと張った状態となって、PCの 傍に置いていたコーヒーカップに触れてしまったと云う訳だ。 だからそんなところにミズモノを置くなって。
コーヒーまみれのPCを、デジカメで記念に撮っておきたいという 私を突き飛ばして、小豆が「そんなことよりまず拭いて!」と、 日頃とはうって変わった素早さでタオルを手に飛んでくる。
今のところ、無事に起動してくれてはいるけれど、また入院だろうか。
日頃行きつけの「なんでも屋」(と、私は呼んでいる)に、姪を さそって小豆たちと4名で出かける。 静かだった店内も、お盆休みのせいか瞬く間に子供の泣き叫ぶ 声やら、「家で作らないようなものを注文しなさいよ」なんて 家族に言い聞かせているお母さんの声などでザワザワして来る。
あまりにも周囲が騒々しいので、食べ物をさっさと口に運んで どんどん飲み込み、それでもデザートは欠かさず、飛び出てきた といった感じだった。
車に乗り込んでから、姪が何気なく呟いた一言にはほろ酔い 気分も吹っ飛んだ。 「昨日は電気コタツを入れて寝たの。お布団2枚かけてね」
このところ関西も涼しい。 朝、目が覚めるとタオルケットにスッポリ包まれているなんて いう日が続いていた。 それにしてもだ。 姪はケロっとしているが、よくぞヒモノにならずに朝を迎えられた ものだと思うよ。
そんな姪の衝撃発言に、「あれは、いまいちの味だった」とか 「あれは、以外にもいける味」などの食後の「食べ物批評」など とっくに忘れて、車の中の面々はぶったまげるばかりであった。
サーシャです。ご心配をおかけしました。 今のところは元気で、今日はペット美容室に行ってきました。 11年間、毎月ペット美容室の方がお迎えにいらして下さるの ですが、未だにその方の姿を見ただけで体中が震えて、 どうしようもないのです。シャイなのです。
2003年08月10日(日) |
フォーレ「夢のあとに」 |
スーパーで1週間分を纏めて買い物したあとのひと休みは、 いつもこのお店で。 ここでの最近のお気に入りは、甘さを抑えたプラムケーキ。
窓の外に植えられたヒマラヤ杉の大木が、台風の通り過ぎた あとの強い陽射しを遮っているので、クーラーのきいた室内は よりヒンヤリと清涼感に満ちているように感じられる。
ログハウスにはヒマラヤ杉がよく合うなぁと、さながら プチ森林浴の窓辺の席。 店内に流れている音楽はフォーレの「夢のあとに」だけど、 なんなのだろう? ヴァイオリンの甘く切ない調べに、シンセ サイザーを取り入れた独特のこの音色は。 なかなか惹かれるものがあったので、マスターにアーティストを 訊ねて、さっそく帰りにTSUTAYAに立ち寄りCDを購入。
しばらくの間、我が家のBGMは、このアルバムで決まりだ。 マスターは「風を感じる編曲がいいでしょ」といっていたけど、 なるほど涼風が、私の身体のまわりを包むようにひと回りしたあと、 風の道をつくって窓の外へと通り過ぎて行ったかのような心地。
元はといえばフォーレの歌曲だった「夢のあとに」。 恋人の幻影を追い求める歌詞が胸を尽く。
あぁ、 なんという悲しき目覚め、 私は呼ぶ おぉ夜よ 返しておくれ おまえが織り上げたあのいつわりを 戻って来ておくれ 輝かしい人よ 戻って来ておくれ おお 神秘なる夜よ
坂東玉三郎がこの曲で踊った舞台があった。 あれはチェロだっただろうか......? 儚げでありながらも、凛とした美しさが圧巻だったと記憶する。
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