きまぐれがき
目次|past|will
何年か前にあれこれとビーズを買ってはみたものの、何かの形に なることもなく、色、形、大きさ別に一応は仕分けをして収め た箱が、何個も積み重なって放置されたままとなっている。
そもそもビーズの一粒を、指先に取ってみるということすら しなかったのだなぁ。。 意気込んでみても素早く気分が変わって、やる気が失せてしまう 性格というのは困ったものなのだ。
その箱の山を目にするたびに、またもや恒例の自己嫌悪と、焦燥感 にまで苛まれて.....そんな日々を過ごしていたある日のこと。
「あなた、こういうの好きでしょ」と大磯に住む友人から送られて きたのが......こちら。 へへ〜ん、好きだよ。 なんだか私の日常を見透かされているようではないか。
十字架のネックレスとお耳がぶらぶらしている ワンコのストラップ。
ハートのストラップと清々しい白の指輪。 リラ色のブレスと指輪とおそろいのネックレス。 実物はとっても美しいスワロフスキーなのです。
これを......大磯は作ったのだな。 あの人が、遠くに海の見えるリビングの窓辺の籐椅子に腰掛けて、 指先でちまちまと作業する姿なんて、笑っちゃうほどしっくり こないのに。 劇場のロビーを、もののけにとりつかれたようにフワフワと歩いて いる姿しか思い浮かばないのに。 あ〜本人がこれを読んだらきっと怒るよ。
どうにも想像することのできない彼女の指先での作業を、無理やり 思い浮かべて労をねぎらいながら、「完成をみないもの」を身の回 りにどっさりかかえているぐうたらな私としては、素直に喜んじゃ っているのである。
「大丈夫よ、行ける行ける」と母が言うので、今日は往診をして いただかずに、病院へ行くことにした。
まずは私自身の身支度をすませて母の部屋をのぞくと、母はすでに 着替えをすませ、お気に入りでもあるローズ色の口紅をひき、 指輪もはめて待っているのだった。
「あたくし、横になっている時でも本を読んだりしているのですが、 今はなにもしないで、ただ横になっていたいだけです」と弱々しい 声で、往診にみえたドクターに話していた2週間前に比べると、 表面上はかなり回復しているようにみえるのだが、検査数値がまだ まだ正常値には程遠く、多分入院治療となるだろう。
希望と不安の高波が交互に押し寄せてくる。 しぶきをかぶりながら私は、引いていく波にぐらつく足元を取られ ないように、なんとか踏ん張っているといったところか。
母にとっては久しぶりに出る庭。 ガレージの車まで歩く途中、青い花の前で立ち止まって「この青は、 大好きな青だわ」と言う。 うんそうだね。青い花が好きだったね。 都忘れ、忘れな草、ききょう、リンドウ、イソトマ、ブルーデージー、 ブルースター、クレマチス、アメリカンブルー、デルフィニウム...... 思いつく限りの青い花で、今すぐにこの庭を埋めつくしてあげたい。
2003年07月24日(木) |
職業のなせる業か........ |
母のところへ往診にみえたドクターが、2階からの階段を下り しな、踊り場の壁に掛かっているポスターを覗きこむようにして、 しばしご覧になっていらした。 「ドクターは演劇がお好きなのかな?」と後ろからついて下り ながら思ったが、いくらなんでも今そのような話をすべきでは ないだろうと、黙っていた。
そのポスターとは、ご贔屓のピーター・ブルック演出の『ハムレ ットの悲劇』。 パンフレットが作られていなかったこともあり後々まで忘れない ように、琵琶湖ホールへ観に行ったおりに買ってきたものだ。
ハムレットはエイドリアン・レスターだった。 人種の異なる役者を当てた配役と、アジア色が漂う衣装や小道具、 そして音楽も印象的な舞台だった。 シェイクスピアのテキストでは冒頭の台詞を、最後にもってきたり、 「To be, or not to be, that is the question.......」は 思いがけない場面で呟かれていて、そこも気に入ったのだった。
ドクターをお見送りしてから、ポスターの前に行ってあらためて マジマジと見てみる。 寝台ではなく絨毯のようなものに寝かされている父王の亡骸を 取り囲んで、主な出演者たちが座っている構図。
ははん〜 そうかそうか。 この寝かされている父王の姿に、ドクターは職業柄思わず反応して しまったのではないだろうかと気づいた。 「なんなんだ、この男は。どうしたのだ、この男は。」 「脈を計らなければ」。
そういえば、ポスターに目を留めるやピクリとされてから 見入っていらしたように感じたもの。
2003年07月20日(日) |
ピアノで気晴らし.....できるはずがない。 |
ここ1週間、家族のことでは胸の痛むことばかりがつづいた。 というよりまだまだつづいていく。 私って、ほんとに弱虫で頼りにならなくてすぐ挫けてしまい そうになる女なんだと実感。あ〜この女々しさがさらにイヤ。
気分がまぎれればと、加古隆のピアノの楽譜を買ってくる。 NHKで放映された『映像の世紀』のメインテーマ曲「パリは 燃えているか」を、弾いてみようという気になったのだ。
かれこれ7・8年は調律もされずにいた哀れなピアノ.....
ピアノの下には画集が並んでしまって、足の置き場もなし.....
まさかうちでは、知人宅のようにピアノの裏で、ねずみが 子育てしていたなんてことはないよね。
ねずみ一家こそ見あたらなかったものの、放りっぱなしにして いた報いの狂った音。それよりも手に負えないのが頑として 動かない左手。和音でこんがらがる頭脳。 加線の音符を読むのにも、とてつもない時間がかかって、 解説にある「決然とした前に向かっていく感じ」など 出せるはずがない。
無謀な試みだったのである。
もぎたてのトマトを沢山いただいたので、連日のサラダに登場。 残った数個はトマトソースにしてパスタに。 いつものとおり冷蔵庫の野菜室の整理を兼ねて「何でも ぶち込みますソース」。 なぜ我が家の人間は、私の味付けに「うすい、うすい」と 騒ぐのだ!
それなら各々の味付けでやり直してごらんよと、ふてくされて いると、こうるさい小豆がドボッとかチャッチャッとかシーシー とか、隠し味的に何やら入れては味見を繰り返し、わぉ〜絶品の お味に。
ところがみょうに色合いが悪いのです........
外出から帰ると、小豆が「ゾッとするものを見た」と言う。 そしてエアコンの室外機が設置してある場所に連れて行かれた。 「ここ!ここ!」と指差す室外機と建物の壁の隙間に、 脱皮した蛇の脱け殻があるのを、浄化槽の清掃にみえた おじさんが見つけたそうだ。 おじさんは「へぇ〜 これ、もらってってもかまへんかぁ」と 小豆が渡した袋に大事そうに入れて、嬉しくてたまらないと いった感じで、帰っていかれたらしい。
小豆は「蝉の抜け殻をみてもドキッとするけど、蛇のはもっと、 死体よりも(見たことあるの?)気持ち悪かった」と言う。 そうかなぁ、色っぽいではないか...........と『源氏物語』 の空蝉などを思い浮かべてしまうのだけど。
たぶんあの蛇だ。そろそろ春が近づいて来ていると感じさせた ポカポカ陽気のある日、テラスでダラ〜ンと体を伸ばして日向 ぼっこをしている蛇がいた。 お昼寝の場を奪われたサーシャは、ハウスから蛇の様子を 窺っては、諦めたように丸くなって寝たふりを決め込んでいた もんだ。
人間は新陳代謝をはかって生きているけれど、脱皮をしながら 成長していく生き物って、脱ぎ捨てたものを平気で放りっぱなしに しておくところがご愛嬌でもあるし、神秘的でもあるよなぁ。
それにしても脱け殻は、あのおじさんのところでどうなっちゃって いるのだろう。使いみちってあるのだろうか?
2・3日前の朝日新聞夕刊の「花おりおり」にアガパンサスが 取り上げられていた。 それによると、この花の名はギリシア語のアガペ(愛)と アントス(花)が語源なのだそうだ。
ノートにアガペとエロスの二文字を書き、エロスの方を大きな ×で消した少女の頃。 「アガペとは見返りを求めない愛のことですよ」とのシスターの 言葉が胸の中で渦巻き、その渦のなかで私はいつもアップアップ していたなぁ。そのくせ聖フランチェスコやコリント13章の 美しい祈りにたまらなく感動してた......
最も崇高な名前をつけられたあなたは、どんな気持ちで いるのでしょう。
混乱してしまい平常心でいられないのが、サーシャの細胞診の結果だ。 黒に近いグレーだと言われた。 右手にできた膨らみが肥大してきたように見えたので、1週間前に 獣医に連れて行き、診てもらったのだった。 ドクターからの説明を訊いていると、私自身が私を離れてどんどん遠ざ かっていき最後には消えてしまいそうな、おかしな感覚にとらわれた。 今その感覚は、胸の中で不安という大きな塊となって居座ってしまって いる。
そろそろ別れの準備をしておきなさい、と云うことなのだろうか、そんな 考えがふと頭をよぎると、もうだめだ。 立っていることすら出来なくて、うずくまってしまいそう。
普段はまったくそこにあるのも忘れているような、ベッドヘッド側の壁に かけられた十字架のイエズスを手にとって、ぼんやり眺めている傍で、 サーシャのつぶらな瞳が私の手元を見つめている。
今日は七夕。あの二人の逢瀬は叶っただろうか。
2003年07月04日(金) |
本命は長岡良子「暁の回廊」 |
先週届いたAmazonでのお買い物。
インテリア関係洋書1冊、西原理恵子3冊、久世光彦2冊。 長岡良子4冊。 ははは〜支離滅裂。
この久世光彦、顔は私好みではないけれど、この人の書く文章は好き。 『死のある風景』『冬の女たち』。 長く生きてきた人ほど多くの死を見てきているだろうし、まして戦争 を挟んで生きてきた彼にとって、死は隣人だったに違いない。 週刊新潮に連載されていた時から、北川健治のコラージュにも惹かれて、 単行本になったら買おうと思っていたのに忘れていた。
Amazonを流離っていて見つけたのはいいけれど、'99に刊行され ているといういことは、新潮の連載時って4・5年も前のことなのか.... ふぅ〜 時の経つのが早すぎる。
そして、あらいつの間にかこんなのが出ていたんだと、カートに 放り込んだ長岡良子の『暁の回廊』全4巻。お久しぶりです長岡先生。 大好きな古代幻想ロマンシリーズ。 これまた好きな中大兄皇子が、葛城皇子と呼ばれていた時代から 大化の改新を迎えるまでを、壁画でみるあの時代の容貌とはどんなに 違うか、9頭身で顎は尖り気味、まつげなどふるえるほど長く西洋人 とのハーフかと思えるほどの美形若者に描いてあるマンガね。
なんとこの葛城皇子(中大兄皇子)を、こよなく愛するファンが集う HPを見つけてしまった。 管理人さんのユーモアに笑い転げながら、アンケートに答えて きちゃったのさ。
2003年06月29日(日) |
食べていいのかドッグフード |
たまたま通りかかったペットショップに、ワンコ2匹のフードを買う ために入ってみる。 この店の奥さんらしい人は、通りがかりの初めてのお客にも愛想が よいので好感がもてたのだが......
フードの支払いなどをしていると、お店の奥から4歳ぐらいの女の 子がカタカタと音をさせて小走りでやって来た。 今どきめずらしく、絞り模様のはなおの可愛い下駄を履いている。 そうそうちょうどロシアから来日中のタトゥーが、どこかのTV局 からプレゼントされていたような下駄ね。
だからカタカタ音がするんだな、じょうずに下駄がはけるんだねと いうように「うふ〜」と女の子に笑いかけた。ところがその子は とっても不機嫌なのだ。 突然奇声を発してフードが並んでいる棚に突進して行き、身体を 捻じるようにして、フードの袋を片っ端からひっかきはじめる。 どうしちゃったの?と思うまもなく、「はいはい、ほら」奥さんは 犬のジャーキーの袋をピリッと破き、中から取り出した1本を女の子 に掴ませた。 とたんに静かになった女の子は、ジャーキを口にくわえるやジャキ ジャキジャキジャキと前歯できざむように、あっというまに食べて しまった。 再び愚図りだした女の子に、また「ほら」とジャーキをもう1本 掴ませた。 このお家のおやつはジャーキーなのだろうか。それも犬用の。 そんな〜 大丈夫なのだろうか?
帰宅してから、家にあったワンコ食べ残しのジャーキーを、ほんの 少し食べてみたが不味かった。 あの女の子とその母親の気持ちというものが、私にはてんで分からない のである。
雑貨屋さんの店内から、手ぶらで出てくることができない。 バードケージ......家人に「なにするの、それ?」と言われた...... 私だって何にしていいか分からない.....
|