CORKSCREW Diaries(米国編) |
ちなみに私は仙台サポではありません。念のため。 昨日あんなことはあったものの、 せっかく帰ってきたのだからと言うことで、 西京極の仙台戦を観戦しに行く。 6連勝が懸かってるモンね、やっぱり見ないとね。 行ってみてびっくりしたのは、 ハライがえらく真ん中にいる。 あれ美尾が左サイドだ。 パウは・・・? いなかった。。。 まあそれでも美尾のゴールが決まって、 後半は攻め続けられたけど勝てて良かったです。 平井ちゃんがマンオブザマッチというのもうなずけます。 せっかく前後半ともゴールに近いバックスタンド席に行ったのに〜 (一人で見てるからこそ出来るこの技であります) 仙台の応援歌はすごくきれいで好きであります。 歌ってるサポも美声。 京都はなあ、なんて言うか拡声器も辛いし、 どっかから持ってくるにしろちとセンスが無いんだよなあ。 ブルーハーツの「電光石火」から持ってくる仙台は素敵です。 この曲とても好きなので。 しかしこれで京都と勝ち点差14ですか。 仙台も辛いね。 津並監督もどれだけ持つのだろうか。 兄者監督で本当に良かった。 |
夜行バスは5時半に京都駅八条口に到着した。 予定より30分早かった。 こう言うのは早ければ早いほうが嬉しいものだ。 告別式が始まるのは12時だから目一杯仮眠を取った。 あちこちからすすり泣きが聞こえる。 夜行バスであまり寝られなかったせいもあり、 アタマがうすぼんやりとした状態で、 カラダはふらふらしたまま、僕は参列した。 遺影を見て初めて実感が湧いた。 いや、それでも信じられなかったと言うべきだろうか。 遺影に写っている彼の姿は大変良い笑顔をしている。 写真写りだけは本当に良かったからなあなんてことを思いながら、 彼はもう二度と写真に撮られることはないのだ。 最後のお別れになって、 初めて遺体と対面した。 変わり果てた姿がそこにはあった。 何と言うことだ。 彼は30のまま永遠に歳を取らない。 もうすぐ誕生日だったのに。 30なんてオッサンだなんて人は言うが、 死ぬにはとても若すぎる。 さすがに涙が止まらなくなった。 これでもう永遠のお別れなんだ。 なんてこったい。 病院で一緒に働いていた「仲間」ってのは、 とても貴重で、 なかなかもう一堂に会することは少ないその仲間が、 この日は集まったんだけど、 こういう場所で集まらざるを得ないというのが、 とてもたまらなく悲しかった。 「こんな悲しい葬式はない」 と元上司は言っていたけど、 若い命が失われるほど辛く悲しいことはない。 ああ、だからやはり、生き残った僕らは、 彼の分まで精一杯、後悔の無いように生き続けなければならないんだ。 |
夜行バスは新宿を発ち京都へと向かう。 一週間がやっとの事で終了し、 疲れた躰を休める暇もなく僕は京都行きの夜行バスに乗り込んだ。 5800円。安い。 中学以来のTDLの外観を眺めながら、 死んでいった友のことを想い出して夜行バスの中でひっそり泣いた。 それでも未だにリアルに感じられない。 こういうものはボディーブローのように、 じんわりと効いて行くのだろう。 夜行バスは6時に京都に着く。 告別式は12時開始。 最後のお別れだ。 |
信じられない話というものは突然やって来る。 その話はお昼休みにやって来た。 なぜ君がそこで死ななければならないのか分からなかった。 と言うよりも、そのときはただただ驚くばかりで、 声も出なかった。 調子が悪くなってからここ二年近くちゃんと会ってないのもあったけど、 それでもやはり信じられなかった。 色んなことが限界だったってのもあるけど。 それでも僕の「限界」は週末ゆっくり休めば何とかなるものだ。 なんだかんだ言っても僕らは彼のことが好きだった。 どうやっても憎めなかった。 不思議な人だった。 もう苦しまなくてもいいんだから、 安らかに休んでください。 そして残された僕らは、 彼の分まで一生懸命生きなければならない。 もう簡単に死のことを口にするのはやめよう。 |
通勤地獄と呼べる状態だったのは寧ろ今日の方だった。 ま、帰りは座れたけどね。 帰ってみると3月31日に依頼したADSLの開通日通知が来ていた。 もしやと思って繋げてみると・・・繋がった! と言うことでネットワークがめでたく復活です。 テレビとかよりこの環境が欲しかったのよ、ホントに。 まあ帰ると12時回ってたりしますが。 色々書こうと思ったことはあれども眠たいので寝ます。 まあでも祝! 開通! 50Mプランで3Mしか出てないことは、 まあ、気にしないことにしよう。 |